ピプコルン戦闘団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 16:04 UTC 版)
「第35SS警察擲弾兵師団」の記事における「ピプコルン戦闘団」の解説
4月23日、すでにベルリンでは市街戦が行われていたが、ピプコルン戦闘団はリュッベン(ドイツ語版)へ反撃を行い、多大な損害を追いつつもリュッベン西駅の奪還に成功した。しかし、この時点で苦しい防衛戦を展開していた第9軍は上位組織ヴァイクセル軍集団より西へ脱出するよう命令を受けていた。そのため、第9軍司令官テオドーア・ブッセ大将は防衛線南方で唯一活動することが可能であったピプコルン戦闘団らを主力として、バールート方面へソビエト防衛線を突破させることを決定した。 4月25日、ピプコルン戦闘団は激しい戦いを行いつつもドルンスヴァルデ(ドイツ語版)まで進出、しかし後続部隊が赤軍に撃退され、孤立してしまう。そこへ第二十一装甲師団から編成され、ピプコルン戦闘団とは別に北方で突破作戦を行っていたルック戦闘団が合流してきた。戦力は増えたものの赤軍の攻勢は止むことなく、ついにピプコルン師団長も戦死してしまう。指揮官を失ったピプコルン戦闘団はルック戦闘団の指揮下に入り、共に北方からバールートへ攻撃を行ったが失敗した。翌日にはソ連側に援軍が大量に到着、突破する見込みは消えた。戦況は絶望的となり、ついに4月26日夜、ルック大佐はもはや弾薬も燃料も尽きようとしている状況から、戦闘団の将兵にどのような損害を出しても省みずに西のエルベ川へ脱出するよう命令、両戦闘団は解散した。 ルック大佐は少人数で第9軍に合流しようとしたが、4月27日にソビエト赤軍に降伏した。戦闘団の将兵はほんの一握りがアメリカ軍の捕虜となることができたが、ほとんどがバールート近郊での戦闘で戦死するか捕虜となった。
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