再びF1へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:26 UTC 版)
「ステファン・ヨハンソン」の記事における「再びF1へ」の解説
その一方、F1の中盤戦に差し掛かる頃に、正ドライバーだったマーティン・ブランドルが骨折し代役を探していたケン・ティレルからオファーがかかり、日本でF2に参戦しつつティレルからF1にも参戦、更にはポルシェ・956を駆りグループC世界耐久選手権(WEC)にも参戦しており、ヨーロッパと日本を度々往復する多忙な身となる。 しかしティレルが「水タンク事件」(ティレル#水タンク事件の頁を参照)の余波でこの年のシーズン全体からの失格・出場停止処分となり、またもやF1シートを失うも、イタリアGPからはジョニー・チェコットの骨折で代役が必要になった(イタリアGPのみ契約トラブルで出場停止になったアイルトン・セナの代役)トールマンのシートを獲得、いきなり4位入賞を果たし、トールマンチームとは翌1985年から2年間のNo.1ドライバー契約も交わすこととなった。
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