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世紀の一番とは? わかりやすく解説

世紀の一番

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:28 UTC 版)

安藝ノ海節男」の記事における「世紀の一番」の解説

1939年1月場所4日目1939年1月15日)、軍配が返るや突っかけ安藝ノ海頭を下げながら突っ張った双葉山小刻みに突っ張り返して応戦し、得意の右差し持ち込み右を覗かせてきた。左差し食い下がろう考えていた安藝ノ海目論見外れたが、逆に右前褌を取って食い下がる型に入った。両廻し取れない双葉山強引に右から掬ったが、逆に腰が伸びた土俵力士溜まり笠置山心中、「今だ、今だ!」と絶叫したという。なかなか安藝ノ海の脚が飛ばず後年あれだけ入念に作戦練って、まさにその通りになってもなかなか思い通りに行かないから相撲判らない。あの安藝ノ海をしてそうなのだから…」と述懐したが、ついにその左外掛け双葉山牙城崩し、二回目掬い投げ打とう双葉山右足踏み込んだ瞬間安藝ノ海左足飛んだぐらついた双葉山掛けられた足を振り払って起死回生右下投げを打つが、安藝ノ海右足一本でこらえて体を浴びせ遂に双葉山土俵中央倒れた世紀一瞬に、両國國技館大鉄傘が大歓声によって震えたという。この取組ラジオ実況担当していた和田信賢は、後ろの席控えていた山本照に「双葉確かに負けましたね?」と繰り返し確認した後、「双葉敗る!双葉敗る!双葉敗る!時に昭和14年1月15日旭日昇天まさに69連勝70連勝目指し躍進する双葉山出羽一門新鋭安藝ノ海屈す!双葉70連勝ならず!まさに70古来やはり稀なり!」と絶叫した。 かくて安藝ノ海双葉山70連勝阻止し一躍英雄となる。一番の後、行司部屋紋付着替えてニュース映画用のインタビュー受けて國技館出たが、部屋まで通常徒歩5分のところ、この日は双葉山倒した英雄一目見よう詰めかけた大観衆にもまれたことで部屋まで30分もかかり、到着時に足元を見る雪駄片方消えていたという。故郷広島には「オカアサンカツタ」の電報打ち実家には直接電話をして勝利を報告した実家ではラジオ勝利の報を聞いた家族が、全員歳している写真新聞載った)。この時、出羽海や、入門時世になった藤嶌からは、「勝って褒められるより、負けて騒がれるようになれ」と諭された。出羽海部屋の前では安藝ノ海見たさの観衆夜遅くまで立ち止まっていたため、安藝ノ海部屋2階から観衆の声に何度も手を振った。 この「世紀の一番」は大相撲史上最初号外として伝えられと言われているが、この号外紙面現存しない。

※この「世紀の一番」の解説は、「安藝ノ海節男」の解説の一部です。
「世紀の一番」を含む「安藝ノ海節男」の記事については、「安藝ノ海節男」の概要を参照ください。

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