ポップオフバルブ
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ポップオフバルブ(adjustable pressure-limiting valve、一般にAPL弁と略され、ポップオフ弁、ポップ弁などとも呼ばれる)は、麻酔器の一部として用いられる流量調節弁の一種である。過剰な新鮮ガスと呼気ガスを呼吸回路から排出させるとともに、周囲の空気の回路内混入を防ぐ[1]。
- ^ a b c Baha Al-Shaikh; Simon Stacey (2013). “Breathing systems”. Essentials of Anaesthetic Equipment. Elsevier Health Sciences. pp. 55–73. ISBN 978-0-7020-4954-5
- ^ Steven M. Yentis; Nicholas P. Hirsch; James K. Ip (2013). “Adjustable pressure-limiting valves”. Anaesthesia and Intensive Care A-Z: An Encyclopaedia of Principles and Practice. Elsevier Health Sciences. p. 12. ISBN 978-0-7020-4420-5
- ^ Davis, Paul D; Kenny, Gavin N C (2003). “The Interrelationship of Pressure and Force”. Basic Physics and Measurement in Anaesthesia. Butterworth-Heinemann. p. 3. ISBN 978-0-7506-4828-8
- ^ “麻酔博物館設立10周年記念小冊子”. 公益社団法人日本麻酔科学会. 2023年2月9日閲覧。
- 1 ポップオフバルブとは
- 2 ポップオフバルブの概要
ポップオフバルブ
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「ブローオフバルブ」の記事における「ポップオフバルブ」の解説
ターボチャージャーを搭載したF1やインディカー、チャンプカー(CART, CCWS)では、過剰な過給圧を解放する機能のみを持つポップオフバルブ(英: PopOff-Valve, POV)と呼ばれる機構が採用されていた。 F1の場合には1987年から導入され、同年の作動圧力は4.0bar、翌1988年には2.5barとされてターボエンジンの過給圧を規制していた。しかし国際自動車スポーツ連盟(英語版)(FISA)から供給されたPOVは製造誤差により作動する圧力のばらつきがあり、導入当初は「最初から開きっぱなし」なものもあったほか、まともなものでも「4barまで持たず、3.6 - 3.7barぐらいでバルブが開く」状態だった。あまりの酷さに、ホンダでは一時独自にPOVを製造することを検討したほどである。ただし当時のF1においてまともに4barの過給圧を使えたのはホンダぐらいであったため、マクラーレン(当時はTAGポルシェユーザー)などは「うちには問題は出ていない」としてホンダの主張を否定するなど、POVの存在自体がレースの駆け引きの一つとなった。シーズン途中よりFISA供給のPOVが改良され「一応3.8 - 3.9barぐらいまでは持つ」ようになったため、多少状況は改善されたが、それでも完全に問題が解決することはなかった。F1では1988年を最後に一旦ターボエンジンが全面禁止されたため、POVは姿を消した。 インディカーでは1982年の中途よりPOVが採用された。1982年当時のインディカーは1970年代中盤より採用が広まったターボエンジンの熟成が進んでおり、F1で禁止されて以降も引き続き採用され続けたウイングカーのシャーシと相まって、インディアナポリスの予選単独走行で時速220マイル毎時(約350km/h)を越える速度域に到達していたが、同年5月の1982年のインディ500(英語版)予選にてゴードン・スマイリー、続く9月のプロビミ・ベール(英語版)・トニー・ベッテナウゼン(英語版)200(ミルウォーキー・マイル、現・ABCサプライ・ウィスコンシン250(英語版))にてジム・ヒックマン (ドライバー)(英語版)が相次いで事故死する悲劇を招いており、事態を重く見たUSACは速度抑制策の一環として簡素な構造でエンジン出力を抑制できるPOVの導入を決定、最高速度域は200マイル毎時(約320km/h)に落ち着いた。この後インディカーは1987年までは自然吸気エンジンのNASCARに最高速度域で並ばれる状況が続いたが、より安全性の高いカーボン・モノコック・シャーシの普及と共に再び最高速度は増加に転じていった。この時期のインディカーのドライバーはヘルメットにポップオフバルブ・チューブと呼ばれる管を取り付けていた。これはPOVの作動音をドライバーが直接聞き取る為の伝声管でもあった。オーバルトラックでの全開走行中、特にターンの中途で不意にPOVが作動した場合出力特性が急激に変化してマシンが挙動を乱す恐れがある為、ドライバーはPOVの作動音を聞く事でその兆候を把握する必要があった。1996年、インディカーはCARTと分裂し、2012年までは自然吸気エンジンが使用された為、ポップオフバルブは1996年のインディ500(英語版)を最後に使用されなくなった。 一方のチャンプカーでは、1996年の分裂以降2008年に競技カテゴリーが無くなるまでターボエンジンとともにPOVが引き続き採用された。ただ2001年のCARTシーズンでは、第7戦よりCART主催者が導入した新型POVについてトヨタのみが事前に情報を入手していた(というより開発そのものを委託されていた)ことから、ホンダ、フォードが反発しイベントの一部ボイコットに踏み切るなど、POVが混乱を招く要因となった。ホンダは2000年のCARTシーズンにおいてプレナム・チャンバー(英語版)(サージタンク)の開発に失敗して、何度かプレナムが破裂するエンジンブローを起こしており、プレナムの改良を進める過程でインテークの全長を3インチ伸ばすという解決策を編み出した。この改良によりPOVの作動タイミングをずらす効果が生まれ、他のメーカーに比べて約75馬力の出力向上の恩恵を得る事になった。このある種の不正を行っている情報を入手したTRDチーフ・エンジニアのリー・ホワイトは、POVに3/4インチのスペーサーを取り付ける「改良策」をCARTに提示した。これはホンダのアドバンテージを事実上無にするに等しい「改良」であり、ホンダはフォード・コスワースを巻き込む形でCARTに激しく抗議するもCARTの裁定はトヨタ有利に進んだ為、ホンダは翌2002年のCARTシーズンを最後にインディカーへ転向する。2003年にはトヨタもインディカーへ転向し、CARTは衰退の一途を辿った。ESPN.comの記者、ジョン・オレオヴィクズは「ターボ・ゲート」と呼ばれた一連の騒動にCART主催側が主体的な立場で裁定を下せなかった事も要因となって、F1に匹敵する程のエンジン費用の高騰とチャンプカーのシリーズとしての基盤の弱体化を招き、ひいてはインディカーに対する最終的な敗北を喫する事になったと結論づけており、2012年にターボエンジンの再導入を決定したインディカーはこのCARTの失敗を踏まえて過給圧は統一されたECUで制御する構造とし、POVを再び採用する事はなかったとしている。
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