ヘロデ神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 17:23 UTC 版)
ヘロデ王の下での神殿の再建は神殿の丘の大規模な拡張から始まった。宗教的な崇拝と神殿での儀式は神殿の再建が行われる中、続けられた。ユダヤ属州の大規模な反乱(ユダヤ戦争)の後、70年のエルサレム攻囲戦においてティトゥス率いるローマ軍団によって神殿は破壊された。これを記した最も完全な古代の記述はヨセフスのユダヤ戦記である。後のローマの属州総督は神殿の遺構を使って宮殿やユピテルの神殿、ビザンティン教会を築いた。そのような神殿の遺構は、687年から691年の間に岩のドームが建設されるまで解体されずに残っていた。祭壇に加え、岩のドームに繋がる階段(岩のドームはヘロデ以前からある神殿の丘の祭壇の壁の頂上に作られている)を含む地上に出ている神殿の遺構はいくつか残っている。 神殿自体は、今日岩のドームがある場所に建てられており、出口の門はアル=アクサー・モスクの近くにあった。
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