バス横転事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 23:29 UTC 版)
2009年(平成21年)7月11日、野球部の控え選手46人を乗せ、第91回全国高等学校野球選手権大分大会の開会式が開催される新大分球場に移動中だった学校保有のバスが、大分自動車道(当時、現東九州自動車道)日出ジャンクション付近で速度超過により操作を誤り横転した。この事故で部員の2年生生徒1人が死亡、42人が重軽傷を負い、バスを運転していた同校教諭の野球部の副部長が自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された。バスを運転していた教諭および3人の部員に怪我はなかった。なお、事故を起こしたバスは1991年の製造で運転席以外には座席ベルトが全く装備されておらず、亡くなった部員は横転した衝撃により車外へ投げ出され、首の骨を折って搬送先の病院で死亡が確認された。 柳ヶ浦高等学校は大会に出場することを決定したが、大分県高等学校野球連盟は選手たちの精神面のダメージを配慮し当初13日の予定だった初戦を15日に延期した。初戦は中津北高に11-0の5回コールドで大勝したが事故から1週間後の18日、2回戦の日田林工高戦で2-1と惜敗した。初戦の試合前には黙祷が行われ、2試合ともスタンドで応援する人の胸には喪章が付けられ、亡くなった部員の遺影を持って応援していた。 この事故は、全国の高校の野球部のバス運転手らが安全面等の講習を受け直すなど大きな影響を与えた。第91回全国高等学校野球選手権大会が行われた甲子園球場でもスコアボードで応援バスに対して全席シートベルト着用を呼びかけていた。またバスの座席におけるシートベルト着用の重要さについて大きな教訓を残した。 事故を起こした野球部副部長(当時26歳、2010年1月25日に同校を依願退職)は2008年(平成20年)、柳ヶ浦高等学校に(バス運転手としてではなく)教諭として着任し、その直後に大型免許を取得している。この事故で当時の2年生部員の一人の母親が同校の運営主体でもある吉用学園と、バスを運転していた当時の野球部副部長らを相手取り約1億3,000万円の損害賠償を求め、2010年4月30日に大阪地裁堺支部に訴訟を起こした。2010年6月18日に大分地方裁判所は事故を起こした元教諭に対して禁固2年6月(求刑禁固3年6月)の実刑判決を言い渡した。元教諭は地裁判決を不服として控訴したが、2010年12月5日に福岡高等裁判所は1審判決を支持したため控訴棄却した。 その2年後にあたる2011年7月10日には、大分県立森高等学校の野球部員と監督を乗せたマイクロバスが、第93回全国高等学校野球選手権大分大会の開会式から帰る途中、追突事故を起こし監督が死亡している。現場は、柳ヶ浦高等学校のバスが起こした事故の現場から遠くない場所であった。森高等学校も2年前と同様に初戦で中津北高と対戦し、勝利を納めている。
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