二代目君主アル=ムザッファルの時代(1045-1068)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 14:09 UTC 版)
「アフタス朝」の記事における「二代目君主アル=ムザッファルの時代(1045-1068)」の解説
彼の時代、バダホス宮廷は文化人で溢れかえった。好学の人であった彼は非常に大規模な百科事典を著したが、同時に詩人などを雇い入れ、アフタス朝の威を示そうとした。しかし政治的には相対的な小規模人口や周辺諸国の強大化(アッバード朝セビリア王国やズンヌーン朝トレード王国、更にはカスティーリャ=レオン王国など)により劣勢に立たされ、1050年から始まる戦争ではセビリア王国に大きな被害を与えられ、カスティーリャ・レオンには貢納金を強制されたうえ1064年に要衝コインブラを奪われてしまった。アル=ムザッファルの時代は文芸発展の時代であると共に、政治的・軍事的後退の時代でもあった。彼は1068年に亡くなるが、子ヤフヤーとウマルの間では権力闘争が生じている。
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