再興山高
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:21 UTC 版)
「山口高等学校 (旧制)」の記事における「再興山高」の解説
大正期、改正高等学校令に基づき設立された官立高等学校の一つで、設立に際しては旧旧山高と同様、旧藩主である毛利家からの寄附が大きな役割を果たした。 文科・理科よりなる修業年限3年の高等科を設置した。山口県出身の学生の占める率は高く、卒業生の進学先は東京・京都・九州各帝大の順だった。 学生帽の白線は3条である。 第二次世界大戦後の学制改革にともない新制山口大学の前身校の一つとなり、文理学部の構成母体となった。 後身校の山口大学文理学部が1978年に分離改組し、人文学部と理学部に分かれた時、同窓会として「鴻文会」(こうぶんかい)と「鴻理会」(こうりかい)が結成される。 再興山高の卒業生により同窓会として「鴻南会」(こうなんかい)が結成されているが、その名は寄宿舎である「鴻南寮」にちなむものである。
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