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バーミンガム・ミッドランド音楽院とは? わかりやすく解説

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バーミンガム・ミッドランド音楽院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/17 17:46 UTC 版)

ラトランド・ボートン」の記事における「バーミンガム・ミッドランド音楽院」の解説

バーミンガム在住時(1905年から1911年)のボートンは、多く新たなチャンス恵まれ、また数多く友人出会っている。彼は優れた教師として、また傑出した合唱指揮者として頭角現していき、それによって高い名声勝ち得た。彼はジョン・ラスキンウィリアム・モリスエドワード・カーペンタージョージ・バーナード・ショーらの著作通じて社会主義思想傾倒していく。その後ショーとの関係は生涯にわたる付き合いへと発展するが、それはボートンショーにあるオペラへ協力呼びかけショー断られたことに端を発するのだった当初ショーボートンあらゆる音楽関わることを拒絶したが、これに対してボートン諦めことなく呼びかけ続けた。ついにショー2人の間に共通点見出すようになり、これがそれ以降消えことはなかったのである加えて後年彼の伴侶として、さらに芸術面で彼の右腕」としてグラストンベリーでの企画に加わることになる、若い美術学生のクリスティーナ・ウォルシェ(Christina Walshe)と親交育むのもこの時期であったボートン独学学び深め発展させてきていたが、そうする中で生涯にわたって持ち続けるある芸術上の目標行き当たった若い頃、彼は14日間に及ぶキリスト生涯に関する劇を構想していた。劇中では演劇が行われるのはオーケストラ中央配され小さな舞台の上で、ソロ合唱演技注釈をつけるという形式想定されていた。この構想実現しなかったものの、彼は着想自体捨てずにおいていた。1907年までにボートンワーグナー理論と実践触れ、またそれが教会によるキリスト教信仰捉え方幾分間違っているという彼の個人的な見解相俟って、彼は次なる題材であるアーサー王へと軸足移していった。バイロイト音楽祭の「ニーベルングの指環」を土台とし、若き詩人であったレジナルド・バックレー(Reginald Buckley)が記したArthur of Britain」の発想並んでボートン新たなオペラ形式提案し、後に自らこれを「合唱choral drama」と呼んだこうした点からボートン、バックレー、ウォルシェの3人の仲間劇作国民的祭典創設を望むようになるロンドンロイヤル・オペラ・ハウス確立されオペラ演目にとっては理想的な会場であったが、ボートンとバックレーの計画には適していないということわかった。そこで、彼らは自ら劇場建設するとともに協力し合い共同体作り上げるべく才能ある地元人間起用することに決めた当初ハートフォードシャー州レッチワースプロジェクト適した土地であると見込まれたが(当時美術工芸運動が重要であった)、その後彼らはアーサー王永眠の地であるとの説が有力で、王の伝説根付く地域であるサマセット州の町グラストンベリー落ち着いたその頃指揮者ダン・ゴドフリー英語版)と彼が率いボーンマス交響楽団新しイングランド音楽支援する活動名声博していた。そうして、ボーンマスにおいてボートンアーサー王シリーズ第1作目である「The Birth of Arthur」が初演される運びとなったのであるボーンマスでは他にもボートンの「交響曲第2番」が初演されオペラ「The Queen of Cornwall」が初め管弦楽伴って上演された。この演奏会にはオペラ題材となった詩の作者であるトーマス・ハーディ出席していた。

※この「バーミンガム・ミッドランド音楽院」の解説は、「ラトランド・ボートン」の解説の一部です。
「バーミンガム・ミッドランド音楽院」を含む「ラトランド・ボートン」の記事については、「ラトランド・ボートン」の概要を参照ください。

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