企業としての赤福
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 22:05 UTC 版)
社長は12代目(企業化4代目)の濱田勝子(はまだ まさるこ。株式会社初代社長・濱田ますの孫である益嗣の妻。前社長・濱田典保の母)。2014年4月23日より現職。非上場企業であり、赤福の発行済み株式は濱田一族が大株主の濱田総業が84%を保有。残りは益嗣と典保が二分している。 企業としても、伊勢市における影響力は近鉄グループと並んで大きく、10代目・2代社長で前会長の濱田益嗣は伊勢商工会議所会頭を兼ねていた(消費期限偽装問題の責任を取って会長は2007年10月31日付で、会頭は同じく10月18日付で辞職)。その際、2007年5月にJR東海の参宮線を2013年の式年遷宮前に廃線にし、伊勢市駅構内の車両基地を駐車場にする意向を発言して、物議を醸したこともあった。伝統企業の国際組織であるエノキアン協会会員企業である。 2013年2月28日には、新設のサッカー場「伊勢フットボールヴィレッジ」のピッチ2面とクラブハウスなどを伊勢市へ寄贈した。総事業費15億円中、13億円を赤福が負担している。2007年の当初計画では7面のピッチを計画していたが、次項の消費期限および製造日、原材料表示偽装事件により計画を中断。5面に縮小した上で、2011年より工事を再開して完成させた。『日本経済新聞』によると、サッカー場への出資は典保が主導で行った。 11代目・3代社長の濱田典保(益嗣の子)は2005年10月就任し、益嗣の辞職後は代表権を持ち名実ともに経営の実権を握った。このとき、外部から会長として玉井英二を迎えている。しかし2014年4月23日、赤福は臨時株主総会で典保を退任させ、益嗣の妻である勝子を後任社長に選任した。平取締役として赤福に留まっていた玉井も退任した。『毎日新聞』によると、関係者の話として、典保は「家業から企業へ」を掲げて近代的な企業経営への転換を図り、2008年に64億円だった売上高を2013年には92億円に押し上げたが、そこで従来の「家業型」経営を重視する益嗣と対立し、典保の実質的な解任劇に及んだという。典保は代表権のない会長に棚上げされた。赤福は社長交代について、4月23日付で「経営体制変更のため」と発表した。公式サイトでは、代表者・勝子は「代表取締役社母兼社長」という肩書で表示されている。 2017年開催の第27回全国菓子大博覧会・三重(お伊勢さん菓子博2017)では、濱田典保が実行委員長を務めた。赤福は、白小豆を使用した白い赤福とセットの「祝盆」などを限定品として販売した。典保によると、当初は津市での開催予定だったが、伊勢市への誘致に成功した。また、前回の第26回菓子博は伊勢市開催が内定していたが、赤福の偽装事件などの影響で開催できなくなり、広島市での開催に代わった経緯があったという。 同年11月24日付で、濱田益嗣が代表取締役会長に復帰した。関係者によると、同日の株主総会で、赤福の持株会社である濱田総業(濱田益嗣会長)より、益嗣の役員選任が提案され、承認された。勝子も引き続き代表権を持ち続ける。前会長の典保は顧問となった。 関連企業である酒造メーカーの伊勢萬が濱田益嗣の指示で長年にわたり、山口組系の指定暴力団に対して代紋入り焼酎を製造・販売していたことが発覚し、濱田益嗣が2020年1月16日付で代表取締役会長を再度退任していたことがテレビ東京などによる取材で判明した。その余波を受け、全国各地の物産展での販売中止が相次いでいる。さらに2020年2月27日のテレビ東京の報道にて、2012年12月時点で外部の弁護士から暴力団との取引について問題点を指摘されていたにもかかわらず、7年以上にわたって隠蔽していた事実が明らかとなった。 毎年正月早朝に東海テレビ制作・フジ系全国ネットで放送される「伊勢神宮雅楽」では、東海テレビのみ赤福1社提供となっている。
※この「企業としての赤福」の解説は、「赤福餅」の解説の一部です。
「企業としての赤福」を含む「赤福餅」の記事については、「赤福餅」の概要を参照ください。
- 企業としての赤福のページへのリンク