ヘイムスクリングラとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書

ヘイムスクリングラとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ヘイムスクリングラの意味・解説 

ヘイムスクリングラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/06 01:53 UTC 版)

ヘイムスクリングラ古ノルド語: heimskringla、「世界の輪」[1]、「世界の環」[2]の意)は、1220年代か1230年代初頭にアイスランドスノッリ・ストゥルルソンが編集したと言われているノルウェーサガ集の総称である。 この題名はのちにユングリング家のサガの冒頭の語からつけられたとされている。スノッリによる序文に続いて、スウェーデンの伝説上の王家であるユングリング家 (Ynglingar) に始まる16編のサガで構成される[1]。 神代の物語から始まって10世紀11世紀を経て12世紀の歴史で終わる。


注釈

  1. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『ユングリンガサガ』。『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ユングリンガ・サガ』。
  2. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『ハルヴダン黒王のサガ』。
  3. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題および『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド美髪王のサガ』。
  4. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』と『サガ選集』での日本語題および『オージンのいる風景』253頁掲載の日本語題は『ハーコン善王のサガ』。
  5. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『灰色マントのハラルド王のサガ』。『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド灰色外套王のサガ』。
  6. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (二)』での日本語題は『オーラヴ・トリュッグヴァソンのサガ』、『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』。
  7. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -』二および三、および『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『オーラヴ聖王のサガ』。
  8. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (三)』での日本語題は『マグヌース善王のサガ』。
  9. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『ハラルド苛烈王のサガ』。
  10. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈無口のオーラヴ王〉のサガ』。
  11. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈素足のマグヌース王〉のサガ』。
  12. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『マグヌースソンのサガ』。
  13. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈盲目のマグヌース〉とハラルド・ギリのサガ』。
  14. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『ハラルドの子のサガ』、『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド王の息子たちのサガ』。
  15. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈広肩のハーコン王〉のサガ』、『オージンのいる風景』253頁掲載の日本語題は『ハーコン広肩王のサガ』。
  16. ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『マグヌース・エルリングスソンのサガ』。
  17. ^ a b c d プレスポート・北欧文化通信社の概要”. プレスポート・北欧文化通信社. 2016年2月28日閲覧。
  18. ^ a b c d 2022年3月現在、Amazon.co.jpでは第3巻以外紙書籍版と別ページとなっているためASINを併記。
  19. ^ 2010年5月の誤植があり訂正[3]

出典

  1. ^ a b 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』15頁。
  2. ^ V.G.ネッケル他編『エッダ 古代北欧歌謡集』(谷口幸男訳、新潮社、1973年、ISBN 978-4-10-313701-6)301頁。
  3. ^ ヘイムスクリングラ : 北欧王朝史”. CiNii 図書. 2016年2月28日閲覧。


「ヘイムスクリングラ」の続きの解説一覧

ヘイムスクリングラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:03 UTC 版)

ワルキューレ」の記事における「ヘイムスクリングラ」の解説

『ヘイムスクリングラ』最後方に収められた『肩広のホーコン王のサガ』には、10世紀スカルド詩人である剽窃者エイヴィンドの『ハーコンの言葉』が載っている。サガノルウェー王ハーコン1世戦死を語るもので、彼は、キリスト教徒ありながら異教徒の中で」死ぬがゆえに「ふさわしいと思う場所に埋葬してくれ」と頼んだ伝える。ハーコンは自らが生まれた石の板の上倒れやいなや、友や仲間からその死を惜しまれた。友人はその遺骸を北ホルダランに運び武装させたまま副葬品なく巨大な塚に埋葬したという。続いて、「異教徒習慣従い墳墓には言葉かけられ、彼らは王をヴァルホルへと送り出した」という記述がある。『ハーコンの言葉』はその後置かれている。 『ハーコンの言葉』において、オージン二人ヴァルキュリャゴンドゥルスコグル送り出しヴァルハラ住まうべき者を「諸王血族から見繕う」よう命じる。戦い意味するスコグルの嵐」というケニング用いて描写される大勢が死ぬ大きな戦い(フィチヤールの戦い)が起こる。ハーコンとその兵は戦死するが、そのときの柄に寄りかかるゴンドゥルの姿を見る。「ハーコンよ、神々配下はさらに栄えよう。汝が聖なる神の王の御下住まうことを命じられるがゆえに」とゴンドゥル告げると、ハーコンはそれを聞いたヴァルキュリャは「兜と盾を身に着け青毛の馬に勇ましく跨る」姿として描かれる続いてハーコンスコグルの短い会話なされる。 Hákon said: "Why didst Geirskogul grudge us victory? though worthy we were for the gods to grant it?" Skogul said: "'Tis owing to us that the issue was won and your foemen fled." スコグルは、「神の王が住まう緑の家に」駆け戻り、王がヴァルホル来たる旨をオージン伝え上がる述べる。詩は続きハーコンヴァルホルエインヘリャル一員となって大狼フェンリルとの戦いを待つ。

※この「ヘイムスクリングラ」の解説は、「ワルキューレ」の解説の一部です。
「ヘイムスクリングラ」を含む「ワルキューレ」の記事については、「ワルキューレ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ヘイムスクリングラ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヘイムスクリングラ」の関連用語

ヘイムスクリングラのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヘイムスクリングラのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヘイムスクリングラ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのワルキューレ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS