ドイツ少年からの手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 17:09 UTC 版)
1956年(昭和31年)5月10日の朝日新聞に「私は英雄ではない」と題した以下のような記事が掲載された。「勇敢なる米村電信手は生きていますか?」というドイツの一中学生の手紙が9日朝、駐日ドイツ大使館から東京部外務室長へ届いた。日本人の間ではほとんど知らない米村電信手について、このドイツ少年は「大正12年の関東大震災の時、米村電信手が東京から世界に向かってSOSを打ち続け、数千の人名を救ったことはドイツの教科書にも書かれている」と記し、新聞記者が事実を調べた結果を伝えていた。「地震で揺れている危険な中でSOSを発信し続けた」というのは事実ではなかったが、大震災から33年後に嘉一郎の事績が取り上げられることとなった。この話題は当時の小学生向けの教育雑誌『三年の学習』でも「ゆうかんなでんしん手」として取り上げられている。
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