伊織の所領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 04:48 UTC 版)
豊前における伊織の知行地はどこであったのか、これまでの研究で触れられたものはなかったが、伊織の生前、延宝五年「小倉藩知行帖」記載の宮本家所領が『豊前叢書・副楫第一号』に書かれていることがわかった。 四千石 宮本伊織内二千石 上り知七四〇石五五八 南 方 六一一石九九〇四 徳 光 三八七石七三三三 白野江 一九一石四一二八 弁 城 九三七石六〇二六 下伊方 九七七石六九三五 神 崎 二三八石五一二五 宮 床 南方は今の小倉南区、白野江は門司区の周防灘に面した海岸地帯、弁城、神崎は田川郡内にいまもその地名が残っている。宮本家の領地は豊前の全域に散在していたようである。7ヵ村の合計は4085石余になる。このうち2000石は「上り知」であるという。「上り知」とは藩へ返納した知行という意味である。差し引くと2085石余が残る。宮本家は5代貞陳の時知行2100石になって以来、明治維新時の小倉藩最後の家老左織貞介までずっとこの家禄(家臣筆頭)であった。
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