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パウロ自身が記した書簡に見るキリスト信仰とは? わかりやすく解説

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パウロ自身が記した書簡に見るキリスト信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 21:42 UTC 版)

パウロ」の記事における「パウロ自身が記した書簡に見るキリスト信仰」の解説

年代順にみると、新約中で最も古い書簡とされるテサロニケ人への第一の手紙生前ナザレのイエスとの間には、初期エルサレム教会より伝わる伝承存在したとされるその伝承の中には信仰告白定型呼ばれるものがあり、書簡の中でパウロが、ナザレのイエス生き返った表明している箇所については、この伝承に基づいているとされている。。パウロにとっては、すでに死去したナザレのイエス直接自身内的な啓示によって通信してきた体験イエスキリストであるという信仰に至るきっかけとなった盲目からの奇跡的回復という話は自身記していないことから、キリストイエスであった考えようになったのは、イエス名乗る存在内的な啓示と、第三の天にまであげられたというある人の天界体験とが原因として読み取れるガラテヤ人への手紙1:16によれば啓示神の御子現れるのをよしとしたのは神であり、その啓示仕方は、パウロ自身内側御子啓示されたというものであった手紙文面では、生前イエス関連づけて理解したものではなくキリストとはユダヤ教の神からくるものであり、それは、これまで自分迫害していた集団イエス呼ばれていた者であった、というくらいの内的な転換であったそののちパウロは、ただちに使徒の住むエルサレム赴くことはせずアラビア行き実行した記していることからも、使徒たち伝承してきている話を精査してゆく方向にはすすまなかった。むしろ後年使徒会議における使徒たち割礼こだわっていた)のことを、かの「大使徒たち」と呼ぶような関係にあった手紙の中で、自分その人たちに何ら劣っていないとパウロ表明している。そのことから見てパウロ使徒たち伝承してきてい教えには、批判的なところも感じていたようである。後年使徒会議のためにエルサレム赴いたときは、啓示によってエルサレムに行くことになった記していることや、自身ユダヤ教において卓越していて、父祖たちの伝承に熱心であり、民族中でも勝っていたと自分位置付けていたことも、自分大使徒たちに何ら劣っていないとする自信の裏づけとなってたようだまた、当時教会中には第一に使徒たち第二預言者たち、第三教師たちがいて、次に力ある業、次に癒し賜物補助働き指導能力種々の異言などの順列があったとパウロはしている。これらは聖霊による恵み賜物であると記されている。当時聖霊世の終わりに神から与えられる信じられていた救いの霊と考えられていた。しかし、世の終わりでもないのに聖霊現象信者出現したのは、終末賜物先取りであり、「霊の手付金」であると信者によって受け止められていた。そしてそれらはキリストの復活現実のものとなった、という解釈教会内においてなされていた。初期エルサレム教会伝わっていた伝承予言はいくつかあり、大使徒の話を聞くことは無くても、そうした伝承にはパウロ影響受けていたと思われるそうしたことからパウロテサロニケ第一の手紙において、復活したイエスキリストであり、復活世の終わり現実ものとするものであり、彼は自らの啓示現れユダヤ教キリストであった記したパウロは、自分生きているうちにやってくる主の来臨時には啓示出現したキリストによって生き残ったままで救われることになったという信仰奥義として信者説いていた。50年ころ、パウロテサロニケ信者の手紙の中で、下記のような終末観表明している。生きているうちに主の来臨がおきる。生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。生きているうちによみがえった死人眠っていた人たちが天に上げられる生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる。 パウロユダヤ教時代から、分派嫌ったイエスユダヤ教言われるところのキリストだとする集団迫害したのも、パリサイ派としてユダヤ教の中の一派としての異端排除しようとした行為である。後世においてキリスト教国教化された後にも継承されてゆく分派異端排斥は、ナザレのイエス分派異端仲間として容認したこととは、大きく異なっている。ナザレのイエス信仰していたのは平和の神であるとされていて、パウロ手紙において平和の神という語を多用していたけれど、異端者に対して平和的でなかった。。イエス啓示受けて回心したとされた後でも、その排他性異端排斥性に変化はなかった。手紙の中では、呪ってはならないという指導信者に対してなしているが、これは内的な啓示受けた言葉そのまま繰り返しただけのようである 。異邦人への伝道をするようになっても、党派心分裂分派為す者は神の国受け継ぐことはないと説いている。そして、自らの異邦人への伝道を「キリスト福音」であるとして、キリスト福音変質しようとするに対して呪いの言葉記している。 パウロナザレのイエス教説異なっている点は、異端排斥並んで終末観あげられるナザレのイエス直接語った終末観とは、マルコ福音書1332にある「かの日ないし〔かの〕時刻については、誰も知らない。天にいるみ使いたちも、子も知らない。父のみが知っている」、という記述であるとされている。なお、マルコ福音書出てくる終末については、エルサレム神殿崩壊世の終わり出来事理解する筆者見方や古い注によって編集されており 不明瞭な記述となっている。世の終わりについて、ナザレのイエス天のみ使いさえも計り知ることのできないほどの深遠な事態であるとしているのに対してパウロは、自分生きているうちに主の来臨の時はやってくるとしていた。。一方ヨハネ福音書イエス終末観と共通の部分があると思われ世の終わり裁きの時という概念明瞭になっていない人々イエス啓示に対して下す判断が、その人運命決定するとされ、悪人裁いて滅ぼすためではなく、救うために布教していることが記されている。ヨハネ福音書では、裁きはもう来ているとされていて、この世支配者はすでに裁かれともされている。ちなみにこの世支配者対する、裁きの時がすでに来ている例としては、聖霊冒涜するものは永遠の罪に定められる、とするイエス教説、があげられる。これはキリスト信者激しく迫害していたと述懐していたパウロにも十分当てはまる罪であった考えられるユダヤ教徒が、ユダヤ教精通し、義を求めて熱心に信仰しているというだけで、聖霊冒涜永遠罪を犯すリスクさらされるということは不可思議なことである。また、永遠の罪というのは、原罪という枠組み超えていて、かつ日常的な精神の悪であるようにも見える。罪からの救い求め信仰義認論を説いていたパウロは、書簡の中で、自分救われるためには、あるいは救い経験があったのは、信仰だったということ述べている。

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