パヴィア大学
パヴィーア大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 01:59 UTC 版)
1361年創立。825年に記録が残された修辞学学校がもととなった。チェントラーレは15世紀から19世紀にかけ12の区画でつくられた広いレンガづくりのものである。均斉のとれたファサードの変化は、バロック様式から新古典主義建築にかけてのものである。大階段、アウラ・フォスコロ、アウラ・ヴォルタ、アウラ・スカルパ、アウラ・マーニャも、新古典主義建築である。スピリティ・マニのコルティーレ(Cortile、中庭)は、大学の重要な学者や卒業生たちの像を所蔵する。古い墓碑と14世紀から16世紀の学者の墓石は、ヴォルティアーノのコルティーレの壁に塗り込められている(そのほとんどは打ち捨てられた教会から持ち込まれた物である)。マニョリエのコルティーレは、古い劇場土間をもつ。ルドヴィーコ・イル・モーロのコルティーレは、ルネサンスの涼み廊とテラコッタ装飾がある。どちらの区画もさらに2箇所と同様、旧オスペダーレ・ディ・サン・マッテオの回廊である。大学付属植物園(Orto Botanico dell'Università di Pavia)がある。
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