乾和信
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乾 和信(いぬい かずのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。山内一豊の家臣。のち山内姓を賜り山内彦作と名乗る。
- ^ 『御侍中先祖書系圖牒』による。
- ^ 『土岐・乾系譜』による。(ただし、同書は和信の生没年を一年錯誤し「天正14年11月29日卒于江州長濱、行年四十二」とするため、生没年はこれに依らず『御侍先祖書系図牒』に基づき記載した)
- ^ この紙製の陣羽織は乾彦作家に代々家宝として伝来し、現在は高知県立歴史民俗資料館の所蔵となっている。
- ^ 一豊の姉である「お通」の娘にあたる。
- ^ 『一豊公紀』には「1586年1月18日(天正13年11月29日) 於江州長浜宇内、大地震。山川転動裂壊家屋、顛潰長濱之御城殿崩、與禰姫様喪亡、御歳六歳。号光景妙円。是、見性院様御腹子也。此時、御家人乾彦作和信始数拾人死」とある。
- ^ 『新編美濃志』には土岐道謙の後裔に乾内記という名が見られる。
- ^ 『卵塔物語』乾常美編(所収『南国史談』第22号)
- ^ 養子。実は乾和成の外姓の従弟
- ^ 養子。実は田村亦兵衛の次男。母方は乾氏血縁
- ^ 乾重眞(丹七)の代に、乾和利(山内右近)と相談の上、奉行所の裁許を得て、乾氏に復姓
- ^ 養子。実は乾和公の次男
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