バプテスト継承論の提唱者
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「バプテストの継承性」の記事における「バプテスト継承論の提唱者」の解説
ジョン T.クリスチャンの「バプテストの歴史」は、均衡のとれた継承論者の立場から一般的なバプテスト史を著作している。 J.M.キャロルの「血まみれの道」は、初めは1931年に出版され、これまでも出版され続けられているポピュラーな小冊子である。 それは、キャロルを通して語られた「バプテストの永続性と迫害」という主題の講演会に基づいている。 この他の、当時の迫害の様子を唱えていたバプテストの著者は、トーマス・クロスビー、G.H.オーチャード、J.M.クランプ、ウィリアム・キャスカート、アダム・テイラー、そしてD.B.レイである。 マーサー大学(米国ジョージア州)の同名の人である、ジェシー・マーサー(Jesse Mercer)は、1811年にジョージア・バプテスト連合会に宛てた回状に書き送った。 その中で彼は、バプテストの継承性に基づく立場から、異質な浸礼(洗礼)による“バプテストの拒絶”を弁護した。 彼は、こう書いた: 『・・・ひとこと言わせてもらうならば、カトリックの主張する使徒継承は歴史的に確証できません。 それなら使徒継承を省いて信心するのは妥当なことです。 使徒継承が失われることは、それが役に立たないという証明ではないし、使徒継承を除いたどれかが正しいことの証明にはならないのです。 彼ら自らの歴史観による“幼児洗礼”は、彼ら自らにおいて歴史的に根拠のないことを認めています。 然るに、我らは幼児洗礼を執行しないし、逆説がはっきり示されるまで彼らに主張する権利を与えることを、我らのうちで思い起こすでしょう。 聖福音による聖体拝領を執行するための十分に適格な条件として『娼婦の母』(MOTHER OF HARLOTS)に起源があることを論拠として考慮すべきです。 彼らは、我らの信仰がむしろキリストに起源があるので、我らを非難することなくいかにも寛大でしょう。 また、かの教会法発布を弁護するのはいかにも愚かしいでしょう、特異な教えを容認するのはもう十分です。 我らは教会法の行使がいったい何なのか示唆するために、彼らから去ります。 さらに、なぜ教会法が存在するのかですが。 儀式の執行は福音の中に模範となるものがないので、もうそれで十分だと思って下さい。 彼らは、とがめなく神の御心に従って信心し、我らを黙認するでしょう。』 バプテストの永続性は、名高い英国のバプテスト説教者チャールズ・スポルジョン(Charles Spurgeon)によっても擁護された。 彼の言葉によると: 『バプテストはキリスト教の原型であることを、我らは信じる。 我らは宗教改革によって存在するようになり開始されたのではなかった。 我らは決してローマの教会から枝分かれして来たのではなく、かつてそこに居たというわけではない。我らはルターやカルヴァンが生まれる以前からの宗教改革者であった。 しかるに我らは使徒たち自らより継承した途切れることのない連鎖を保持している。 我らは常にキリストの頃から現存していた、そして我らの信仰の原理は、ほんの少しの季節だけ地表の下を流れているような川の如く、ときどき隠され、また忘れ去られた。 だが我らは、いつでも誠実さと聖なる信徒たちを有していた。』
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