ナザレのイエスとナスフとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
「ナスフ」の記事における「ナザレのイエスとナスフとの関係」の解説
メディナ時代のキリスト教に関する神による啓示は、矛盾に満ちたものであったと言える。そのため、ムスハフの説くイエスの教えにも、キリスト教に関する啓示と同様に矛盾があるのではないか、という疑問が生まれてくる。しかし、ムスハフにおいて、ナザレのイエスは、一人の人間であり、預言者の中の一人として記されている。これは、現代における高等批評と、立場が似通っていると見ることが出来る。キリスト教的に解釈されたイエスの姿を、「イエス・キリスト」とし、人間としてのイエス本人を「ナザレのイエス」として見た場合、ムスハフに記されたイエスと呼ばれる預言者とは、人間のようです。ですから、彼はナザレのイエスのようだとすることが出来る。そして、ウスマーン版ムスハフにおいては、ナザレのイエスに対する矛盾の類のものは見当たらないといえる。57章27節において、神は、「イエスを預言者として召し出し、福音を授け、これに従う人々には、慈悲の心とやさしい気もちとを置いた」、ということを言っている。この言葉については、慈悲の心がイエスの教えと行動の原点であったと言うことと解釈できる。(5章50)(5章116)(3章2)(5章19)(5章69)イエスの本質は、神から発する御言葉(神的ロゴスの意)であるとされる。ナザレのイエスは、現世にても天にても高き誉を受けている。ナザレのイエスは神のお傍近き座に存在している、と解釈されている 。 イエスの存在は、イスラーム教とキリスト教の二つの世界観における大きな共通項であるとする見解がある。元々のナザレのイエスの教えは、ばらばらに編集されているクルアーンの最初期の教えとは、大きな共通項であるとも言えるようだ。 こうしたことから、初期のメッカの啓示を、メディナ期の啓示によってナスフするという行為は、モーセやイエスの教えをも破棄することにつながっていると見ることが出来る。そのことは逆に、モーセやイエスの教えは、これまで破棄されてきたメッカ初期の啓示を補完するものになる可能性があると見ることが出来るようである。 ムハンマドは、ヒジュラの「女の誓い」の中で、信者に対して、盗みや殺人をしてはならないと語っていた。その当時ムハンマドは、「あなたは殺してはならない」というモーセの教えを遵守していたようだ。それはムハンマドがメディナに行く前の話である。しかし、メディナに移住したあと、ムハンマドは18か月の間に、7回の略奪行為に及んだとされる。ムハンマドがモーセの戒めを破り、略奪行為に及んだのは、神の啓示に従って決行したのではなく、彼らがユダヤ教徒からの金銭的な援助が貰えなくなったことから、自分で考えて決断したことであるとされる。ムハンマドは、メディナに移住した信者の生活の糧を潤すために、殺人と強盗の罪に手を染めたことになる。ムハンマドたちがはじめて略奪に成功したとき、一名の死亡者が出たとされる。その後、そのことに関する神の啓示としては、迫害は殺人よりも罪が重い、という句が下されたとされる。神によるこの啓示は、ムハンマドがクライシュ族の一人を殺害したことよりも、以前クライシュ族がムハンマドたちを迫害したことの方が罪が重いということであった。この啓示は、「敵の平安を祈れ」や、「迫害されても耐え忍べ」という啓示とは矛盾した啓示である。また、モーセの教えは、「殺人してはならない」「盗みをしてはならない」ということであるので、この時の神の啓示は、モーセの教えとも矛盾していると見ることが出来る。 「先行する(神の)啓示の民」という概念を、「先に顕現されてきた(神の)啓示に基づく教え」と考えた場合、ナザレのイエスの教えと(最初の方の)ムハンマドの教えは、同じ平和の教えであったとする見解がある。
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