党結成後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 13:49 UTC 版)
NPA結成直後の2009年6月に実施された欧州議会選挙において、7人の候補者を擁立した。フランス共産党と社会党から離脱した左派グループが結成した左翼党の選挙共闘ブロックである左翼戦線の共闘の申し入れに対して、NPA多数派は新自由主義の考え方についてなどの不一致を理由に共闘を拒否した。しかし、2007年大統領選挙時にLCR内でジョゼ・ボヴェを推したクリスチャン・ピケが率いる少数派グループはユニテリアン左翼(Gauche unitaire)を結成して、左翼戦線に参加して、NPAとしては「分裂選挙」となった。投票の結果、NPAは全体の4.98%を獲得したが、議席阻止条項の有効得票率5%を超えることができなかったため議席獲得には及ばなかった。選挙後、NPAは「われわれは全国政治勢力として確認された」とする宣言を発表した。 2010年3月に行われた地域圏議会選挙では21地域圏(うち3地域圏では左翼戦線と同盟を結んだ)で候補者を擁立したが、欧州議会選挙で得た得票を下回る得票率3.4%に留まり、阻止条項の5%を超えることはできなかった。しかし左翼戦線との共同リストで望んだリムーザン地域圏ではNPAの当選者2名を出すことができた。 2011年6月、翌2012年4月に第1回投票が行われるフランス大統領選挙にフィリップ・プトー(Philippe Poutou)を擁立することを決定した。党内では大統領選挙への対応をめぐって、NPA独自で候補者を擁立すべきとするグループと左翼戦線との対話継続を主張するグループとの間で意見が分かれたが、全国協議会の代議員投票で独自候補擁立派の動議がかろうじて可決(50.4%)され、フィリップ・プトーが大統領候補に指名された。プトー候補が、前回選挙の候補者で知名度が高かったブザンスノと違い殆ど無名であったことや、左翼支持票が左翼戦線から立候補したジャン=リュック・メランション(左翼党党首)に流れたことも影響して、第1回投票では1.15%の得票を得るに留まった。
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