ヘロデ朝
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ヘロデ朝(ヘブライ語:בית הורדוס、英語: Herodian Dynasty、紀元前37年 - 92年頃)は、パレスティナ・ユダヤ地区に成立された、エドム人系の国家である。ハスモン朝の断絶後に古代ローマ(共和政ローマおよびローマ帝国)よりユダエア属州の統治を委任された。ここでイエス・キリストが生まれた。
- ^ ローマ時代ルグドゥヌムと呼ばれる町は複数あり、とくに有名なのがガリア・ルグドゥネンシス属州の州都で現在のリヨンだが、他にイスパニアとの国境であるピレネー山脈北の町(ルグドゥヌム・コンウェナールム)があり、『ユダヤ戦記』II巻9章6節は写本によりこの都市の場所を「イスパニア(スパニア)」と読めるものがあることから、ヨセフスはこのガリアとイスパニア国境の町の方を話していて、国境の位置を間違えイスパニア側だと思っていて後で訂正したのではないかとシューラーは註で説明している。((シューラー2012-12) p.88註41)
- ^ 上述の領主となった3人の息子の異母兄アリストブロス4世の子、アリストブロス本人はヘロデの生前中に処刑されている。
- ^ 『ユダヤ戦記』II巻11章5節-6節・12章1節、『ユダヤ古代誌』XVIII巻5章4節・XX巻5章2節
- ^ 『ユダヤ戦記』II巻11章6節-12章1節・12章8節、『ユダヤ古代誌』XX巻7章4節
- ^ 『ユダヤ戦記』II巻13章2節、『ユダヤ古代誌』XX巻8章4節
- ^ ただしフェニキアにもカルキスがあるので同名の別の領主という可能性もある。
- ^ (シューラー2012-12) p.368-369
- ^ ヘロデ大王の息子アリストブロス4世の同腹の兄弟、アグリッパ1世やカルキスのヘロデの伯父。アリストブロスとともにヘロデ生前中に処刑。
- ^ 『ユダヤ戦記』II巻11章6節
- ^ a b 『マルコの福音書』6章17節ではへロディアの前夫を『ピリポ(フィリッポス)』とあるが、ヨセフスの著書『ユダヤ古代誌』第18巻5章4節ではへロディアの夫はヘロデ(大祭司の娘のマリアンメの子、フィリッポスのさらに下の弟。)でサロメが四分領太守フィリッポスの妻としており、エミール・シェーラーの『イエス・キリスト時代のユダヤ民族史』によると内容的に後者の方が正しいとしている。
なお、大祭司の娘のマリアンメの息子も「フィリッポス」という呼ばれ方をされていたなら両資料で名前が違うことの両立ができるが、「他にヨセフスと新約聖書の記述で呼ばれ方が大きく違う人物が珍しく、兄弟で同名(「ヘロデ」は家名なのでこれとは別)というのもさらに奇妙な事」とある。((シューラー2012 II) p.76・83註19)
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