ヤン‐フス【Jan Hus】
読み方:やんふす
⇒フス
ヤン・フス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 04:45 UTC 版)
ヤン・フス(Jan Hus[1] [jan ɦus] ( 音声ファイル), 1369年頃[2] - 1415年7月6日)は、チェコ出身の宗教思想家、宗教改革の先駆者。ジョン・ウィクリフの考えをもとに宗教運動に着手し、ボヘミア王の支持のもとで反教権的な言説を説き、贖宥状を批判し、聖書だけを信仰の根拠とし、プロテスタント運動の先駆者となった。カトリック教会はフスを1411年に破門し、コンスタンツ公会議によって有罪とされた。その後、世俗の勢力に引き渡され、杭にかけられて火刑に処された[3]。
- 1 ヤン・フスとは
- 2 ヤン・フスの概要
- 3 生涯
- 4 フスの著作、教え
- 5 影響
- 6 出典
- 7 文献
ヤン・フス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 08:24 UTC 版)
リチャード2世がアン・オブ・ボヘミアと結婚すると、両国に交流が生まれ、ヨーロッパのこの地域にロラードの思想が齎された。チェコの聖職者ヤン・フスの教えは、ジョン・ウィクリフのものを基礎にしていたが、支持者のフス派は、ロラード派より大きな政治的影響力を保持することになった。フスはボヘミアで大きな支持を得て、1414年、自分の主張を弁護するためにコンスタンツ公会議への出席を求められた。1415年に異端として火刑に処せられると、チェコにおける民衆の騒乱に発展した。次のフス戦争は内輪もめに陥り、チェコの宗教的・国家的独立にはつながらなかったが、国内のカトリック教会やドイツ人は、弱体化した。
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