ワールドチャンピオンへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:11 UTC 版)
「ペター・ソルベルグ」の記事における「ワールドチャンピオンへ」の解説
ソルベルグのドライビングは荒々しく、それゆえ車を壊すことも多かった。その面はスバルに初のWRCタイトルをもたらしたコリン・マクレーと似ている。しかしスバルに加入して経験をつむうちに安定性が増し、確実に成績を残すようになっていく。2001年は、アクロポリスで初の2位表彰台を獲得。2002年の最終戦グレートブリテンにてマルコ・マルティンとの激戦の末、自身初優勝をあげ、シリーズランキングも2位になる。 2002年からの2年間は、4度のWRCドライバーズチャンピオンに輝いたトミ・マキネンをチームメイトに迎え、様々なことを教わった。2003年シーズンはそのマキネンを圧倒するようになり、マキネンはこのシーズンをもって引退を表明する。スバルのソルベルグとフォードのマルティン、シトロエンのセバスチャン・ローブらはWRCの世代交代を象徴する存在となっていく。 2003年はシーズン序盤は不振だったものの、中盤戦から勝利を重ねるようになり、カルロス・サインツ、セバスチャン・ローブ、リチャード・バーンズとの4つ巴のチャンピオン争いを展開する。最終戦グレートブリテンを迎える時点で獲得ポイントはローブとサインツが63点(勝利数の差でローブが首位)、ソルベルグが62点、バーンズが58点だったが、バーンズはラリー直前に脳腫瘍の病に倒れ欠場となった。ラリー本番ではサインツが初日にリタイアし、ソルベルグとローブの一騎討ちの様相となる。ソルベルグが持ち前の豪快な攻めでSSベストタイムを連発する一方、ローブはシトロエンのマニファクチャラーズタイトルがかかっていたこともあり、終盤は堅実な走りに徹するようになった。最終結果はソルベルグがシーズン4勝目を果たしローブは2位。獲得ポイントは72点対71点と1点差でソルベルグが逆転し、自身初のワールドチャンピオンを獲得した。
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