ブルームズベリー‐グループ【Bloomsbury Group】
ブルームズベリー・グループ
ブルームズベリー・グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 15:15 UTC 版)
「ヴァージニア・ウルフ」の記事における「ブルームズベリー・グループ」の解説
父が亡くなり、ウルフが二度目の神経痙攣を起こしてから、ヴァネッサとエイドリアンはハイドパークゲート22番地の家を売却してブルームズベリー地区のゴードンスクエア46番地に家を買った。ここで、ウルフはリットン・ストレイチー 、クライヴ・ベル、ルパート・ブルック、サクソン・シドナー=ターナー、ダンカン・グラント、レナード・ウルフ、ロジャー・フライら、ブルームズベリー・グループとして知られる著述家や芸術家の知的サークルの中心人物たちと知り合った。このうち数人のメンバーは1910年の偽エチオピア皇帝事件に加わり、ウルフはこの時、アビシニアの王族の男性に扮装した。この件についてウルフが1940年に行った発言記録が発見され The Platform of Time (増補改訂版) (2008年)に収められている。1907年、ヴァネッサはクライヴ・ベルと結婚した。二人の前衛芸術への関心はウルフの作品に重要な影響を与えたものと思われる。 ウルフは1912年、作家のレナード・ウルフと結婚した。レナードの不自由な経済状態にもかかわらず(婚約中ウルフはレナードのことを「文無しのユダヤ人」と呼んでいた)二人は強い絆で結ばれていた。事実、ウルフは1937年の日記に「愛しあうこと。結婚後25年がたった今でも別れることは耐えがたい…求められるととても嬉しい。妻であること。私たちの結婚はこんなにも完璧なのだ」と記している。仕事の上でも二人は1917年にホガース・プレスを共同で始め、ともに働いた。ホガース・プレスはウルフの小説、T・S・エリオット、ローレンス・ヴァン・デル・ポストなどの著書を出版した。またドーラ・キャリントンやヴァネッサ・ベルなど同時代の芸術家にも仕事を発注した。 ブルームズベリー・グループは性の問題について進歩的な立場をとっていた。1922年、ウルフはハロルド・ニコルソンの妻、著述家で園芸家のヴィタ・サックヴィル=ウェストと出会う。二人はためらいがちに付き合い始め、性的な関係を持つようになったが、サックヴィル=ウエストによるとそれは2度だけだったとのことである。ウルフはサックヴィル=ウエストに『オーランドー』を捧げた。これは、3世紀の時間と男女の性を越えた主人公オーランドーの奇妙な伝記である。ヴィタ・サックヴィル=ウエストの息子のナイジェル・ニコルソンは「ヴィタのヴァージニアへの影響はすべて『オーランドー』に書かれている。文学史上最も長く、最も魅力的なラブレターである。この中でヴァージニアはヴィタを探求し、数世紀にわたる物語の中にヴィタを織りこみ、自在に操って両方の性を超えさせ、ヴィタと楽しみ、ヴィタに毛皮やレースやエメラルドを付けさせ、悩まし、翻弄し、そして、ヴィタのまわりに霧のヴェールを投げかけた」と書いている。恋愛関係が終わった後も2人の女性は1941年にウルフが亡くなるまで友人であり続けた。ヴァージニア・ウルフは弟のエイドリアン、姉のヴァネッサとも親しくつき合い続けた。兄のトビーは26歳の時病死した。 また、『源氏物語』の抄訳(1921-1933年)で知られるアーサー・ウェイリーもブルームズベリー・グループの一員で、ウルフも『ヴォーグ』の1925年7月号に『源氏物語』を評した文章を発表している。
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