ブロワ家
ブロワ朝(無政府時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 03:30 UTC 版)
「ノルマン朝」の記事における「ブロワ朝(無政府時代)」の解説
詳細は「無政府時代 (イングランド)」を参照 ヘンリー1世は早世したウィリアム以外に正嫡の男子がなかったため、その死後にヘンリーの姉アデラの子であるブロワ伯家のエティエンヌがフランスからロンドンに入り、諸侯の支持でイングランド王スティーブンとして即位した。これをブロワ朝と呼ぶが、歴史書によってはノルマン朝の一部として扱われることもある。 スティーブン(1135年 - 1154年) ヘンリー1世自身は生前に娘マティルダを後継者に指名しており、マティルダはスティーブンの即位を不当として両者の間で内戦となり、イングランドは無政府時代を迎えた。スティーブンがマティルダの子アンジュー伯アンリを後継者とすることで和平が成立し(ウォーリングフォード協定)、スティーブンの死後にアンリがヘンリー2世として即位してプランタジネット朝が始まった。
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