下院選挙出馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:52 UTC 版)
1998年に地元のウィスコンシン州から下院選挙に出馬し、選挙戦は激戦だったが57パーセントの得票で勝利した。当選時は28歳で議会最年少であった。現在は7期目である。ジョージ・W・ブッシュ政権1期目に遺産税廃止を盛り込んだ1兆3000億ドル規模(原案は1兆6000億ドル規模)の大型減税が議会で論争となった際には賛成派の急先鋒として論陣を張った。ケンプ元下院議員の薫陶を青年時に受けた経緯があるためライアンは熱烈な歳出削減・減税派である。 2010年の中間選挙の際には共和党の選挙公約「アメリカとの誓約」の立案者の1人として作成に関与し、同年の与野党逆転へと繋げ、翌年には下院予算委員会の委員長に就任した。さらに2011年1月25日に行われたバラク・オバマ大統領の一般教書演説の際には、同大統領に対する反論演説を任されるほどになった(近年は、大統領の一般教書演説に対する反論演説を野党が行うことが定着しており、2009年の同大統領の施政方針演説に対する反論演説はルイジアナ州のボビー・ジンダル州知事が、翌2010年にはバージニア州のボブ・マクドネル州知事など、与野党のホープとされる人物が行っている)。また2011年の反論演説は、ライアンの他に同党のミシェル・バックマン下院議員が近年台頭するティーパーティー運動を代表して反論演説を行っている。
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