ヘイムスクリングラ
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ヘイムスクリングラ(古ノルド語: heimskringla、「世界の輪」[1]、「世界の環」[2]の意)は、1220年代か1230年代初頭にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが編集したと言われているノルウェーの王のサガ集の総称である。 この題名はのちにユングリング家のサガの冒頭の語からつけられたとされている。スノッリによる序文に続いて、スウェーデンの伝説上の王家であるユングリング家 (Ynglingar) に始まる16編のサガで構成される[1]。 神代の物語から始まって10世紀、11世紀を経て12世紀の歴史で終わる。
注釈
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『ユングリンガサガ』。『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ユングリンガ・サガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『ハルヴダン黒王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題および『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド美髪王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』と『サガ選集』での日本語題および『オージンのいる風景』253頁掲載の日本語題は『ハーコン善王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』での日本語題は『灰色マントのハラルド王のサガ』。『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド灰色外套王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (二)』での日本語題は『オーラヴ・トリュッグヴァソンのサガ』、『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『オーラヴ・トリュッグヴァソン王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 -』二および三、および『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『オーラヴ聖王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (三)』での日本語題は『マグヌース善王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『ハラルド苛烈王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈無口のオーラヴ王〉のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈素足のマグヌース王〉のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『マグヌースソンのサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈盲目のマグヌース〉とハラルド・ギリのサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『ハラルドの子のサガ』、『オージンのいる風景』252頁掲載の日本語題は『ハラルド王の息子たちのサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『〈広肩のハーコン王〉のサガ』、『オージンのいる風景』253頁掲載の日本語題は『ハーコン広肩王のサガ』。
- ^ 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (四)』での日本語題は『マグヌース・エルリングスソンのサガ』。
- ^ a b c d “プレスポート・北欧文化通信社の概要”. プレスポート・北欧文化通信社. 2016年2月28日閲覧。
- ^ a b c d 2022年3月現在、Amazon.co.jpでは第3巻以外紙書籍版と別ページとなっているためASINを併記。
- ^ 2010年5月の誤植があり訂正[3]。
出典
- ^ a b 『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 (一)』15頁。
- ^ V.G.ネッケル他編『エッダ 古代北欧歌謡集』(谷口幸男訳、新潮社、1973年、ISBN 978-4-10-313701-6)301頁。
- ^ “ヘイムスクリングラ : 北欧王朝史”. CiNii 図書. 2016年2月28日閲覧。
- 1 ヘイムスクリングラとは
- 2 ヘイムスクリングラの概要
- 3 参考文献
ヘイムスクリングラ
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『ヘイムスクリングラ』の最後の方に収められた『肩広のホーコン王のサガ』には、10世紀のスカルド詩人である剽窃者エイヴィンドの『ハーコンの言葉』が載っている。サガはノルウェー王ハーコン1世の戦死を語るもので、彼は、キリスト教徒でありながら「異教徒の中で」死ぬがゆえに「ふさわしいと思う場所に埋葬してくれ」と頼んだと伝える。ハーコンは自らが生まれた石の板の上で倒れるやいなや、友や仲間からその死を惜しまれた。友人はその遺骸を北ホルダランに運び、武装させたまま副葬品なく巨大な塚に埋葬したという。続いて、「異教徒の習慣に従い墳墓には言葉がかけられ、彼らは王をヴァルホルへと送り出した」という記述がある。『ハーコンの言葉』はその後に置かれている。 『ハーコンの言葉』において、オージンは二人のヴァルキュリャ、ゴンドゥルとスコグルを送り出し、ヴァルハラに住まうべき者を「諸王の血族から見繕う」よう命じる。戦いを意味する「スコグルの嵐」というケニングを用いて描写される、大勢が死ぬ大きな戦い(フィチヤールの戦い)が起こる。ハーコンとその兵は戦死するが、そのとき、槍の柄に寄りかかるゴンドゥルの姿を見る。「ハーコンよ、神々の配下はさらに栄えよう。汝が聖なる神の王の御下に住まうことを命じられるがゆえに」とゴンドゥルが告げると、ハーコンはそれを聞いた。ヴァルキュリャは「兜と盾を身に着け、青毛の馬に勇ましく跨る」姿として描かれる。続いてハーコンとスコグルの短い会話がなされる。 Hákon said: "Why didst Geirskogul grudge us victory? though worthy we were for the gods to grant it?" Skogul said: "'Tis owing to us that the issue was won and your foemen fled." スコグルは、「神の王が住まう緑の家に」駆け戻り、王がヴァルホルに来たる旨をオージンに伝えに上がると述べる。詩は続き、ハーコンはヴァルホルのエインヘリャルの一員となって大狼フェンリルとの戦いを待つ。
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