初期のハイジャック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:32 UTC 版)
記録に残る史上初の航空機ハイジャックは、1931年2月21日にペルーのアレキパで発生したものとされている。空港に着陸した郵便輸送機が、革命派組織により包囲され、宣伝ビラを空から撒くために飛行するよう要求された。これを拒否したパイロットは革命派に拘束されたが、3月2日に解放された。第二次世界大戦前に発生したハイジャック事件で確認されているのはこの1件のみとされる。当時の航空機は旅客輸送としてはまだ大衆には縁遠く、類似の事件が起きることはなかった。 戦後最初のハイジャックは、1947年7月25日に発生したとされる。ルーマニアの将校3人が、民間機を乗っ取りトルコに亡命した。ハイジャッカーに抵抗した機長は拳銃で撃たれて着陸後に死亡し、ハイジャックによる初めての犠牲者になった。 1948年7月17日、史上初めてハイジャックにより旅客機が墜落した(キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件)。この事件では、マカオから香港へ向かっていた旅客機が4人組に乗っ取られた。ハイジャック犯が操縦士を射殺したため旅客機が操縦不能となり墜落した。乗客3人と乗員22人が死亡し、唯一の生存者はハイジャック犯の1人であった。この事件は、アジアで発生した最初の航空機ハイジャック事件でもある。
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