初期における救済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 04:16 UTC 版)
1763年以来ブリテン人の国となったカナダでは、1774年ケベック法によりカトリック教徒の負担がいくらか解消された。このことをうけて、13の植民地の議会において議論が巻き起こった。 グレートブリテン王国で、またアイルランドでは別個で、カトリック教徒法と呼ばれる最初の救済法が1778年可決された。これは、王位へのステュアートの要求と教皇の民事司法権を破棄することを条件として、カトリック教徒に所有権、土地の相続、また軍隊への参加を許可するものであった。この法律に対する反応は、1779年のスコットランドにおける暴動、またその後ロンドンで1780年6月2日に起こったゴードン暴動(英語版)へとつながっていった。 1782年、カトリック学校の設立と司教の存在を許可する法律によって救済がより進んだ。また1792~93年にアイルランド議会で1791年英国カトリック教徒救済法が採択された。その当時選挙の参政権は財産によって決定づけられたので、この救済は、年間2ポンドの賃貸価値のある土地を所有するカトリック教徒に票を与えることとなった。彼らはまた、自分たちがこれまで除外されてきた、法曹や大陪審、大学構成員や下級兵士に下級裁判官などといったミドルクラスの職業へと参入し始めた。
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