内国改良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 03:22 UTC 版)
「エイブラハム・リンカーンの前半生」の記事における「内国改良」の解説
イリノイ州知事は1835年から1836年の冬に特別会期を招集した。これはイリノイ州とシカゴ川を繋ぐイリノイ・ミシガン運河を建設し、ミシガン湖とミシシッピ川を結ぶ計画の資金を手当てするためだった。この建設には州が50万ドルを借りて手当てする必要があった。リンカーンはこの法案に賛成票を投じ、法案は28票対27票で成立した。 リンカーンは常に、ヘンリー・クレイの提唱する道路、運河そして後には鉄道のネットワークを発展させることでアメリカの繁栄が支えられるというアメリカンシステムを支持していた。しかしこのための資金は連邦政府の所有する公有地を売却する代金から利子を差し引いた利益で賄うことに賛成していた。そうでなければ、民間資金だけで費用を賄うべきと考えた。リンカーンはイリノイ州が経済発展で他州に後れを取ることを怖れ、州が民間開発者を支援するために必要な資金を手当てすべきという姿勢に変えた。 次の会期で新しく議員に選出されたスティーブン・ダグラスがさらに先に進んで、1,000万ドルの州債を提案し、リンカーンはこれを支持した。しかし、1837年恐慌が起こり、イリノイ州における重要な内国改良計画の可能性を事実上消した。イリノイ州は「未完成の道路と半分しか掘られていない運河が散開した」状態となり、州債の価格は下落し、支払利息だけで州歳入の8倍にもなった。この負債を州が支払うために40年間を要した。 リンカーンはこの計画を救うための幾つかのアイディアを持っていた。まず州が連邦政府から格安で公有地を購入し、それを利益を出して開拓者に販売することだった。連邦政府はこれを拒絶した。次により価値の高い土地の所有者に多くの税率を掛ける累進資産税を提案したが、1839年を通じて不況が続いたために、議会の過半数は内国改良のためにそれ以上州債をあてることを好まなかった。
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