ドイツ【Deutschland】
読み方:どいつ
《(オランダ)Duitsから》ヨーロッパ中部にある国。正称、ドイツ連邦共和国。首都ベルリン。古代のゲルマニア。中世には神聖ローマ帝国の中心をなしたが、封建諸侯の割拠が長く続いた。1871年、プロイセンを盟主として統一国家が成立し、ドイツ帝国となる。第一次大戦の敗戦により1918年(ワイマール)共和国、1933年にはナチスが政権を握り、第二次大戦の敗戦後の1949年に東西に分裂、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)・ドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。1990年、統一。戦後めざましい経済復興をとげ、各種工業が盛ん。人口8228万(2010)。ドイチュラント。
[補説] 「独逸」「独乙」とも書く。国内は16の連邦州に分かれ、ザールラント、ザクセン、ザクセンアンハルト、シュレースウィヒホルシュタイン、チューリンゲン、ニーダーザクセン、ノルトラインウェストファーレン、バーデンビュルテンベルク、バイエルン、ハンブルク*、ブランデンブルク、ブレーメン*、ヘッセン、ベルリン*、メクレンブルクフォアポンメルン、ラインラントプファルツの各州がある(*は単独で連邦州となる都市)。
ど‐いつ【▽何▽奴】
ドイツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 08:48 UTC 版)
- ドイツ連邦共和国
- Bundesrepublik Deutschland
-
(国旗) (国章) - 国の標語:Einigkeit und Recht und Freiheit
(ドイツ語:統一と正義と自由) - 国歌:Das Lied der Deutschen
ドイツ人の歌 -
公用語 ドイツ語[1] 首都 ベルリン州 最大の都市 ベルリン(都市州) - 政府
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連邦大統領 フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー 連邦首相 オラフ・ショルツ 連邦参議院議長 マヌエラ・シュヴェーズィヒ 連邦議会議長 ベーベル・バス 連邦憲法裁判所長官 シュテファン・ハーバート - 面積
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総計 357,578km2(63位)[2] 水面積率 2.2% - 人口
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総計(2020年) 84,270,625人(18位)[3] 人口密度 240.4[3]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 3兆3675億6000万[4]ユーロ(€) - GDP(MER)
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合計(2020年) 3兆8433億3500万[4]ドル(3位) 1人あたり 4万6215.596[4]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 4兆5365億2300万[4]ドル(5位) 1人あたり 5万4551.092[4]ドル - 建国
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ドイツ統一
(ドイツ帝国成立)1871年1月18日 ドイツ共和国宣言
(ヴァイマル共和政成立)1918年11月9日 ヒトラー政権成立
(ナチス・ドイツ成立)1933年1月30日 ベルリン宣言
(連合軍軍政開始)1945年6月5日 西ドイツ成立 1949年5月23日 東ドイツ成立 1949年10月7日 ドイツ再統一 1990年10月3日
通貨 ユーロ(€)(EUR)[5][6] 時間帯 UTC+1 (DST:+2) ISO 3166-1 DE / DEU ccTLD .de 国際電話番号 49 -
- ^ デンマーク語、ソルブ語は公認され、少数言語として保護されている。低ザクセン語は欧州連合により保護されている。
- ^ “ドイツ連邦共和国基礎データ”. 日本国外務省. 2018年11月13日閲覧。
- ^ a b “Bevölkerung nach Nationalität und Geschlecht (Quartalszahlen)”. Destatis. 7 February 2023閲覧。
- ^ a b c d e “World Economic Outlook Database, October 2021”. IMF (2020年10月). 2021年10月26日閲覧。
- ^ 1999年以前はドイツマルクを使用。
- ^ 「ドイツのユーロ硬貨」も参照。
ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、独: Bundesrepublik Deutschland、英: Federal Republic of Germany[1])、通称ドイツ(独: Deutschland)は、中央ヨーロッパおよび広義の西ヨーロッパ[注釈 1]に位置する連邦共和制国家である。
概要
首都および人口が最大の都市はベルリン[1]。国境を接する隣国は、北がデンマーク、東がポーランド、東南がチェコ、南がオーストリア、南西がスイス、西がフランスとベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)。北東はバルト海、北西は北海のうちにワッデン海に面する。
大陸ヨーロッパにおける政治的・経済的な主要国であり、歴史上、多くの文化・科学・技術分野における重要な指導国でもある。人口は約8300万人で、これは欧州連合(EU)において最大である。1993年にEUへ発展した1957年の欧州諸共同体の原加盟国であるほか、1995年以来シェンゲン圏の一員で、1999年以降はユーロ圏の一員でもある。また、国際連合、欧州評議会、NATO、G7、G20、OECDの主要なメンバーであり、欧州の大国「ビッグ4」や列強の一国に数えられる。
限定的主権を有する16の州(連邦州)により構成される。国土の総面積は35万7386平方キロメートルであり、緯度の割には比較的温暖な気候に属する。
ドイツ経済の規模は、対米ドル名目為替レートによって計算される米ドル建て名目GDP(MERベースGDP)で世界第3位であり、対米ドル購買力平価(PPP)によって計算される米ドル建て実質GDP(PPPベースGDP)で世界第5位である。技術及び産業分野における世界的なリーダーとして、世界第3位の輸出国かつ世界第3位の輸入国である。世界最古のユニバーサルヘルスケア制度を含む、包括的な社会保障を特色とする非常に高い生活水準が実現されている先進国である。豊かな政治及び文化の歴史で知られ、影響力ある多数の芸術家、音楽家、映画人、哲学者、科学者及び技術者、起業家の故国である。
国名
ドイツ語での正式名称は、Bundesrepublik Deutschland([ˈbʊndəsʁepubliːk ˈdɔʏtʃlant] ( 音声ファイル) ブンデスレプブリーク・ドイチュラント)。通称はDeutschland(ドイチュラント)、略称はBRD([beː ɛɐ deː] ベーエァデー)。Bundは「連邦」の、Republikは「共和国」の意である。
駐日ドイツ大使館や日本国外務省が用いる日本語表記はドイツ連邦共和国。通称はドイツ。漢字では独逸、独乙などと表記され、独と略される。日本語名称の「ドイツ」の由来は、原語の「Deutsch」もしくはオランダ語の「Duits」が起源だといわれている。
英語表記はFederal Republic of Germany[1](フェデラル・リパブリク・オヴ・ジャーマニ)。通称はGermany([dʒɝ.mə.ni] ( 音声ファイル) ジャーマニ)、略称はFRG。Germanyはラテン語のGermania(ゲルマニア:「ゲルマン人の地」の意味)に由来し、地名としてのドイツを指す。フランス語ではAllemagne(アルマーニュ)、スペイン語ではAlemania(アレマニア)、ポルトガル語ではAlemanha(アレマーニャ)と呼ばれるが、これらは本来は「(ゲルマン人の一派である)アレマン人の地」を意味する。また、ポーランド語ではNiemcy(ニェムツィ)、チェコ語とスロバキア語ではNěmecko, Nemecko(ニェメツコ)、ハンガリー語ではNémetország(ネーメトルサーグ)と呼ばれるが、これはスラヴ祖語の「němъ」あるいはその派生語の「němьcь」(言葉が話せない人、発話障害者)に由来する[3]。
「ドイチュ(Deutsch)」の語源は、北部で話されていたゲルマン語の「theod」「thiud」「thiod」などの名詞に由来し、いずれも「民衆」や「大衆」を意味している。意味も使われた時代も同じだが、綴りは地域によって異なる。フランク王国時代に、ラテン系言語ではなくゲルマン系言語を用いるゲルマン人の一般大衆をこう呼んだことから、同地域を指す呼称として用いられ始めた。「th」はのちに「d」という発音と綴りになったため「diet」に変わった。さらに古高ドイツ語では形容詞化するための接尾辞「-isk」が付加されて「diutisk」と変わった。意味も「大衆の、民衆の」という形容詞になり、その後「diutisch」に変わり、現代ドイツ語では「deutsch」となった[4][5]。
形容詞形の「deutsch」には上記の意味はなく、単に「ドイツの」という意味だけである。代わりに「völkisch」という形容詞が「大衆の、民衆の」という意味で使われたが、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が自らの理念や政策を表現するのに好んで用いたため、第二次世界大戦に敗れて非ナチ化が進められた戦後は、ナチズムを連想させるとして用いられなくなり、現在は「des Volkes」が主に使われる。
歴史
ドイツの歴史 | |
東フランク王国 | |
神聖ローマ帝国 | |
プロイセン王国 | ライン同盟諸国 |
ドイツ連邦 | |
北ドイツ連邦 | 南部諸国 |
ドイツ帝国 | |
ヴァイマル共和政 | |
ナチス・ドイツ | |
連合軍軍政期 | |
ドイツ民主共和国 (東ドイツ) | ドイツ連邦共和国 (西ドイツ) |
ドイツ連邦共和国 |
先史時代から東フランク王国まで
現在のドイツを含む西ヨーロッパ地域に人類が居住を始めたのは、石器などが発見されたa地層から約70万年前と考えられている。60万年から55万年前の地層ではハイデルベルク原人の化石が、4万年前の地層ではネアンデルタール人の化石が確認されている。新人(ホモ・サピエンス)は約3万5000年前から現れ、紀元前4000年ごろの巨石文明を経て、紀元前1800年ごろまでに青銅器文明に移行している。紀元前1000年ごろには、ケルト系民族によってドナウ川流域にハルシュタット文明と呼ばれる鉄器文明が栄えた。
紀元前58年から51年までのガイウス・ユリウス・カエサルのガリア遠征などを経て、ゲルマン人は傭兵や農民としてローマ帝国に溶け込んでいった。しかし紀元後9年にトイトブルク森の戦いが起こり、ゲルマン人が勝利してライン川右岸を守った。この流域南部において83年にドミティアヌス帝がリメス・ゲルマニクスの建設を打ち出し、マイン川からドナウ川へとつながる長城が建設された。これによってライン川中・上流域ではリメスが前進した。これは2000年にわたるドイツ史の将来を規定する伏線となった。すなわち、ローマ帝国内にあるドイツ南部と、外にあるドイツ北部である。ローマ帝国の解体が進むと、375年には西ゴート族が黒海沿岸から地中海に沿って、コロナートゥス化の進んだ西部へ移動した。
476年、西ローマ帝国が滅亡した。代わって西ヨーロッパを支配したフランク王国では各地に分王国が興り、その一つであるアウストラシアが北方でライン川両岸を占めた。843年、ヴェルダン条約によってフランク王国が三分割された。そのうちの一つである東フランク王国が、のちのドイツの原型となった。東フランク王国の国王オットー1世(ザクセン朝)は962年にアウグストゥス(古代ローマ皇帝の称号)を得て、いわゆる神聖ローマ帝国と呼ばれる連合体を形成した。
神聖ローマ帝国
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世のとき、「ドイツ国民の神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich Deutscher Nation)」と国名を称した。キリスト教の宗教改革においては、ドイツの諸侯が新旧両教(カトリック教会とプロテスタント)に分かれて互いに争った。その最大の惨劇である三十年戦争ではドイツのほとんど全土が徹底的に破壊され、1600万人いたドイツの人口が戦火によって600万人に減少したといわれる。
帝国自由都市の自治権が奪われ、ドイツは領邦主権体制となった。1667年にプーフェンドルフが著した書『ドイツ帝国憲法について(Über die Verfassung des deutschen Reiches)』において初めて、ドイツ国という呼称が確認できる。
プロイセン王国の台頭とドイツ帝国の興亡
シュヴァーベンにあるホーエンツォレルン城一帯から台頭したプロイセン領邦君主ホーエンツォレルン家は、17世紀半ばからオランダとともに勢力を拡大し、1701年にはプロイセン王国を形成した。
フランス革命の動乱は全ヨーロッパに波及し、フランス革命戦争で反撃を主導したナポレオン・ボナパルトによる侵略をドイツも免れなかった。対仏大同盟がナポレオンを破り、ドイツは帝国代表者会議主要決議の枠内で国家統一を志向するようになった。ホーエンツォレルン家は、オーストリアを拠点とするハプスブルク家(ハプスブルク帝国)とドイツ統一の役割を争い、北ドイツ連邦を作り普墺戦争と普仏戦争に勝利したプロイセン国王ヴィルヘルム1世は、ドイツ系オーストリアを除くドイツ帝国を創建し、ベルリンを首都とした。
国力が伸長したドイツ帝国はヴィルヘルム2世の治世下、英仏に遅ればせながらヨーロッパ以外での植民地や勢力圏の獲得に乗り出し、アフリカ分割に参加したほか、遠く太平洋でもドイツ領ニューギニアや膠州湾租借地を支配し、オスマン帝国領内にも進出した(「3B政策」「東方問題」参照)。ドイツ帝国海軍も大幅に増強して、大洋艦隊を建設した。これらはイギリス、フランス、ロシア帝国の英仏露三国協商との対立を招いて第一次世界大戦の原因となり、同盟関係になっていたオーストリアの皇太子が暗殺されたサラエボ事件(1914年)を契機に英仏露などとの戦争に突入。激しい消耗戦を展開し、アメリカ合衆国も敵に回したことで1918年には戦力の限界を迎えて敗れ、国内ではドイツ革命の勃発によってヴィルヘルム2世がオランダへ亡命して帝政は終わり、領土の大幅な喪失と巨額の賠償を課されるヴェルサイユ条約への調印を余儀なくされた。
ヴァイマル共和政の混乱とナチス・ドイツ
ドイツは共和国として再出発した(ヴァイマル共和政)。これは連邦制が小党を乱立させて政局を不安定にした。ヴェルサイユ条約がドイツに課した賠償の負担は経済や政治に悪影響を与えた。1921年には1ドル=4.2マルクだったものが、1923年夏には1ドル=110万マルクという下落でハイパーインフレに陥り、レンテンマルク発行による通貨改革が行われた[6]。1920年代中ごろから相対的な安定期を迎え、ロカルノ条約(1925年)と国際連盟加盟(1926年)により国際社会にも復帰しつつあった。第一次世界大戦後期に起きたロシア革命で崩壊したロシア帝国に代わり成立したソビエト連邦(ソ連)とは、ラパッロ条約 (1922年)とベルリン条約 (1926年)で外交および秘密裏の軍事協力関係を構築した。
1930年代初頭、世界恐慌がドイツにも波及し、経済破綻を背景に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が台頭した。党首アドルフ・ヒトラーの指導下で、極右的民族主義、差別的な人種政策、さらに拡張的な領土政策を唱えた。1933年にヒトラーが首相に任命されると、ナチ党は国内の政敵を次々に制圧し、ナチ党一党独裁体制を築き上げた(ナチス・ドイツ)。
ヒトラーは1935年にヴェルサイユ条約の軍備制限を破棄するドイツ再軍備宣言を発し、ヴァイマル共和国軍はドイツ国防軍に改編された。翌1936年には、非武装地帯と定められていたライン川西岸へ軍を配置(ラインラント進駐)。ソ連を仮想敵とする日独防共協定を締結し、のちに日独伊三国同盟、さらには第二次世界大戦における枢軸国に発展した。1938年にはオーストリアを併合し(アンシュルス)、チェコスロバキア解体も進めた。次第に英仏との緊張関係が高まった。ポーランド回廊を寸断すべく、ドイツは1939年9月にポーランドへ侵攻した。英仏の宣戦布告を招き、第二次世界大戦が始まった。一時はフランスを打倒してヴィシー政権を樹立し、北欧侵攻も成功させ、ヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた。バトル・オブ・ブリテンで大敗してイギリス上陸を断念し、独ソ戦で打開を図ったものの、スターリングラード攻防戦での敗北などで劣勢に転じた。日本の対米英開戦(太平洋戦争)に伴い米国も再び敵に回し、連合国軍によるノルマンディー上陸作戦成功後は東西とイタリア戦線を含めた三方から攻められ、本土には英米の戦略爆撃を受けて追い詰められ、ベルリンの戦い中の1945年4月30日にヒトラーが自殺し、ドイツ軍は無条件降伏を行った。
連合国による占領と東西分断
1945年6月5日のベルリン宣言により、ドイツ中央政府の不在が宣言され、米英仏ソ4か国による分割占領が開始された(連合軍軍政期)。ドイツの占領政策は戦争中の協議とポツダム協定によって規定されていたが、ソ連が物納での賠償を主張して西側諸国と鋭く対立し(ドル条項問題)、西側連合国とソ連の占領地域は分断を深めていった。この結果、1949年に西側連合国の占領地域はボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)として、ソ連の占領地域はベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)としてそれぞれ独立し、ドイツは分断国家としての道を歩むことになった。
西ドイツとフランス両国の首脳が交流を深めた結果、1951年に欧州石炭鉄鋼共同体が誕生した。一方、ソ連は東ドイツを含む東欧諸国による軍事同盟ワルシャワ条約機構を1955年に設立し、東西ドイツは冷戦の時代を通じ、資本主義と共産主義が対立する最前線となった。労働力をめぐる対立は1961年にベルリンの壁となって現れた。1972年に東西ドイツ基本条約が成立した。
再統一後のドイツ
1989年、ソビエト連邦のペレストロイカに端を発した東欧の民主化運動(東欧革命)をきっかけにベルリンの壁が崩壊した。翌1990年の10月3日に再統一(正式にはドイツ連邦共和国がドイツ民主共和国を吸収・併合した形での統一)を達成し、首都もボンからベルリンへと戻された。
1992年9月、ドイツマルクが高騰して欧州の通貨を混乱に陥れた。2001年5月2日に連邦がベルリンへの首都機能移転を完了させた。2002年、ドイツ連邦銀行の政策が欧州中央銀行と加盟国の中央銀行で構成される欧州中央銀行を(ECB)制度へ移管された。
2015年からの欧州難民危機では、中東から多くの難民を受け入れたことでメルケル政権の支持率が下がり、ポピュリズムが広がりをみせた。
2021年ドイツ連邦議会選挙ではドイツ社会民主党が連邦議会の第1党になった[7]。
2022年には国家転覆(かつて存在したドイツ帝国を模した君主制国家を樹立する事)を目指した極右集団がクーデター未遂事件を起こした[8][9]。
政治
ドイツは連邦制、議院内閣制、代表民主制の共和国である。ドイツの政治システムは1949年に発効された、憲法に相当するドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz)の枠組みに基づいて運営されている。基本法改正には議会両院(ドイツ連邦議会)と連邦参議院)で3分の2の賛成を必要としており、このうち「人間の尊厳の保証」「権力の分割」「連邦制」そして「法による支配」といった基本法諸原則は「永久化」され、侵害は許されない[1][10][11]。こうした原則や、これらを否定する政党の禁止については「戦う民主主義#ドイツ」を参照。
連邦大統領(Bundespräsident)は国家元首であり、主に儀礼的な権能のみが与えられている[12]。大統領は任期5年で、連邦議会議員と各州議会代表とで構成される連邦会議によって選出される。大統領は連邦議会の解散権を有する[13]。
大統領に次ぐ序列は連邦議会議長(Bundestagspräsident)であり、連邦議会によって選出され、議会運営の監督責任を持つ。
序列第3位であり、政府の長となる地位が連邦首相(Bundeskanzler)である。連邦議会で選出されたあとに、議長によって任命される[14]。首相は任期4年で、行政府の長として行政権を執行する。内閣の閣僚は首相の指名に基づき、大統領が任命する。
連邦の立法権は連邦議会(Bundestag)と連邦参議院(Bundesrat)が有し、この両院で立法府を構成する。連邦議会議員は小選挙区比例代表併用制による直接選挙によって選ばれ[15]、定数は598議席[16](ただし選挙制度の関係で超過議席が出るため、選挙のたびに実際の議席数は変わり、2020年現在は709議席)で任期4年。連邦参議院議員は定数69議席で16州政府の代表であり、また州政府内閣の閣僚でもある[14]。
1949年以降、政権はドイツキリスト教民主同盟(CDU)とドイツ社会民主党(SPD)によって占められており、歴代首相はいずれかの党から選出されている。しかしながら、選挙制度の関係で単独政権だったことは一度も無く、常に両党の大連立か、いずれかの党と自由民主党か同盟90/緑の党との連立政権が組まれている[17]。ほかに連邦議会に議席を有する主要政党として、欧州懐疑主義と反移民を掲げるドイツのための選択肢(2017年以降)、東ドイツの独裁政党だったドイツ社会主義統一党の流れをくむ左翼党(2005年以降)がある[18]。
ドイツでは、首相と党首と議員団長(与党会派の代表)が「3つの頭」といわれる。政党は単なる「看板」ではなく、社会と国家をつなぐ実体のある組織であり、その長である党首独自の仕事も多い。そのため首相と党首を別の人が務めることも珍しくない[19]。
過激派の政党としては極左のドイツ共産党と極右のドイツ国家民主党が存在するが、国政レベルの影響を持つには至っていない。
司法
ドイツはゲルマン法の要素を加えたローマ法を基礎とする大陸法を法律において採用している(ドイツ法)。憲法に関しては第二次世界大戦後の1949年に西ドイツでドイツ連邦共和国基本法(Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland)が暫定的な憲法(基本法)として定められたが、ドイツ民主共和国憲法を制定していた東ドイツとの統合後(ドイツ再統一)も正式憲法は制定されず、共和国基本法が継続している。
司法機関については連邦憲法裁判所(Bundesverfassungsgericht)が違憲審査権を有する憲法に関する事項の最高裁判所として機能している[14][20][21]。
Oberste Gerichtshöfe des Bundesと呼ばれるドイツの最高裁判所制度は専門化がなされており、民事および刑事に関する裁判所は連邦通常裁判所、それ以外の事項に関しては連邦労働裁判所、連邦社会裁判所、連邦金融裁判所、連邦行政裁判所などがそれぞれ担当する[12]。また国際刑法典(Völkerstrafgesetzbuch)は人道に対する罪、ジェノサイドそして戦争犯罪について規定しており、いくつかの状況においてドイツの裁判所に対して普遍的管轄権を与えている[22]。刑法と民法は刑法典(Strafgesetzbuch)と民法典(Bürgerliches Gesetzbuch)に成文化されている。ドイツの刑法制度は犯罪者の更生と一般大衆の保護を主眼としている[23]。
国際関係
ドイツは190か国以上との外交関係を結び、229か所の在外公館を有している[24]。
2011年時点、ドイツは欧州連合(EU)への最大の分担金拠出国であり(拠出額20%)[25]、国連(UN)に対しては第3位の分担金拠出国である(拠出額8%)[26]。ドイツは北大西洋条約機構(NATO)、経済協力開発機構(OECD)、主要国首脳会議(G8)、G20、世界銀行、国際通貨基金(IMF)に加盟している。ドイツは欧州連合発足当初から主要な役割を果たしており[27]、また第二次世界大戦以降はフランスとの緊密な同盟関係を保っている。ドイツは欧州統合を政治および安全保障面で推進する努力を続けてきた[28][29][30]。
ドイツの政府開発援助政策は外交政策における独立した分野となっている。政策は連邦経済協力開発省(BMZ)が策定し、関係各機関が遂行する[31]。ドイツ政府は開発援助政策を国際社会における共同責任と位置づけている[32]。ドイツの開発援助支出額は米国、フランスに次ぐ世界第3位である[33][34]。
冷戦の時代、鉄のカーテンにより分断されたドイツは東西緊張の象徴となり、欧州における政治的戦場となっていた。しかしながら、東方外交を行ったヴィリー・ブラント首相は1970年代における東西緊張のデタント成功の鍵となった[35]。1999年にゲアハルト・シュレーダー首相がNATOのコソボ派兵への参加を決めたことにより、ドイツ外交の新たな基礎が定められ、第二次世界大戦以後、初めてドイツ兵が戦場へ送られた[36]。ドイツと米国は緊密な政治的同盟関係にある[14]。1948年のマーシャル・プランと強い文化的な結びつきが両国の絆を強めたが、シュレーダー首相のイラク戦争に対する強い反対意見は大西洋主義の終焉を示唆し、独米関係を冷却化させた[37][38]。両国は経済的に相互依存関係にあり、ドイツの対米輸出は8.8%、輸入は6.6%である[39]。2019年時点、中華人民共和国は、アジアにおける一番の貿易相手国である。
ドイツの武器輸出額は中国に次ぐ世界4位[40]。一方、2021年にロシア・ウクライナ危機を背景にウクライナがドイツに武器輸出を含めた軍事支援を求めると、ドイツ政府は「危機地域に殺傷武器を送って状況を悪化させるよりは、他の方式を選びたい」として軍用ヘルメットを送るにとどまり[41]、艦船の提供などを期待していたウクライナ側を失望させた[42]。2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まると、ドイツはアメリカと協調して対戦車ミサイル1000基の供与を決定した[43]。2023年には、主力戦車レオパルト2の供与と導入国による再輸出を許可した[44]。2024年のドイツの軍事化レベルは1.96であり、世界の5段階評価で中レベルの4である[45][46]。
平和
2018年の欧州委員会によると、世界の主要国を評価する際、欧州連合(EU)加盟国はドイツを最も肯定的に評価し、フランスと日本を僅差で上回った[47]。2022年、「積極的平和指数」の1項目である「近隣諸国との良好な関係の構築」において、ドイツは世界第1位となった[48][49]。 しかし、2024年、ドイツは「積極的平和指数」で11位、「近隣諸国との良好な関係の構築」で25位前後となった[50]。
日本との関係
1603年 - 1870年 江戸時代に来日したドイツ人の1人に、徳川綱吉とも会見した博物学者エンゲルベルト・ケンペルがいる。ケンペルが著した広汎な『日本誌』は詳細な紀行文にして博物誌であり、ゲーテも愛読したと伝えられる。日本に西洋医学を伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトもドイツ人であり、江戸幕府が崩壊したあとも日本人は盛んにドイツから医学を学んだ。
直接の外交関係は、1850年代にプロイセン王国の軍艦が品川沖に来航したことに始まり、アメリカ合衆国のマシュー・カルブレイス・ペリーによる黒船来航のように武力で外交を開こうとした。このため、1911年まで(すなわち幕末から明治まで)の日独関係は不平等条約で結ばれていた。しかし、後述のように文化交流では重要な国となった。さらに歴史的経過を見ると、ドイツ帝国成立(1871年)と明治維新(1868年)がほぼ同じ時期に起こった点も大きい。
1871年 - 1945年
国・地域 | 肯定 | 否定 | どちらでもない | 肯定-否定 |
---|---|---|---|---|
アメリカ | 21% | 75% | 4 | -54 |
ロシア | 21% | 72% | 7 | -51 |
中国 | 25% | 63% | 12 | -38 |
イギリス | 49% | 43% | 8 | 6 |
日本 | 65% | 20% | 15 | 45 |
フランス | 79% | 15% | 6 | 64 |
欧州連合 | 82% | 15% | 3 | 67 |
ドイツ | 87% | 12% | 1 | 75 |
1873年に岩倉使節団はベルリン[51]、ハンブルク、ミュンヘン[52] を歴訪しており、その当時の様子は『米欧回覧実記』にも詳しく記載されている。明治維新を経た1870年代から1880年代までの日本では、ドイツ帝国の文化や制度が熱心に学ばれ、近代化の過程に大きな影響を与えた。このため、日本の近代化は「ドイツ的近代化」であるとも言われている[要出典]。伊藤博文は、大日本帝国憲法の作成にあたってベルリン大学の憲法学者ルドルフ・フォン・グナイストとウィーン大学のシュタインに師事し、歴史法学を研究している。当時の東京帝国大学がヨーロッパから招聘した教員にはドイツ人が多く、明治9年(1876年)にエルヴィン・フォン・ベルツが来日したのをはじめ、哲学では夏目漱石もその教えを受けて「ケーベル博士」と親しまれたラファエル・フォン・ケーベル、化学ではゴットフリード・ワグネルなどがいる。工学においては、大久保利通の命を受けた井上省三が、ザガン市(現・ポーランド領ジャガン)のカール・ウルブリヒト工場で紡績の生産技術を学び、日本に伝えている。その知識は現代の日本の製造業の礎となった。軍事においても、大日本帝国陸軍は普仏戦争後に軍制をフランス式からプロイセン式へと変え、その制度と理論による近代化に努め、日露戦争の勝利につながった。
日清戦争後、ドイツはロシア帝国やフランスとともに日本に対し三国干渉を行った。さらに第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟により連合国側に与し、ドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など中央同盟国に対して開戦。ドイツの南太平洋の植民地や膠州湾租借地を攻略(青島の戦い)したほか、ドイツ巡洋艦エムデンの追撃戦、地中海へ第二特務艦隊を派遣しての対Uボート作戦にも参加した(「第一次世界大戦下の日本」も参照)。
第一次世界大戦敗戦後、ドイツ帝国は崩壊しヴァイマル共和制が成立し、ヴェルサイユ条約によって莫大な賠償金を課され、全植民地の喪失とともに国内での軍事産業が制限された。そのためドイツは、ソ連や中国との密貿易関係を構築した。特に中国はタングステンを産出したため、中独合作を行い、日中戦争(支那事変)では蔣介石政権に最新の兵器と軍事顧問団を送り込み、日本軍を苦しめた。当時日本が高度に軍事的成長を果たすのに対して、ドイツは黄禍論も背景にあり、脅威を感じていた。その後、国際情勢の変動により、1936年には日独防共協定を締結。利害を共有する日独両国は親近感を深め、1940年には日独伊三国軍事同盟へと発展し、第二次世界大戦では枢軸国(同盟国)としてともに戦うこととなった。
1945年 - 現在 技術・経済面での交流は活発で、日本にとってヨーロッパ最大の貿易相手国となっている。特にドイツの自動車は日本でも高い人気を誇り、日本の輸入車の販売数上位3つはメルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲンが占めている。文化や制度の面では第二次世界大戦前ほどの影響力を持たなくなったものの、クラシック音楽ではバッハやベートーヴェンをはじめとするドイツ(およびオーストリア)の作曲家の楽曲が愛好されている。これは他国でも同様ではあるものの、日本はイギリスと並び特にその傾向が強いといわれる。ドイツ語教育は、戦前のような英語に準ずる位置は失われたものの、なお多くの大学にドイツ文学科が設置されるなど、欧州語では英語、フランス語に次ぐ位置を占める。ドイツ映画の輸入は戦後しばらくはポルノ、西部劇B級作品に限定されていたものの、ニュージャーマンシネマブームを経て1980年代ごろから娯楽作品もコンスタントに紹介されるようになっている。
欧州連合が設立されてからは、欧州連合の中心国として交流してきた。
ドイツでは、1999年1月から2000年9月までは「ドイツにおける日本年」と定められて日本が総合的に紹介された。また、日本では2005年と2006年に「日本におけるドイツ年」の諸企画が行われ、新しい形の日独交流が形成されている。2018年の欧州委員会の調査によると、ドイツでは65%の人が日本に対して好意的な見方をしている[53]。
台湾との関係
2024年9月13日、ドイツの艦隊が台湾海峡を通過した[54]。この艦隊は、ドイツが属する欧州連合の総意と台湾を守るという決意を象徴するために派遣された[55]。
国家安全保障
ドイツには在欧アメリカ軍が常駐する。作戦指揮はアメリカ欧州軍から受ける。第二次世界大戦以降、ドイツのラムシュタイン空軍基地に司令部を置いており、ドイツ国内に何か所か基地がある。ドイツはニュークリア・シェアリングのための核兵器を装備している(ドイツ政府による核兵器発射権限はない)。
同連邦軍(Bundeswehr)は陸軍(Heer)、海軍(Marine)、空軍(Luftwaffe)、救護業務軍(Zentraler Sanitätsdienst)そして戦力基盤軍(Streitkräftebasis)に分けられる。
ドイツは第2次世界大戦でのナチスの反省から、欧州連合(EU)の盟主でありながら軍事的には抑制を守ってきた。2018年時点においてドイツの軍事支出はGDP比1.24%で対GDP比としては世界94位だが[15]、軍事費自体は世界第8位である。また、軍事支出は約495億ドルと低めに抑えられている[56]。平時において連邦軍は国防大臣の指揮下に置かれる。ドイツが戦時に入れば(基本法は自衛のみを容認している)、首相が連邦軍の総司令官となる[57]。2011年5月現在、ドイツ連邦軍は職業軍人18万8000人と兵役最低6か月の18 - 25歳からなる徴集兵3万1000人を擁している[58]。ドイツ政府は職業軍人17万人、短期志願兵1万5000人へ縮小することを計画している[59]。各軍には予備役兵がおり、軍事訓練や海外派兵に参加している。予備役の将来の兵力や機能に関する新たなコンセプトが2011年に発表された[59]。
2022年のロシアによるウクライナ侵略以降は、防衛予算、武器輸出に関する姿勢を転換し、2024年には北大西洋条約機構(NATO)が求める「国内総生産(GDP)2%」に相当する717億ユーロ(約12兆円)の防衛予算を計上した。GDP2%に達するのは冷戦末期の1992年以来、32年ぶり[60]。
ドイツ連邦軍と国境警備隊が国防を担っているほか、相互防衛条約に基づき6万人強の米軍が駐留している。ドイツはEUおよびNATOの主要構成国であり、ロシアなど東方諸国を主たる仮想敵国としてきた。時代の移り変わりとともに、政府は連邦軍の主任務を、従来の国土防衛から「国際紛争への対処」に移行させる方針を発表した。内容としては、2010年までに紛争地においてNATO即応部隊などに参加する「介入軍」、平和維持活動にあたる「安定化軍」、両軍の後方支援を担当する「支援軍」の3つに再編成するものである。
同連邦軍は、1996年から始まるコソボ紛争に投入され、セルビアへの空爆を実施して初陣を飾った[61]。以来、各地の戦争に参加しており、2011年現在、ドイツ兵約6900人が国際平和維持活動に参加して国外に駐留しており、この中にはNATO主導の国際治安支援部隊(ISAF)に参加してアフガニスタンやウズベキスタンに駐留した4900人、コソボ駐留の1150人、国際連合レバノン暫定駐留軍の300人が含まれる[62]。
2011年まで、ドイツには18歳以上の男性に対する徴兵制度が存在し6か月の兵役期間が課せられていた。しかし、良心的兵役拒否者は同期間の民間役務(Zivildienst)と呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または消防団や赤十字に対する6年間のボランティア活動を選択することができた。兵役拒否者は年々増加し、近年では兵役を選択する者は2割に過ぎなくなっていた[63]。このドイツの徴兵制度は2011年7月1日をもって中止となった[1][63][64][65]。しかし、徴兵制の廃止により、それまでボランティアとして慈善活動に従事させられた兵役拒否者がいなくなってしまい、老人介護などの福祉に多大な経済的負担が発生する懸念が持たれており[66]、ドイツ政府は補充対策を検討している[67]。
2001年以降、女性軍人に対する制限が廃止され全ての軍務に従事できるようになったが、女性は徴兵制の対象ではなかった。2011年時点で約1万7500人の女性の現役兵と予備役兵がいる[68]。
武器輸出
ドイツはアメリカ、ロシアに次ぐ世界第3位の武器輸出国である。2024年のドイツの軍事化レベルは1.96であり、世界5段階評価で中レベル4となる[45][46]。人権弾圧国家や紛争地への武器輸出は原則禁止しているとされるが、実際にはサウジアラビアのような人権弾圧の疑いのある国や、イスラエルのように核保有の疑いがあり、パレスチナ問題のような不和を抱える国にも輸出されている[69][70]。また、長年の友好国であり地政学的に直接的な脅威となるロシアと戦うウクライナへの武器輸出について、賛否両論があったが、世論に押される形で武器輸出を容認するようになった[71]。ドイツの武器輸出は伸びており、2013年に輸出した武器の総額は、前年比24 %増の58億5000万ユーロ(約8015億円)であった。一方、ドイツ国民の間には武器輸出に反対する声が強く、2012年の世論調査では、ドイツ人の3分の2が武器輸出に反対しているとする調査もある[72]。
主力兵器
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地理
ドイツは西欧および中欧に属し[73]、北にデンマーク、東にポーランドとチェコ、南にオーストリアとスイス、南西にフランスとルクセンブルク、そして北西にベルギーとオランダとそれぞれ国境を接しており、国土はおおよそ北緯47 - 55度(ジルト島の北端が55度)、東経5 - 16度の範囲に位置している。総面積は35万7022平方キロメートルに及び、領土34万8672平方キロメートル、領海8350平方キロメートルからなる。この面積はヨーロッパ第5位、世界第64位である[15]。
標高は南部のアルプス山脈最高峰ツークシュピッツェの2962メートルから、北西部の北海(Nordsee)および北東部のバルト海(Ostsee)海岸に及ぶ。中位山地、北ドイツ低地(最低地点はヴィルシュターマールシュの海抜3.54メートル)にはライン川、ドナウ川、エルベ川が流れている。
おもな天然資源は、鉄鉱石、石炭、炭酸カリウム、木材、褐炭、ウラン、銅、天然ガス、塩、ニッケル、可耕地と水である[15]。
ドイツの地形は北から南へ、大きく5つの地域に分けられる。北ドイツ低地、中部山岳地帯、南西ドイツ中部山岳階段状地域、南ドイツアルプス前縁地帯、バイエルン・アルプスである。
北ドイツ低地は全体的に標高100メートル以下の平坦な地域で、エルベ川などの川沿いにはリューネブルクハイデと呼ばれる大きな丘陵地がある。バルト海沿岸は平坦な砂浜や、断崖をなす岩石海岸となっている。中部山岳地帯は、おおよそ北はハノーファーの辺りから南はマイン川に及ぶ地域で、ドイツの西部と中部に広がり、ドイツを南北に分けている。地形的に峡谷や低い山々、盆地など変化にとんでおり、山地としては西部のアイフェル丘陵とフンスリュック山地、中央部のハルツ山地、東部のエルツ山脈がある。南西ドイツ中部山岳階段状地域にはオーデンヴァルトや、ドイツ語で「黒い森」を意味するシュヴァルツヴァルトの標高1000メートルを超える広大な森林がある。アルプスはドイツ国内ではもっとも標高が高い地域で、南部の丘陵や大きな湖の多いシュヴァーベン=バイエルン高原に加えて、広大な堆石平野とウンターバイエルン丘陵地、そしてドナウ低地を包括している。ここにはアルプスの山々に囲まれた絵のように美しい数々の湖や観光地があり、オーストリアとの国境地帯にはドイツの最高峰ツークシュピッツェ(標高2962メートル)がそびえ立つ。
ドイツにおける火山活動は先カンブリア代に収束している。先カンブリア代末から始まったカレドニア変動や、後期古生代に起こったバリスカン(ヘルシニアン)変動はいずれも主要活動帯がドイツを横切っているものの、地表には痕跡が残っていない。バリスカン変動は2000キロメートルに及ぶ規模の大陸間の変動であった。現在のドイツの地形を決定したのは新生代における褶曲運動である。アルプス変動帯の活動により、最南部は標高1200メートルにいたるまで隆起した。ドイツにおけるアルプス変動帯は東アルプスと呼ばれている。同時に西部フランス国境に近いライン川に相当する位置に、ライン地溝を形成する。ライン地溝は、約500キロメートルにわたって南北に伸びる。
ドイツ北部(北ヨーロッパ平野)の地表は氷河地形の典型例である。最終氷期においては北緯51度線にいたるまで氷河が発達し、ヨーロッパを横切る数千キロメートル規模の末端堆石堤を残した。その100 - 200キロメートルの海岸線方面にはモレーンが残る。末端堆石堤とモレーンの北側に沿っていずれも氷食性のレスが堆積し、農業に適した肥沃な土壌が広がる。一方、モレーンの南側は土地が痩せている。ドイツに残る長大な河川はいずれも最終氷期の河川に由来するが、ポーランドのヴィスワ川、ポーランド国境に伸びるオーデル川、エルベ川、ドイツ西部のヴェーザー川が互いに連結し、網目状の流路を形成するなど、現在とは異なる水系が広がっていた。
気候
ドイツの大部分はケッペンの気候区分でいう西岸海洋性気候に属し、温暖な偏西風とメキシコ湾流の北延である北大西洋海流の暖流によって緯度の割には比較的温和である[74]。温かい海流が北海に隣接する地域に影響を与え、北西部および北部の気候は海洋性気候となっている。降雨は年間を通してあり、特に夏季に多い。冬季は温暖で夏季は(30℃を超えることもあるが)冷涼になる傾向がある[75][76]。
東部はより大陸性気候的で、冬季はやや寒冷になる[74][76]。そして長い乾期がしばしば発生する。中部および南ドイツは過渡的な地域で、海洋性から大陸性までさまざまである。国土の大部分を占める海洋性および大陸性気候に加えて、南端にあるアルプス地方と中央ドイツ高地の幾つかの地域は低温と多い降水量に特徴づけられる[75]。
自然
ドイツは「ヨーロッパの地中海沿岸部山地混交林」と「大西洋北東部大陸棚海域」の2つの生態系ブロックに分けられる[77]。2008年時点ではドイツの過半が耕地(34%)と森林・疎林(30.1%)に占められており、13.4%が放牧地で、11.8%が定住地・道路となっている[78]。
動植物は中央ヨーロッパにおいて一般的なものである。ブナ、カシ、およびその他の落葉樹が森林の3分の1を構成しており、また針葉樹が植林の結果、増加傾向にある。トウヒとモミの木が高地山脈を占めている一方で松やカラマツを砂質土で見出だせる。シダ、花、菌類、そしてコケの多くの種がある。野生動物にはシカ、イノシシ、ムフロン、狐、アナグマ、ノウサギ、そして少数のビーバーが含まれている[79]。
ドイツにはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン干潟国立公園、ヤスムント国立公園、フォアポンメルン入り江地帯国立公園、ミューリッツ国立公園、下オーデル渓谷国立公園、ハルツ国立公園、ザクセン・スイス国立公園、バイエルンの森国立公園などの国立公園がある。ドイツ国内では400以上の動物園が運営されており、世界最多とされる[80]。ベルリン動物園はドイツ最古の動物園であり、ここには世界で最も多くの動植物種が収集されている[81]。
地方行政区分
ドイツには16の連邦州がある。ベルリンとハンブルクは都市州と呼ばれ、単独で連邦州を形成する。ブレーメンとブレーマーハーフェンも合わせて都市州となる。
名称 | 人口(人) | 州都/主府/本部 | 備考 |
---|---|---|---|
バーデン=ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg | 1078万6227 | シュトゥットガルト Stuttgart | |
バイエルン自由州 Freistaat Bayern | 1259万5891 | ミュンヘン München | |
ベルリン Berlin | 350万1872 | ||
ブランデンブルク州 Brandenburg | 249万5635 | ポツダム Potsdam | |
自由ハンザ都市ブレーメン Freie Hansestadt Bremen | 66万1301 | ブレーメン Bremen | |
自由ハンザ都市ハンブルク Freie und Hansestadt Hamburg | 179万8836 | ||
ヘッセン州 Hessen | 609万2126 | ヴィースバーデン Wiesbaden | |
メクレンブルク=フォアポンメルン州 Mecklenburg-Vorpommern | 163万4734 | シュヴェリーン Schwerin | |
ニーダーザクセン州 Niedersachsen | 791万3502 | ハノーファー Hannover | |
ノルトライン=ヴェストファーレン州 Nordrhein-Westfalen | 1784万1956 | デュッセルドルフ Düsseldorf | |
ラインラント=プファルツ州 Rheinland-Pfalz | 399万9117 | マインツ Mainz | |
ザールラント州 Saarland | 101万3352 | ザールブリュッケン Saarbrücken | |
ザクセン自由州 Freistaat Sachsen | 413万7051 | ドレスデン Dresden | |
ザクセン=アンハルト州 Sachsen-Anhalt | 231万3280 | マクデブルク Magdeburg | |
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein | 283万7641 | キール Kiel | |
テューリンゲン自由州 Freistaat Thüringen | 222万1222 | エアフルト Erfurt |
主要都市
ドイツは小邦分立による地方分権の歴史が長いため、ロンドンやパリ、東京のような首都への一極集中はしていない。人口は2021年のデータを使用。
人口順 | 都市 | 行政区分 | 人口(人) |
---|---|---|---|
1 | ベルリン | ベルリン | 3,891,385 |
2 | ハンブルク | ハンブルク | 1,915,689 |
3 | ミュンヘン | バイエルン州 | 1,618,112 |
4 | ケルン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 1,083,498 |
5 | フランクフルト | ヘッセン州 | 841,795 |
6 | シュトゥットガルト | バーデン=ヴュルテンベルク州 | 685,143 |
7 | デュッセルドルフ | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 653,167 |
8 | ドルトムント | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 653,167 |
9 | エッセン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 608,156 |
10 | ライプツィヒ | ザクセン州 | 659,265 |
11 | ブレーメン | ブレーメン州 | 580,355 |
12 | ドレスデン | ザクセン州 | 594,693 |
13 | ハノーファー | ニーダーザクセン州 | 573,259 |
14 | ニュルンベルク | バイエルン州 | 547,642 |
15 | デュースブルク | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 495,405 |
16 | ボーフム | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 368,457 |
17 | ヴッパータール | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 361,423 |
18 | ビーレフェルト | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 342,643 |
19 | ボン | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 339,426 |
20 | ミュンスター | ノルトライン=ヴェストファーレン州 | 343,476 |
経済
2023年のドイツの国内総生産(GDP)予測は4兆4298億米ドルであり、アメリカ、中国に次ぐ世界第3位の経済大国である[83]。ヨーロッパではGDP1位であり、世界で有数の先進工業国である[1]。ビスマルク統一直後にイギリスを抜いて世界最大の経済大国となり、1890年代にはアメリカに抜かれたものの、今度はアメリカ資本の集中的な投下を受けて充実を維持した。両国は第二次産業革命の牽引役と言われている。
ドイツの主要産業は工業で、自動車産業を含む機械工業、化学工業、金属産業、電気製品製造業が発達している[1]。大企業より中小企業の割合が他の先進国より高い。ドイツは戦前から科学技術に優れており、ガソリン自動車やディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人であった。また現在見られる液体燃料ロケット(スペースシャトル、ソユーズ、アリアン、H-IIAなど、固体ロケットM-Vロケットなどを除く)は戦時中にナチスが開発した技術が基礎となっている。現在でも技術力があり、自動車はメルセデス・ベンツ、ポルシェ、BMW、アウディ、フォルクスワーゲンといったブランドが世界的に有名である。そのほか、化学・薬品大手のバイエル、ベーリンガーインゲルハイム、BASF、電機大手のシーメンス、ボッシュ、航空会社のルフトハンザドイツ航空、金融のドイツ銀行、コメルツ銀行、経営管理ソフトウェア大手のSAP、光学機器メーカーのカール・ツァイス、ライカ、機械メーカーのMAN、フォイト、リープヘル、クーカ、シュマルツ、ティッセンクルップ、世界最大の映画用カメラメーカーであるアーノルド&リヒター、人工透析で世界シェア40%のフレゼニウス、呼吸器メーカーのドレーゲルなど、世界的に活動している大企業は多い。
また生活用品や日用品においても、家庭用・業務用洗剤のヘンケル、清掃機器のケルヒャー、高級キッチンのミーレ、電気シェーバーや電動歯ブラシのブラウン、スポーツ用品のアディダス、プーマ、高級時計のランゲ・アンド・ゾーネや軍用時計のチュチマ、世界最初の電波時計を作ったユンハンス、筆記用具のモンブラン、ペリカン[注釈 2]、ロットリング、ラミー、ファーバーカステル、ステッドラー、音響機器のゼンハイザー、ベリンガーや世界初のステレオヘッドフォンを発売したベイヤー、ぬいぐるみのテディベアで知られるシュタイフなど世界的に著名な企業が多い。
旧西ドイツは日本同様、第二次世界大戦後に急速な経済発展を成し遂げたが、1990年の東西統一以降旧東ドイツへの援助コストの増大、社会保障のためのコスト増大などが重荷となって経済が低迷した。また、旧東ドイツでは市場経済に適応できなかった旧国営企業の倒産などで失業が増え、旧東側では失業率が17.2%に達し、深刻な問題となっていた。企業が人件費の安いポーランドやチェコなどへ生産拠点を移転させようとしているために、ますます失業が増えるのではないかとの懸念もある[要出典]。しかしこの数年はGDPは増加傾向であり[84]、失業率も減少して2011年の時点では1991年以来の低水準となっている[85]。OECDのデータによると、ベルリンの1人当たりの税引き後可処分所得(物価ベース)はドイツの平均を下回っており、これは世界でも珍しいことで、先進国の首都としては例外的である[86]。
かつては全ての州で「閉店法(Ladenöffnungszeit)」により、(空港や駅構内の売店、ガソリンスタンド併設のコンビニを除く)小売店は平日(月曜日から土曜日まで)は20時から翌朝6時まで、日曜・祝日は終日営業できないといった規則が定められていたが、2006年のFIFAワールドカップ開催をきっかけとして営業時間が延長された。同時に各州に閉店法に関する詳細を定める権限も移り、一部では閉店法自体が撤廃される州も出てきている。大型のショッピングセンターやトルコ人、イタリア人、ギリシャ人、中国人など外国人が経営する店は深夜や土日も開店している場合も多い。
2010年代後半からユーロ安により安定的な経常収支の黒字を記録してきた。2019年の経常黒字額は2930億ドルと4年連続世界最高水準を記録。経常黒字の対国内総生産比は、欧州委員会が持続可能と見なす水準6.0%を超え7.6%に達した[87]。
電力・エネルギーと環境問題
2008年時点、ドイツは世界第6位のエネルギー消費国であり[88]、主要エネルギーの60%を輸入に依存していた[89]。2022年のエネルギーの輸入依存度は69%となっている[90]。政府はエネルギー効率改善と再生可能エネルギー活用を推進している[91]。エネルギー効率は1970年前半以降改善しており、政府は2050年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げていた[92]。2010年時点でのエネルギー源は石油(33.8%)、褐炭を含む石炭(22.8%)、天然ガス(21.8%)、原子力(10.8%)、水力発電や風力発電(1.5%)、そしてその他の再生可能エネルギー(7.9%)となっていたが[93]、2022年の発電構成は風力21.7%、褐炭20.1%、天然ガス13.8%、石炭11.2%、太陽光10.5%、バイオマス7.7%、原子力6.0%、水力3.0%、その他の再生可能エネルギー1.0%、その他4.9%となっており[94]、このうち電力消費中の再生可能エネルギーは46%に達し、新たな目標として2035年までに国内電力需要を再生可能エネルギーのみで賄うことを目標に掲げた[95]。 2000年、政府と原子力産業は2021年までに全ての原子力発電所を閉鎖することに合意した[96]。さらに2011年の日本の福島第一原子力発電所事故を受けて原子力発電(原発)からの脱却を決め、最後まで稼働していた3基を2023年4月15日に送電網から切り離した[97]。近年は再生可能エネルギー産業が急成長している[98][99]。また電力に関しては2008年以降、輸出が輸入を上回っている[100][101]。
ドイツは京都議定書や生物多様性、排出量規制、リサイクルそして再生可能エネルギーの利用などを推進するその他の諸条約に係わっており、世界レベルでの持続可能な開発を支持している[102]。ドイツ政府は大幅な排出量削減運動に着手しており、国内の排出量は低下している[103]。しかしながら、2019年時点でのドイツの温室効果ガス排出量は中国、アメリカ、インド、ロシア、日本に続き世界第6位であり、依然としてEU最大である[104]。
特に電力系統において、1990年から固定価格買い取り制度を採用、スマートグリッドを構築中である。1994年、基本法第20条a項として「国は未来の世代に対する責任という面においても生活基盤としての自然を保護するものとする」という条文が採用された。経済と環境は対立するものではなく、大気、土壌、水質の保護は経済発展の前提条件とされた。背景には、国土が狭いうえに海岸線が短いため埋立地も十分に確保できず、そのうえ廃棄物の他国への越境移動が禁止されたため、自国内で処理せざるを得なくなったことである。環境保護に対する国民の意識が高まり、1998年に同盟90/緑の党が連立政権に参加した。
- 1986年 - 廃棄物発生防止・処理規正法
- 産業廃棄物などの発生源によって規制する規則。
- 1991年6月 - 包装材廃棄物政令
- 1994年10月 - リサイクル経済促進・廃棄物無公害処分確保法(廃棄物リサイクル促進法)
- 1996年10月 - 同法施行
- 製造業者の関与を深める法体系を作った。
- 2002年1月 - デポジット制の制定
- 環境に優しくない素材のすべての容器包装廃棄物にデポジットが課される。
- 2011年7月 - 脱原発法の成立
- 2011年3月の福島第一原子力発電所事故の発生を機に反原発の声が高まり、2022年までに国内17基の原発を全て停止することになった[105]。2023年4月に全ての原子力発電所が稼働を停止[97]。
交通
ヨーロッパの中央部に位置するドイツは輸送機関の中枢となっている。このことは密集化され、かつ近代化された輸送ネットワークに反映されている。自動車大国であるだけに道路網も発達しており、アウトバーンと呼ばれる高速道路が主要都市を結んでおり、総延長は世界第3位である[106]。鉄道はドイツ鉄道(DB, Deutsche Bahn)が全国に路線を張り巡らせ、超高速列車ICEや都市間を結ぶインターシティ、ヨーロッパ各国との間の国際列車が多数運行されている[107]。また、都市部では近郊電車のSバーンや地下鉄(Uバーン)、路面電車の路線網が発達している。なおヴッパータールには、現在運行している世界最古のモノレールがある。トランスラピッドは世界金融危機で建設が断念された。
航空では、欧州でも屈指の大手航空会社ルフトハンザドイツ航空が世界各国に航空路線を持っている。また、ユーロウイングスなどの格安航空会社もある。ドイツ最大のフランクフルト空港とミュンヘン国際空港はルフトハンザの国際ハブ空港となっており、とりわけフランクフルト空港は欧州で3番目に利用旅客数の多い空港となっている[108]。そのほかの主要空港にはデュッセルドルフ空港、ベルリン・ブランデンブルク国際空港、ハンブルク国際空港、ケルン・ボン空港、ライプツィヒ・ハレ空港がある[109]。
科学技術
科学におけるドイツの業績は非常に大きく、研究開発活動はドイツ経済にとって不可欠な分野となっている[110][111]。これまでに103人のノーベル賞受賞者を輩出しており[112]、20世紀においては、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞といった科学の分野で、ほかのどの国よりも多くの受賞をしている[113][114]。非英語圏では群を抜いた受賞者数となっている。
アルベルト・アインシュタインやマックス・プランクの業績が現代物理学確立への重要な役割を果たし、ヴェルナー・ハイゼンベルクとマックス・ボルンがこれをより一層発展させた[115]。彼らの仕事はヘルマン・フォン・ヘルムホルツやヨゼフ・フォン・フラウンホーファーといった物理学者たちに引き継がれている。ヴィルヘルム・レントゲンはX線を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した[116]。また、カール・フリードリヒ・ガウス、ダフィット・ヒルベルト、ベルンハルト・リーマン、ゴットフリート・ライプニッツ、カール・ワイエルシュトラス、ヘルマン・ワイル、フェリックス・クラインといった数多くの数学者たちがドイツから生まれている。ドイツにおける研究機関にはマックス・プランク研究所やドイツ研究センターヘルムホルツ協会、フラウンホーファー協会がある[117]。毎年、10人の研究者にゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ賞が授与されており、最大250万ユーロの賞金は最も高額な学術賞の一つである[118]。
諸科学の中でも医学、薬学、化学はとりわけドイツが世界の先進的立場を占める分野であり、特に日本では徹底してドイツ医学に学ぶ傾向が強かったため、戦後かなり遅い時期まで日本の医師はドイツ語を学びカルテをドイツ語で書くことが常識とされていたほどである。森鷗外、北杜夫、手塚治虫といった医学者出身文化人がそろってドイツ文学に傾倒しているのもこの影響である。
ドイツは多数の著名な発明家や技術者の出身国であり、その中にはヨーロッパで初めて活版印刷を発明したとされるヨハネス・グーテンベルク[119]、ガイガー=ミュラー計数管を開発したハンス・ガイガー、初めて全自動デジタルコンピュータを製作したコンラート・ツーゼがいる[120]。フェルディナント・フォン・ツェッペリン、オットー・リリエンタール、ゴットリープ・ダイムラー、ルドルフ・ディーゼル、フーゴー・ユンカース、カール・ベンツといったドイツの発明家、技術者、企業家たちが現代の自動車や航空輸送技術を形づくった[121]。史上初の宇宙ロケット(V2ロケット)を開発した航空宇宙工学技術者のヴェルナー・フォン・ブラウンは、のちにNASAの主要メンバーとなり、サターンV型ロケットを開発してアポロ計画の成功に貢献している。ハインリヒ・ヘルツの電磁波分野での業績は現代の遠距離通信の発展にとってきわめて重要である[122]。
また、ドイツは環境技術の開発と利用に関する主要国の一つである。環境技術を専門とする企業の総売上高は2005年時点で再生エネルギー分野で164億ユーロ、廃棄物処理分野は500億ユーロにのぼる[123]。ドイツ環境技術業界の重要市場は、発電、サステイナブル・モビリティ[124]、材料能率差、エネルギー効率、廃棄物管理とリサイクル、持続可能な水管理である[125]。
- グーテンベルク
- レントゲン
- アインシュタイン
- ブラウン
- ヘルマン・ワイル
国民
少子高齢化が進み、1人の高齢者を2.9人で支える高齢社会に突入しており(2012年)、OECD各国では日本の次に少子高齢化が進行している[126]。2010年1月現在のドイツの人口は8180万人であり[127]、EU域内では最大、世界第15位である[128]。平均人口密度は平方キロメートルあたり229.4人である。平均寿命は79.9歳。2009年の合計特殊出生率は女性1人あたり1.4人、1000人あたりでは7.9人となり、世界で最も低率の国の一つである[129]。1990年代以降、死亡率が出生率を上回る状態が続いている[130]。
主要民族・少数民族
国民の8割はゲルマン系のドイツ語を母語とするドイツ民族である。ドイツ民族は欧州諸民族の例にもれず地域ごとに文化的差異が大きいが、おおむねゲルマン系の民族として認識されている。しかし、南部のバイエルン地方については、自己をドイツ民族ではなくバイエルン民族と定義する場合も多く、エスニックジョークの題材にもされる。厳密にはゲルマン民族の中のバイエルン族(オーストリア人なども含まれる)など複数の支族がドイツ語という共通点によってドイツ民族の名で包括されているのが実態だが、各支族はケルト人やスラヴ人との結びつきによって差異もあり、同時に支族間のボーダーレスもあって状況は単純ではない。他に北東部のラウジッツ地方には西スラヴ語群系の言語を話すソルブ人、バルト海沿岸部のフリースラント地方にはアングロ・フリジア語系の言語を話すフリジア人がそれぞれ存在する。またシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州には隣接するデンマーク王国の主要民族であるデンマーク人の居住区が広がるほか、ポーランドと国境を接する歴史からポーランド系ドイツ人の定住も長い歴史を持っている。
かつて東プロイセンを含む東欧やヨーロッパロシアの各地に住んでいたドイツ人は、独ソ戦でのドイツ軍敗退に伴う避難や戦後のドイツ人追放でドイツに移住し、ヴォルガ・ドイツ人などのドイツ移住はソビエト連邦の崩壊後も見られた。1987年以降は約300万人の、主に東欧や旧ソ連から移民した民族ドイツ人(Aussiedler)がドイツに再定住する動きも起きている[131]。2000年以降、亡命と移民に対して無制限だった以前の法律が改正された結果、亡命地を求める移民や民族ドイツ人を主張する人々(おもに旧ソ連圏)の移住は減少している[132]。
これら少数民族の権利獲得や自治権を求める動きは様々な形で実施されており、ドイツ国家からの分離独立が主張される場合もある。2017年、国内最大の日刊紙『ビルト』とイギリスの調査会社YouGovはドイツ全土で「自分が住む州はドイツから独立するべきか」について世論調査を行い、バイエルン自由州で32%、ザールラント州・テューリンゲン州・ザクセン州・メクレンブルク=フォアポンメルン州の6州で20%の州民が「ドイツから独立すべき」と回答した[133]。
移民・難民
ドイツ連邦統計局は、移民としての背景を持つ者の定義を「1949年以降にドイツ連邦共和国の領域に移民した者」「国内で出生した外国国籍者」「少なくとも一方の親が移民または国内で生まれた外国国籍者で、国籍保持者として生まれた者」としている。
2009年時点で連邦政府に登録されている外国人居住者は約700万人で、国内居住者の19%が外国人または両親の一方が外国人(送還された民族ドイツ人を含む)であり、これらの96%が西ドイツまたはベルリンに居住している[134]。ドイツへの移民者は、戦後復興期の西ドイツにおける外国人労働者の受け入れに始まり、ドイツ再統一、欧州連合のシェンゲン条約、欧州難民危機なども影響して2010年代も増加が続いている。近年では移民の総数はドイツ国民の約2割に達しつつあり、1945年以降で移民の割合が最も高くなっている[135]。2012年の時点では、OECD加盟国中、ドイツは米国に次いで2番目の移民大国となっている[136]。国際連合人口基金の統計によれば、ドイツは全世界の1億9100万人の移民人口のうち、約5%に相当する1000万人を受け入れており、移民受け入れ数では世界第3位である[137]。
移民集団の規模は統計データによって異なるが、最大の移民集団はロシア人(350万人)であり[138]、ポーランド人(285万人)[139]、トルコ人(280万人)[140][141]、アラブ人(100万人)[142] がこれに続いている。100万人以下の移民集団としてはイタリア人(83万人)[143]、ルーマニア人(48万9000人)[144]、ギリシャ人(28万3684人) [145]、オランダ人(35万人)[146]などがある。
ロシア系移民は大部分が旧東ドイツ領に相当する東部ドイツに定住しており、ドイツ再統一とソヴィエト連邦の崩壊という冷戦終結に伴う混乱が重なったことによって大量に増加した。また、同じく旧東側諸国からの移民としてポーランド系移民も冷戦後に急増したが、こちらは東部ドイツに限らず南部や西部にも移り住んでいる。かつては最大の移民集団であったトルコ系移民(クルド人と自認する者も含む)は、1960年代の西ドイツが労働力不足を補うためにトルコ共和国と移民協定を結んだことで流入し、現在でも第3位の規模を持つ移民集団を形成している。2010年代にはシリア内戦など中東の政情不安によってドイツへの難民申請が続き、シリア人を筆頭とするアラブ系移民が100万人以上に膨れ上がっている。ドイツの難民は他国と同様に精神的健康や生活上の困難に直面しているが[147][148]、2021年の調査によるとドイツの難民・庇護申請者はオーストリアやデンマークよりも社会的支援、雇用訓練、就学機会が充実している[149]。2024年6月26日、世界的な移民の観点から、ドイツ国籍の申請に関する大きな変化が起こる。つまり、2024年6月26日以降、ドイツは二重国籍を認めるだけでなく、最低3年間ドイツに住むだけでドイツ国籍を申請できるようになるが、日本は二重国籍を認めていないので、基本的に日本国民はこのメリットを享受できない[150]。
東欧やトルコからの安価な労働力の流入がドイツ人の雇用悪化を招き、失業者の中には暴動に走る者も現れ、ネオナチなどの移民排斥運動に賛同して外国人を襲撃するなど深刻な問題となっている。欧州難民危機以後は中東からの難民にも警戒感が広がり、西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者(PEGIDA)やドイツのための選択肢などネオナチとは違った新たな移民抑制運動が勢力を拡大している。
2023年パレスチナ・イスラエル戦争が発生すると、ドイツ国内に暮らすアラブ系の移民らの一部が街に繰り出し、ハマースによるイスラエル襲撃を祝福。パレスチナを擁護するデモが発生した。ショルツ首相は「ドイツ人は反ユダヤ主義は許さない」とアピールしたが、シナゴーグなどユダヤ人関係施設への警備強化を余儀なくされた[151]。
言語
ドイツ語は、ドイツの公用語であり支配的な言語である[152]。ドイツ語は欧州連合の23の公用語の一つであり、欧州委員会の3つの作業言語の一つである。ドイツで公認されている少数言語は、デンマーク語、低地ドイツ語、ソルブ語、ロマ語、そしてフリジア語であり、正式にヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(ECRML)により保護されている。移民の間で最も使用される言語はトルコ語、クルド語、ポーランド語、バルカン系諸言語、およびロシア語である。ドイツ国民の67%が2つ以上の言語を話し、27%は3つ以上の言語を話す[152]。
標準ドイツ語は西ゲルマン語群であり、英語、低地ドイツ語、オランダ語、そしてフリジア語と密接に関連し、分類されている。低い割合ではあるが、東ゲルマン語群(死語)と北ゲルマン語群とも関係する。ほとんどのドイツ語の語彙は、インド・ヨーロッパ語族のゲルマン分岐から派生している[153]。
単語の相当数がラテン語やギリシャ語からの派生であり、またフランス語そして最近の英語(デングリッシュとして知られる)からも含まれる。ドイツ語はラテン文字のアルファベットを使用して書かれる。ドイツ語方言(ゲルマン諸民族の伝統的な地方亜種にまで遡る)はその語彙、音韻や文法規則で標準ドイツ語からの言語変種に分類される[154]。
また、2011年時点、少数言語の研究団体エスノローグはドイツ連邦共和国内に以下を含む28言語の存在を認めている[155]。
- ドイツ語(国家公用語)
- 低ザクセン語(北ドイツ)
- 上ザクセン語(ザクセン州)
- アレマン語(バーデン=ヴュルテンベルク州)
- バイエルン語(バイエルン州)
- リンブルフ語(ノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)
- マインツ語(マインツ市)
人名・婚姻
18世紀ドイツにおいては、キリスト教の洗礼に際してミドルネームが与えられることがあった。また、女性のファミリーネームを記録する際には元の名前の最後に-inを付す習慣があった(たとえば「Hahn」が「Hahnin」と書かれる)。また、一家で最初に生まれた男の子には父方の祖父の名を、一家で最初に生まれた女の子には母方の祖母の名をつけることがしばしば見られた。
また、伝統的には夫婦は同姓が原則で、日本の夫婦同姓のお手本になったとされる(1957年までのドイツの条文は、妻は夫の氏を称するとされており、日本の明治民法案(明治31年制定、それまでは日本は夫婦別姓)はそれとまったく同じ)。しかし、1957年、妻が出生氏を二重氏として付加できるとする改正が行われた。さらに、1976年の改正で、婚氏選択制を導入し、婚氏として妻の氏を選択する可能性を認め、決定されない場合は夫の氏を婚氏とするとされた。しかし、連邦憲法裁判所1991年3月5日決定が両性の平等違反としてこの条文も無効とし、人間の出生氏が個性または同一性の現れとして尊重され保護されるべきことを明言した。その結果、1993年の民法改正で[156]、夫婦の姓を定めない場合は別姓になるという形で、現在は完全な選択的夫婦別姓制度を実現している(ドイツ民法1355条)。
2001年に同性間パートナーシップ制度が発足し、2013年には同性カップルも異性カップルと同等の税優遇が認められた[157]。2017年6月、連邦議会が同性結婚を合法化する法案を可決し、異性結婚と平等に扱われるようになった(民法第1353条)[158][159]。
宗教
ドイツにおける最大の宗教はキリスト教で2008年現在で信者数5150万人(62.8%)である [160]。このうち30%がカトリック、29.9%がドイツ福音主義教会(EKD)に属する福音主義信徒である。ドイツ福音主義教会には20の州教会が加盟しており、常議員会議長がドイツ福音主義教会(EKD)を代表する。その他は小宗派(各々0.5%以下)である[161]。福音主義教会信徒は北部と東部、ローマ・カトリック教会信徒は南部と西部に多い。南部であっても、バイエルン州北部ニュルンベルクとその周辺やバーデン=ヴュルテンベルク州北部シュトゥットガルトとその周辺では福音主義教会信徒も多い。また、1.6%は正教会である[160]。
2番目に大きな宗教がイスラム教で、およそ380万 - 430万人(4.6 - 5.2%)[162]、次いで仏教徒が25万人、ユダヤ教が約20万人(0.3%)、ヒンドゥー教徒が9万人(0.1%)である。これ以外の宗教の信者は5万人以下である[163]。400万人のイスラム教徒のほとんどはトルコからのスンニ派またはアレヴィー派であるが、少数のシーア派や小分派も存在する[162]。ドイツのユダヤ人人口はフランス、イギリスに次いでヨーロッパで3番目である[164]。仏教徒の50%はアジアからの移民である[165]。34.1%が無宗教であり、旧東ドイツ地域と大都市圏に多い[161]。
宗教的多様性と国家干渉主義の両方の伝統を持つ中央ヨーロッパ、とりわけ旧東ドイツの各州においてゼクト(カルト)団体が増加しているドイツでは、予防啓発とゼクト脱退者保護の政策が地方レベルで実施され、ゼクト担当委員のポストが各州に創設された。中央レベルでは、教会法人格の取得に関する認証基準が定められた。情報交換を目的とした作業会議が州職員と州代表者の間で何度も開かれた。とはいえ市民社会には秩序があり、国家宗教は揺らいでいないため、この問題への関心は限定的である。現在のところ、禁止されたゼクトはない。そのうえ、国家権力の行動の幅は狭くなっている[166]。
教育
教育課程は初等教育4年、中等教育以降は職業人向けと高等教育進学向けの学校とに厳格に分けられている。前者の進路がいわゆる「マイスター制」である。12歳までは基礎学校(義務教育)で、子供の能力の見極めが重要になる。13歳から15歳では、就職のための専門的な職業教育が行われる。大学への進学を希望する場合はギムナジウムという進学校に進学し、大学進学に必要なアビトゥア資格の取得を目指す。
日本においては、俗に「ドイツでは工業職人がマイスターと呼ばれ、尊敬を受けている」という話がまことしやかに語られているが、正確ではない。第二次世界大戦後の高度成長の過程においては確かに事実であったが、近年では多くの子どもたちがギムナジウムに進学する傾向が見られ、これがドイツの財政(教育費)を圧迫する原因にもなっている。また、工業職人のイメージが強いマイスター制度だが、これも近年ではコンピュータ技術者といった従来のイメージとは異なる職種の学校が増えつつある。近年、国際化によりマイスター制度が先進工業の発展に寄与しなくなったことや、12歳で人生が決まってしまう学校制度に疑問が上がり、近年は義務教育からアビトゥア資格取得まで一貫した中等教育を行うシュタイナー学校や総合学校が広まっている。
大学においても近年変革の時期を迎えている。ドイツの大学はほぼすべてが州立大学で、基本的に学費は納める必要がない(ただし、州により学費徴収を行うケースもある)。
しかし、近年の不況の影響を受け、大学は授業料を徴収するかどうか、検討を始めている。また、かつてのドイツは大学卒業した者はエリートコースを歩み、大学卒業資格は社会で相当に高い評価を得ていたといえる。しかし、近年における財政界からは、もっと柔軟な思考ができる学生が欲しいとの声が強まり、大学のカリキュラムも変革の時期を迎えている。
保健
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医療
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社会保障
ドイツの医療は世界で初めて公的年金、公的医療保険制度を導入した。日本を含む多くの諸外国がこれを取り入れている。1883年にオットー・フォン・ビスマルクが成立させた疾病保険法にさかのぼる世界最古の国民皆保険制度を有している[167]。現在、全住民には国家によって提供される基礎健康保険が適用され、保険者は公的・私的の中から自由に選択できる。世界保健機関によれば、2015年のドイツ国民医療費は84.5%が公費負担、15.5%が私費負担である[168]。GDPに占める医療費は11.2%であった。平均寿命は2016年時点で、男性が78.7歳、女性が83.3歳で男性は世界第24位、女性は世界第23位であった[168]。乳児死亡率は2018年時点で、出生児1000人あたり3.4人(男児:3.7人、女児:3.1人)と非常に低い数値である[15]。
2009年現在のおもな死亡原因は心血管疾患の42%、続いて悪性腫瘍の25%だった[169]。2008年現在、8万2000人がHIV/AIDSに感染しており、1982年以降、合計2万6000人がこの病気で死亡している[170]。2005年の統計では成人の27%が喫煙者である[170]。2007年の調査によれば、ドイツは肥満した人の数がヨーロッパで最大である[171][172]。
現在の年金制度は、連邦労働社会省が所管している。強制加入の国営年金保険と、任意の企業年金、私的年金の3つにて構成される。国営年金は雇用主と雇用者が折半して拠出し、2015年の保険料は18.7%であり、低所得者への減額制度がある[173]。さらに、2024年6月26日以降にドイツ国籍を取得しようとする移民の立場からすれば、将来を見据え、老後のためにきちんとした年金を払い続け、生活保護に依存しないことが求められる[174]。
治安
ドイツは2024年の世界平和度指数で20位、日本は17位である[45][46]。同連邦国警察の発表によれば、2019年のドイツ国内全体の犯罪発生件数は約544万件であり、人口10万人当たりの犯罪発生件数は日本の約10倍に上っている。犯罪種別は、スリやひったくりなどの窃盗、強盗や詐欺などといった金銭ならび財産に関わる犯罪が殆どであるが、傷害や暴行(婦女暴行を含む)といった身体の安全に関わる犯罪も発生している。
特に、観光客が多く訪れる首都ベルリンを始めとする大都市や観光地は、外国人犯罪グループの流入、麻薬の蔓延などの様々な要因から犯罪発生率が高くなっている現状がある。一般に、ヨーロッパの大都市は治安が悪く[175]、ベルリンの「積極的平和指数」と「一般的平和指数」はともにドイツで最低であった。ワースト3はベルリン、ブレーメン、ハンブルクである[176]。
さらに一定規模以上の都市には、特定の国・地域出身の外国人が多く定住する区域が存在しており、これらの場所はその国・地域の文化が根付いており、日中は活気がある反面、夜間の治安は一般的にあまり良くない傾向にある。このほかにも都市によっては、麻薬や犯罪の巣窟となっている危険地域(No-Go-Areas)が存在する為、それらの地域には絶対に近付かないよう現在も警告がされている。
一方でドイツは難民受け入れに積極的な政策をとっており、2015年以降これまでに180万人以上の難民がシリアやイラクなどからドイツに入国して来ている。こうした中、反移民・難民を標榜するデモが大都市を中心に同連邦国内で断続的に発生し、一部が暴徒化するケースも見受けられる。逆に反移民・難民の機運に対する不満と移民や難民に紛れ込んだテロリストが潜伏している危険性が高いため、滞在時の外出や散策は安易に行わないよう注意が必要となって来る[177]。
治安維持
治安維持については他国と同じく、基本的には警察(Polizei)によって行われる。その警察組織はナチスドイツ時代に設置されていた集権的な秩序警察(Ordnungspolizei)を廃止し、それぞれの州政府によって地方警察 (Landespolizei)が運営され、警察とは別に都市や地区レベルの治安組織もある。連邦全体の組織としては連邦刑事局(BKA)および連邦警察局(BPOL)があり、前者は複数の州や他国が関係する事件に介入して調整を行い、後者は国境警備やカウンターテロリズムを担当する。世界的に知られる特殊部隊であるGSG-9はBPOLの指揮下にある。集団警備が必要な場合は機動隊(Bereitschaftspolizei)が動員されるが、これについてはBPOLと地方警察がそれぞれ部隊を持ち、内務省が全体を管轄している。
ほかに警察組織以外の特殊な治安機関としては内務省直属の連邦憲法擁護庁(BfV)が存在し、政府直属の連邦情報局(BND)、軍直属の軍事保安局(MAD)と並んで諜報機関としても機能している。
人権
ドイツは、他者の人権の受容、汚職の少なさ、情報の自由な流れ、良好なビジネス環境、高い人的資本、資源の公正な配分、よく機能する政府、近隣諸国との良好な関係によって決定される2024年積極的平和指数で世界11位である[49][50]。さらにメタ分析論文によれば、2019年、ドイツはスウェーデン、オランダ、ノルウェーを含む調査対象国の中で、有色人種に対する雇用差別が最も低い[178]。ドイツでは、男女平等を無視し[150]、差別や外国人排斥を行った場合[179]、あるいはそれ以外で3カ月以上の禁固刑や日額90の罰金刑を受けた場合は、ドイツ国籍を申請することができない[174]。
マスコミ
2024年の経済平和研究所によれば、ドイツは情報の自由度において世界第10位である[50]。
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文化
歴史的にドイツは「詩人と思想家の国(Das Land der Dichter und Denker)」と呼ばれてきた[180]。連邦各州が文化施設を担当しており、ドイツには助成を受けた240の劇場、数百の交響楽団、数千の博物館。そして2万5000以上の図書館がある。これらの文化施設は多くの人々に利用されており、毎年延べ9100万人のドイツ人が博物館を訪れ、20万人が劇場やオペラ、3600万人が交響楽団を鑑賞している[181]。国際連合教育科学文化機関は、ドイツでは36件を世界遺産リストに登録している[182]。
ドイツは高いレベルの男女平等[150][183]、障害者の権利促進、同性愛者に対する法的社会的寛容を確立している。ゲイとレズビアンはパートナーの遺伝的子供を養子とすることができ、2001年以降にはシビル・ユニオン(結婚に準じる権利)[184] が認められた[185]。1990年代半ば以降、ドイツは移民に対する態度を変えており、ドイツ政府とドイツ人の過半数が移民の管理は資格基準に基づいて許可されねばならないと認識するようになった[186]。ドイツは、北欧諸国やオランダと同様、プロテスタントの文化圏であり[187]、宗教改革以来、ドイツ、オランダ、北欧の合理主義のおかげで、社会は福祉を重視してきた[50][187]。ドイツは第二次世界大戦中の歴史的要因による罪を償い、イスラエルをほぼ無条件で支持している[188]。また、二重国籍が解禁され、ドイツ国籍の申請要件が比較的緩和されたことは、二重国籍を認めていない日本では基本的に享受できない[150]。
ドイツは2010年に世界でもっとも賞賛される国の統計で50か国中第2位に挙げられた[189]。2013年のBBCの世論調査によれば、ドイツは世界でもっとも肯定的な影響を与えている国と認められている[190]。同様に、2018年に欧州委員会が実施した欧州連合加盟国の世界の主要経済国に対する好感度調査では、ドイツはフランスと日本を僅差で上回った[47]。
ドイツの祝日は啓蒙思想の犠牲となった歴史をもち、ドイツ連邦制を象徴する文化である。ドイツはカトリック・プロテスタントが混在しているため、元日やドイツ統一の日のようにドイツ全土で祝日とされている日のほかに、カトリック信者の多い州だけ、あるいはプロテスタント信者の多い州だけ祝われる日が存在するため、州によって祝日は異なっている。
食文化
ドイツ料理は地域ごとに特色があり、バイエルンやシュバーヴェンといった南部はスイスやオーストリアと食文化が共通している。すべての地域で肉はしばしばソーセージにして食べられる[191]。料理は火を使わずに用意できるカルテス・エッセン(kaltes Essen、冷たい食事)と、調理してから出されるヴァルメス・エッセン(warmes Essen、温かい食事)とに大別される。よく知られているものとしては、前者にソーセージ(Wurst)、ハム(Schinken)、チーズ(Käse)などの冷製食品、後者に塩漬け肉アイスバイン(Eisbein)、キャベツの塩漬けザワークラウト(Sauerkraut)、肉や魚の団子クネーデル(Knödel)などがある。
有機農産物が市場の約2%を占めており、今後も増加する見込みである[192]。ドイツの多くの部分でワインが親しまれているが、国民的酒類はビールである。ドイツ人のビール消費量は減少傾向にあるが、依然として年間1人あたり116リットルが消費されており、世界最大である[193]。また、ビールの醸造では世界最古のヴァイエンシュテファン醸造所がミュンヘンから北東のフライジングにある。
ミシュランガイドは9件のレストランに三つ星を、15件に二つ星をつけている[194]。ドイツのレストランはフランスに次いで世界で2番目に賞を受けている[195]。
飲料
代用コーヒー
フリードリヒ2世が1777年にコーヒーの禁止令を布告して以降、ドイツではどんぐりコーヒーなどの代用コーヒー産業が発展した。いうまでもなく現在のドイツではコーヒーは禁止されていない。
ビール
ビールは16歳以上(保護者同伴ならば14歳から)の国民が飲めるアルコール飲料である(ただし、フランクフルトなど地方によってはリンゴのワインの方が人気)。ミュンヘンのオクトーバー・フェストは世界最大のビール祭りといわれる。ドイツのワインは白ワインが主体。かつてはリースリング種を使った甘口のワインが多かったが、食生活の変化に伴い辛口の白ワインや赤ワインが生産・消費ともに増加している。蒸留酒は18歳以上の国民が飲むことができる。
文学
ドイツ文学は中世のヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品にまでさかのぼることができる。著名なドイツ人作家には、かの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやフリードリヒ・フォン・シラー、ハインリヒ・ハイネがいる。グリム兄弟によって編纂出版された民話集はドイツ民話を国際レベルにまで知らしめた。20世紀の有力作家にはトーマス・マン、ベルトルト・ブレヒト、ヘルマン・ヘッセ、ハインリヒ・ベル、ギュンター・グラスがいる[196]。ノーベル文学賞にはテオドール・モムゼン(1902年)、ルドルフ・クリストフ・オイケン (1908年)、パウル・フォン・ハイゼ (1910年)、ゲアハルト・ハウプトマン(1912年)、トーマス・マン (1929年)、ヘルマン・ヘッセ(1946年)、ハインリヒ・ベル(1972年)、ギュンター・グラス(1999年)、ヘルタ・ミュラー (2009年)が選ばれている。エーリッヒ・ケストナー、オトフリート・プロイスラー、ミヒャエル・エンデなど児童文学界に影響を与えた人も多い。
ドイツ語圏の出版社は年間7億部を発行しており、出版タイトルは約8万で、そのうち6万が新刊である。ドイツ語書籍は英語圏市場や中華人民共和国に次ぐ第3位の市場規模を誇っている[197]。500年に及ぶ伝統を持つフランクフルト・ブックフェアは国際取引市場でもっとも重要な書籍見本市である[198]。ドイツは人口10万人あたりの図書館数がG7で一番多く、10万人あたり14.78館が存在する[199]。2005年にはドイツ語長編小説を対象とするドイツ書籍賞が創設された。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (1749–1832) | フリードリヒ・フォン・シラー (1759–1805) | グリム兄弟 (1785–1863) | トーマス・マン (1875–1955) | ヘルマン・ヘッセ (1877–1962) | ベルトルト・ブレヒト (1898–1956) |
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哲学
ドイツ哲学は歴史的に重要である。とりわけ影響力があったものには合理主義哲学に対するゴットフリート・ライプニッツの貢献、イマヌエル・カント、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル、フリードリヒ・シェリングによる古典的ドイツ観念論の確立、アルトゥル・ショーペンハウアーの形而上学的厭世論の著作、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる共産主義思想の理論化、フリードリヒ・ニーチェによる遠近法主義の展開、分析哲学黎明期におけるゴットロープ・フレーゲの功績、存在(Being)に関するマルティン・ハイデッガーの著作そしてマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノ、ヘルベルト・マルクーゼ、ユルゲン・ハーバーマスによるフランクフルト学派の発展がある。21世紀においてドイツはフランス、オーストリア、スイスそしてスカンジナビア諸国とともにヨーロッパ大陸における現代分析哲学の発達に貢献してきた[200]。
音楽
ドイツは、18世紀後半以降の音楽史で、同系国家であるオーストリア(1866年まではドイツ連邦議長国)とともに独占的ともいえる地位を築き、今もヨーロッパの歌劇場(オペラハウス)の過半数[201]、全世界のオーケストラの4分の1以上[202] がドイツにあるといわれる。
現在のドイツ連邦共和国の領域に限ってもヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、ヨハネス・ブラームスの「ドイツ三大B」をはじめとして、ロベルト・シューマン、フェリックス・メンデルスゾーン、リヒャルト・ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどクラシック音楽史上に名を残す作曲家や演奏家を多数輩出した。今日のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする世界クラスのオーケストラや音楽祭も多い。オーストリアからはフランツ・ヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、フランツ・シューベルト、アントン・ブルックナー、グスタフ・マーラーらが有名だが、マーラーを除いては完全にドイツの一部(というよりもドイツ人全体の政治的盟主、文化的中心地)とみなされていた時代の出身であり、文学と同じく同言語圏を一括りにして語られることが多い(相互の移動や各時代における国民意識など分離して考えることが困難なため、ベートーヴェンがドイツ音楽でブルックナーはオーストリア音楽というような分け方はほとんどされない。フランツ・リストら東欧植民ドイツ人から帰還活躍しドイツ楽派と呼ばれる存在もいる)。世界最大のクラシック音楽大国とされている。指揮者も同様に著名な人物を多数輩出している。
オペラ、コンサート、演劇への関心も強く、ある程度の規模の街には州立(国立と呼ばれる場合もある)ないし市立の歌劇場、オーケストラがある。ドイツ公共放送連盟加盟の各地の放送局が所有している放送オーケストラ(バイエルン放送交響楽団・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団など)も総じてレベルが高い。オペラは、年間上演数がオーストリアとスイスのドイツ語圏をあわせるとイタリアの4倍近く、世界でも群を抜くオペラの中心国であり、諸外国からドイツ語を学んだ歌手が多く集まっている。逆にいえばドイツ人だけでは陣容を維持できない規模になっているともいえ、ポピュラー系のショービジネスや野球におけるアメリカに似た地位にある。そのほか、オペレッタ、ミュージカル、バレエ、ストレートプレイの上演も盛んである。特にストレートプレイについては、資本主義国では希少な公務員並の待遇の俳優が多数存在する国であり(他にオーストリアなど)、自国語を捨ててでも安定した身分で演劇に専心できる生活を目指して入国してくる外国人も少なくない。バレエも、オーストリアを含めてもめぼしい歴史的作品を生んでいないにもかかわらず、上演活動に関してはロシアと並ぶ2大国の座を占めている。
ポピュラー音楽については、1979年、ジンギスカンの『ジンギスカン(Dschinghis Khan)』『めざせモスクワ(Moskau)』や、1980年代にネーナがアメリカ合衆国などでもヒットさせた『ロックバルーンは99(99 Luftballons)』などが知られている。
また最近では、旧・東ドイツの都市ライプツィヒの聖トーマス教会の少年合唱団出身者などにより結成されたディー・プリンツェンが、2002年のサッカーFIFAワールドカップ日韓大会で活躍し、最優秀選手に選出されたドイツ代表のゴールキーパーであるオリバー・カーンをモチーフにした曲『OLLI KAHN』が話題を呼んだ。
ロック音楽では、おもなミュージシャンとしてプログレッシヴ・ロックのタンジェリン・ドリーム、テクノの元祖クラフトヴェルク、ハード・ロックのスコーピオンズ、マイケル・シェンカー・グループ、フェア・ウォーニング、ヘヴィ・メタルのアクセプト、ハロウィン、ガンマ・レイ、ブラインド・ガーディアン、エドガイ、レイジ、プライマル・フィア、ラムシュタイン、U.D.O.などの名が挙げられる。
テクノやトランスなどのクラブ系は、野外レイヴ「ラブパレード」や屋内レイヴ「メーデー」が開催されるなど、ドイツ国内に広く普及している。テクノではベルリンのトレゾアやケルンのコンパクトなどのレーベルから世界中のアーティストが曲をリリースしている。トランスの分野では、東ベルリン出身のDJ・ポール・ヴァン・ダイクが『DJ Magazine』誌の人気投票で1位を獲得している。電子音楽、エレクトロニカ、サウンドアートなども盛んであり、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるアルヴァ・ノトが主催するレーベルRaster-Notonなど注目度が高い。
美術
ドイツ・ロマン派のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フィリップ・オットー・ルンゲなどの画家名やドイツ表現主義などの項目を参照。
第一次世界大戦中から戦後、ドイツは表現主義や新即物主義を生み出し、デザインや建築でもバウハウスを中心に革新的な動きを起こした。バウハウスに集ったヴァルター・グロピウス、ハンネス・マイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ヨハネス・イッテン、ピエト・モンドリアン、ヴァシリー・カンディンスキー、モホリ・ナギといった美術家・建築家らは、合理主義・表現主義・構成主義といった美術観・建築観に基づくデザインを生み出し、今日のデザイン分野への影響は甚大である。
しかし既存のロマン派的流れを汲む美術団体との軋轢、およびナチスの「退廃芸術」排除の政策から、主だった美術家・建築家はアメリカ合衆国などに移民し、ドイツの芸術は壊滅的打撃を受けた。
1960年代以降、フルクサスやヨーゼフ・ボイス、アンゼルム・キーファー、ゲルハルト・リヒターなど、世界に影響を与える芸術家が多数登場し、ドイツの美術・建築・デザインは再び世界的存在感を高めている。
映画とテレビ
ドイツ映画は草創期のマックス・スクラダノフスキーにさかのぼり[203]、ロベルト・ヴィーネやフリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウといったドイツ表現主義映画が影響力を持っていた[204]。1927年にはフリッツ・ラング監督によるSF映画の先駆たる大作『メトロポリス』が公開された[205]。1930年に公開されたオーストリア系アメリカ人のジョセフ・フォン・スタンバーグ監督『嘆きの天使』がドイツ初の大作トーキー映画である[206]。戦後はユダヤ系、反ナチ系の才能が多く流出したことや、巨大なウーファ撮影所が東ドイツの所属となったこともあり低迷し、日本で紹介されるのもポルノ映画やB級西部劇ばかりという状態が続いた。1970年代から80年代にかけて、フォルカー・シュレンドルフ、ヴェルナー・ヘルツォーク、ヴィム・ヴェンダース、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといったニュー・ジャーマン・シネマ監督たちが西ドイツ映画を国際的な舞台へと押し上げた[207]。毎年のヨーロッパ映画賞は隔年でヨーロピアン・フィルム・アカデミー(EFA)の本部のあるドイツで開催される。1951年以来、毎年開催されるベルリン国際映画祭は世界でもっとも重要な映画祭のひとつである[208]。
近年では『グッバイ、レーニン!』(Good Bye, Lenin!;2003年)、『愛より強く』(Gegen die Wand;2004年)、『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(Der Untergang;2004年)、『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(Der Baader Meinhof Komplex;2008年)が国際的な成功を収めている。ニュージャーマンシネマ勃興期と比べると、平明なエンタテインメント映画も豊富になってきた。また、1979年に『ブリキの太鼓』(Die Blechtrommel)、2002年に『名もなきアフリカの地で』(Nirgendwo in Afrika)、2007年に『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen)がアカデミー外国語映画賞を受賞している[209]。
3400万世帯のドイツのテレビ市場はヨーロッパ最大であり、ドイツ世帯の90%がケーブルテレビまたは衛星放送を視聴している[210]。放送局はドイツ公共放送連盟(ARD)加盟の各地の公共放送局、第2の公共放送ネットワークである第2ドイツテレビ(ZDF)などがある。
被服・ファッション
ドイツの伝統衣装は州によってその色合いが異なっている特徴を持つ。基本となるのはトラハトと呼ばれる衣装であり、ドイツ周辺地域の被服文化にも多大な影響を及ぼしていたものとして現代でも認知されている。ドイツ国内では19世紀まで厳格な服装規定により、田舎地域の衣装の自由な発展が妨げられていた。これは当時の統治者たちが、自分の臣下が見栄を張って借金をするのを防止する為の策として華美な服装を規制していたことが大きな要因であった[211]。
現代においてドイツは、フランス、イギリス、アメリカ合衆国、イタリア、スペイン、日本と並んでファッション産業における重要な役割を果たす国の一つに数え上げられている。同国ではベルリン・ファッション・ウィークと呼ばれるファッション・ウィークのイベントが毎年2回開催されている。
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建築
ドイツの建築史は、カロリング朝ルネッサンスから現代建築まで、豊か且つ多様な伝統を持つものとなっている。
同国の建築は、領土となる地域が何世紀にも亘って公国、王国、その他の自治領に分割されたため「地域の多様性が大きい」特徴点が顕著に現れている面を持つ。
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世界遺産
ドイツ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が48件、自然遺産が3件で合計51件の世界遺産が現存する。イタリア・中国に次ぐ3番目の登録件数である。
- アーヘン大聖堂(1978年、文化遺産)
- ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場(1981年、文化遺産)
- シュパイアー大聖堂(1981年、文化遺産)
- ベルリンのモダニズム集合住宅群(2008年、文化遺産)
- メッセル採掘場の化石発掘現場(1995年、自然遺産)
祝祭日
連邦法により現在、『ドイツ統一の日』のみが正式な国民の祝日とされている(統一条約、第2条第2項)。
この節では、東西統一以後[注釈 3]の同国にて、国家全体の法定休日として確立されている日を延べる。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 新年 | Neujahr | |
復活祭2日前 | 聖金曜日 | Karfreitag | 復活祭(Ostersonntag)は基本的に移動祝日だが、必ず日曜日になるので、休日と定められている。 復活祭の日付についてはコンプトゥスを参照。 |
復活祭翌日 | 復活祭後の月曜日 | Ostermontag | |
5月1日 | 労働者の日(メーデー) | Tag der Arbeit | |
復活祭39日後 | 主の昇天(キリスト昇天祭) | Christi Himmelfahrt | |
復活祭50日後 | 聖霊降臨後の月曜日 | Pfingstmontag | 聖霊降臨(Pfingsten)も基本的に移動祝日であるが、必ず日曜日になるので、休日と定められている。 |
10月3日 | ドイツ統一の日 | Tag der Deutschen Einheit | |
12月25日・26日 | クリスマス(降誕祭) | Weihnachten |
スポーツ
オリンピックにおいて歴代ドイツ選手団は優秀な成績を収めており、獲得メダル数は旧東西ドイツ時代を含めるとアメリカ、ロシア(旧ソ連時代も含む)に次いで世界第3位となる。2016年夏季オリンピックにおいてドイツはメダル獲得数第5位[212]、2018年冬季オリンピックでは第2位であった[213]。ドイツは夏季オリンピックを1936年ベルリン大会と1972年ミュンヘン大会の2度開催しており、冬季オリンピックは1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会を1度開催している。アディダスのホルスト・ダスラーは、金権政治でオリンピックを冒涜した。その後、アディダスはベルナール・タピの手に渡った。
サッカー
ドイツ国内でサッカーは圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。通常ドイツのスポーツ競技団体はドイツスポーツ連盟(DSB)に加盟しているが、ドイツサッカー連盟(DFB)は会員数630万人以上を数え、他の団体に比しても規模が大きい事で知られる。サッカードイツ代表はFIFAワールドカップには20回の出場歴があり、4度の優勝と4度の準優勝(西ドイツ時代も含む)を誇り、現在においても安定した強さを持つ欧州屈指の強豪国である。優勝回数4回は、5回のブラジル代表に次ぎイタリア代表と並ぶ世界第2位の記録である。ただし、2022年には日本に敗れている[214]。
2006年には、1974年の西ドイツ大会以来32年ぶりにワールドカップが同国で開催され、3位入賞を果たしている。さらにUEFA欧州選手権ではスペイン代表と並ぶ大会最多3度の優勝と、3度の準優勝(西ドイツ時代も含む)を達成している。また、サッカー女子代表も強豪として知られており、FIFA女子ワールドカップでは2003年大会と2007年大会で連覇し、UEFA欧州女子選手権では前人未到の6連覇を成し遂げている。
ドイツはゴールキーパー大国としても知られており、ゼップ・マイヤーから始まり、ハラルト・シューマッハー、アンドレアス・ケプケ、ボド・イルクナー、オリバー・カーン、マヌエル・ノイアーなど、どの時代にも名キーパーが多いことからPK戦時には驚異的な強さを誇る。
プロリーグ
1963年に創設されたプロサッカーリーグのドイツ・ブンデスリーガは欧州屈指のレベルにあり、バイエルン・ミュンヘンを筆頭に、ボルシア・ドルトムントやRBライプツィヒ、バイエル・レバークーゼンといった強豪クラブがしのぎを削っている。中でもバイエルン・ミュンヘンは、UEFAチャンピオンズリーグでドイツのクラブ最多となる6度の優勝を果たしている[215]。
なお、日本人選手では1977年の奥寺康彦の1.FCケルン移籍をはじめとし[216]、香川真司のドルトムントでのリーグ連覇や、リーグに15年間在籍している長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)など、数多くの選手が過去から現在にかけてドイツのチームで活躍している。
モータースポーツ
四輪
ドイツでは、古くから自動車産業が盛んなことからモータースポーツの伝統国のひとつとして知られる。特に四輪では、メルセデス・ベンツ、ポルシェ、アウディ、BMWの4社を筆頭に、自動車会社各社が目覚しい記録を残している。戦前のF1世界選手権が開幕する前のグランプリレース(ヨーロッパ・ドライバーズ選手権)では、メルセデス・ベンツやアウトウニオン(アウディの前身)がチャンピオンを獲得した。ナチス・ドイツは、自国のこうした自動車メーカーの勝利を国威高揚のために利用した。
戦後復興したメルセデスはF1とル・マン24時間レースに参戦するが、1955年ル・マンで50人以上の観客を死に至らしめる大クラッシュを喫し、1980年代までモータースポーツ活動自体から撤退した。これ代わってポルシェがスポーツカーレースの世界で類を見ない活躍を見せ、ル・マン24時間レースの最多勝利記録を打ち立てている。アウディは、1980年代にWRCでいちはやく四輪駆動技術を導入し、その後のラリー界に大きな変革をもたらした。またBMWは1960年代から2000年代にかけヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)で最多勝(18勝)を挙げるなどツーリングカーの分野において圧倒的な強さを誇った。
21世紀に入るとポルシェに代わってアウディがル・マンの盟主となり、ル・マン優勝記録の2位につけた。また古コンストラクターとしてメルセデスAMG F1が2014年から2020年で7年連続でタイトルを獲得し、フェラーリを凌ぐ最強チームとして君臨している。GTでも上記4社が圧倒的な存在感を示している。電気自動車の分野にも積極的であり、フォーミュラEやエクストリームEなどに4社が電気自動車のレーシングカーを投入している。
ドイツの選手権としては、DTMとADACマスターズが知られ、特に前者は欧州各地を転戦する国際的ツーリングカーシリーズとして君臨していた時期がある。2020年前後にカーボンニュートラルへの対応としてドイツ各社が撤退してしまったが、2023年にEVレースとしての復活を目論んでいる。F1ドライバーのミハエル・シューマッハ、セバスチャン・ベッテルやDTMのベルント・シュナイダーを筆頭に優秀なレーシングドライバーを数多く輩出している国でもある。2010年代はドイツ国籍のF1ドライバーが特に多かった時代で、同様に耐久レースでも多数のドイツ人ドライバーが活躍している。
二輪
二輪モータースポーツにおいてもその活動は顕著であり、古くはNSUや、ツェンダップ、クライドラー、旧東ドイツのMZモトラッドなどが世界選手権を席巻した。その時代の代表格ともいえる選手がエルンスト・デグナーである。近年においては実力のある選手を輩出するものの、ドイツのメーカーがWGPに参戦していない時期が長かった関係から日本製オートバイでの活躍が目立つ。WGP通算42勝のアントン・マンク、スズキにタイトルをもたらしたハンス=ゲオルグ・アンシャイト、ダーク・ラウディス、ステファン・ブラドルとヘルムート・ブラドルのブラドル親子、タイトルには縁がなかったもののマーチン・ウィマーやラルフ・ウォルドマン、ラインハルト・ロス、スティーブ・イェンクナーなど、個性派が多い。近年は日伊メーカー勢の支配に甘んじているものの、BMWがスーパーバイク世界選手権やスーパーストック世界選手権、世界耐久選手権など市販車ベースのレースで存在感を示している。
北コースが世界的難所として知られるサーキットのニュルブルクリンクもあり、世界各国のメーカーがここで車両開発を行っている。各メーカーで新型フラッグシップスポーツカーが出るたび、「ニュル最速」を競ってタイムアタックがされるのも有名である。また、トヨタ自動車の世界選手権参戦の拠点であるTGR-E(旧トヨタ・モータースポーツGmbH)は、ケルンにある。
著名な出身者
象徴
ドイツの国家の象徴にはブランデンブルク門や国章にも用いられている黒鷲が代表される。
脚注
注釈
出典
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参考文献
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- 池内紀(監修) 編『ドイツ』新潮社〈読んで旅する世界の歴史と文化〉、1992年。ISBN 978-4106018336。
関連項目
外部リンク
本国政府
- ドイツ連邦共和国政府
- Steffen Seibert (@regsprecher) - X(旧Twitter) ※連邦報道官公式アカウント
- Bundesregierung - Flickr
- Bundesregierung - YouTubeチャンネル
- ドイツ大統領府
- ドイツ首相府
- 在日ドイツ大使館
- ドイツ連邦共和国大使館・総領事館 (GermanyInJapan) - Facebook
- ドイツ大使館 (@germanyinjapan) - X(旧Twitter)
- ドイツポータルサイト - ドイツ連邦外務省と「Societäts-Medien GmbH」の共同制作による情報ポータル
※独・英・仏・西・中など9カ国語対応- Deutschland Blog
- Deutschland.de (deutschland.de) - Facebook ※使用言語は個々の投稿による(他に動画投稿有)
- DEUTSCHLAND.de (@de_deutschland) - X(旧Twitter) ※使用言語は個々の投稿による(他に動画投稿有)
日本政府内
観光
- ドイツ観光局(日本語版サイト)
- Visit Germany (visitgermany) - Facebook
- Germany Tourism (@GermanyTourism) - X(旧Twitter)
- Germany Tourism (@germanytourism) - Instagram
- germanytourism - YouTubeチャンネル(German National Tourist Board)
その他
- JETRO - ドイツ
- 『ドイツ』 - コトバンク
ドイツ(艦船)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:48 UTC 版)
シックザール 水上偵察機や工作員潜入用舟艇を搭載しているとされる偵察用潜水巡洋艦。オホーツク海で室蘭へ向かう改装前の日本武尊と遭遇したが大石の奇策が功を奏し見破ることができなかった。その一件は、当時内地の新聞にて『海軍慰問艦』として「極彩色で偽装した日本武尊」の写真が撮られている。 フェルゼン 紅海での戦闘で登場したヒトラー設計の奇想七胴戦艦。総排水量35万トン。その巨大さ故に7隻に分離してスエズ運河を通る。対地攻撃用にゲルマン砲1門、38cm連装砲10基、対空砲1000基以上を装備。指令艦橋はバランス取りのためかアーチクレーン構造になっており前後に移動可能、甲板上のレールを移動するゲルマン砲を積んだ中央艦の周りはほとんど空になっており、魚雷を食らっても本体には大きなダメージはなく被雷したところも水中溶接や発泡剤注入によるダメコンですぐに直る。ヒトラーの言うとおり不沈戦艦といえる艦であるが、主砲発射時の致命的欠点を突かれ、新日本武尊との交戦で復元不可能となり沈没する。 コミック版ではゲルマン砲が2連装化されており、撃沈に至る経緯もまったく異なっている。 グロース・ドイッチュラント コミック版オリジナルの三胴戦艦。フェルゼン建造時のノウハウが生かされており、かなりの砲撃精度を持っている。主砲は47口径42cm砲11門。排水量は91000トン。 改ビスマルク級戦艦 ビスマルク級戦艦の発展型であるドイツ海軍の主力戦艦。主砲は52口径38cm砲11門。ビスマルク級とは艦橋の形状が異なる。 装甲艦E・S・ブローフェルド コミック版に登場。ドイッチュラント級装甲艦だが、後部甲板がヘリ甲板に改装されている。自由ドイツ海軍に参加し南米方面で活動。 ザクセン級正規空母 ドイツ海軍の主力空母。ネームシップである「ザクセン」はアカバ湾で新日本武尊に撃沈されている。 シンフォニー級潜水戦艦 ネームシップは「J.C.バッハ」。前面に40cm連装砲2基を装備した潜水戦艦。変形ペラによる巨大な二重反転推進器のためか推進時には騒音を発生するため作戦時には護衛の僚艦の随伴が不可欠。群狼作戦における囮兼潜水艦隊防空の要であると推察されている。 オペラ級潜水空母 ネームシップは「カルメン」。スレイブニルS型と同じ全通飛行甲板を持った半双胴艦型潜水空母。戦時増産型に位置づけられているが左舷に舷側エレベーターを装備しており使い勝手は良い。 スルト型潜水空母 連装砲塔を装備している。バブ・エル・マンデブ海峡での蒙古との戦闘で撃沈の憂き目に遭い、ヒトラーの怒りを買うことになる。 クレーブス 遠くからみれば岩壁に見えるが、正体はV号弾を10基以上装備し15インチ砲も備えた海上要塞。移動時には他艦に引っ張ってもらわなければならないが、それでも3ノットでしか進まない。しかし、複数のケーソンで構成されているため雷撃を受けた場合は被弾部分だけ切り離してエアバッグを追加することによって浮航することが可能。最終的に新日本武尊の砲撃でV号弾を破壊され炎上、その軍事的価値を失った。 コミック版では発泡コンクリート製の「浮体」400個のブロックによる巨大な海上プラットフォームに変更された。V2弾を一ブロックに一基搭載しており、攻撃力は小説版を上回っている。忍者部隊による中央制御室破壊により、その真価を見せることなく破壊された。なお、本艦を曳航するために、フェルゼンの外郭船4隻が黒海に配備されていた。 レヴィアタン コミック版オリジナルの電磁推進式海中戦艦。ホズ級の技術に、何処かからもたらされた日本軍の機密情報から建造されたと思われる。新日本武尊を後一歩で追い詰めながら電光に敗北する。なお、動力炉はそのまま核爆弾としても使える。撃沈された船体は米国によって極秘裏に回収され、米国初の核動力艦の基礎となった。 ゲシュペンスト 復讐兵器『C』、コミック版オリジナルの思考制御潜水艦。グライダー制御と翼型外部電磁推進体により、海中を自在に航行する。ヒトラーのクローン「ツヴァイ」が操縦する。 Sボート コミック版オリジナルの小型駆逐潜水艇。全通型艦内ドックを持つ母艦と共に複数艦でパックを組んで行動する。前世Sボート(小型魚雷艇)と同じ運用形態である。改ワルター機関による高速潜行性能を誇るが、小型潜故に母艦とはぐれる事は死を意味する。
※この「ドイツ(艦船)」の解説は、「新・旭日の艦隊」の解説の一部です。
「ドイツ(艦船)」を含む「新・旭日の艦隊」の記事については、「新・旭日の艦隊」の概要を参照ください。
ドイツ(艦船)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:13 UTC 版)
UX-99 砲撃潜水艦。魚雷発射管は装備せず、艦橋塔上部に砲撃用の折り畳み式測距儀を備え、前後甲板上にあるカプセル状の「水密式旋回砲塔」部に格納した15サンチ2連装速射砲「稲妻砲(ブリッツカノーネ)」の他、対空ミサイル発射機4基や艦橋に計20門の対空機銃を装備し、全長200m以上、水中速力19ノットと当時の富嶽号を上回る性能を有していた。 カリフォルニア湾「アンヘル・デ・ラ・グアルダ島」に建設されていた米核施設を破壊して帰還中、紺碧艦隊に拿捕された。OVAでは艦首に魚雷発射管を最低2門装備し、副武装も2連装機銃2基のみである。 U2500型 終盤で登場した新型潜水艦。深度150mからでも魚雷を発射でき、水中最大速度も27ノット以上ある。 U3000型 U2000型と共に旧式に属し、通商破壊・哨戒を主な任務とする。 日英印軍合同によるマダガスカル攻略戦妨害のため、紅海経由で多数出撃したが、ほとんどが日本帝国海軍の対潜哨戒機や駆逐艦、紺碧艦隊によって撃沈された。U3100型 - 深度150からの雷撃を可能にした改修型。 しかし対潜駆逐装備を用いて待ち伏せ攻撃を行った紺碧艦隊などの敵ではなかった。 U3333潜 情報収集に特化した攻撃指揮艦。紺碧艦隊でいう「富嶽号」に当たる。 1艦につきU3000型潜12艦を従え、紺碧艦隊のお株を奪うような「飽和雷撃戦術」を行う。しかし、指揮官が己の古代歴史趣味を誇示しすぎたために暗号通信を解読され、仙狩からの攻撃で撃沈された。 グラーフ・ツェッペリン 史実では未完成の空母だが、こちらは就役している。旭日艦隊に撃沈されるまで行動した。 フォン・リヒトフォーヘン級航空母艦 ドイツ海軍の保有する大型空母。実際にはニミッツ級空母と大差ない大きさであるが、通商破壊を念頭に入れた設計のためかなり偏った設計が施される。 ビスマルクII世級戦艦・ビスマルクII世」(同型艦:ビスマルクII世、ティルピッツII世、ロートリンゲン、コトブス) ドイツ海軍が保有する戦艦でビスマルク級戦艦の改良型。 空中戦艦「富士」の長駆爆撃行により原爆工場を破壊された事への意趣返しとして、米国五大湖工業地帯攻撃のため独戦略空軍と共に出撃。その後の顛末は『旭日の艦隊』を参照。 ビスマルクII世は、旭日艦隊側の「心臓作戦」との共同作戦「シンドバット作戦」で、紺碧艦隊の秘匿兵器、熱感知追尾機能を搭載した「有翼噴進弾」と六二誘導魚雷雷撃の『戦術F』により、紅海バブ・エル・マンデブ海峡にて撃沈された。 ティルピッツ級戦艦(同型艦:ティルピッツ、サラミス、エアフォルク、エルサス、フランクフルト) ビスマルク級戦艦の2番艦であるティルピッツを元にした戦艦。いずれもドイツ海軍の機動部隊や艦隊では旗艦の任務を与えられる事が多い。サラミスは地中海艦隊旗艦だったが、コミック版ではシンドバット作戦で、OVAでは旭日艦隊の対艦ミサイルの攻撃で撃沈された。 シャルンホルスト級戦艦(同型艦:アウグスブルク、レーゲンスブルク、リンツ、ポツダム) 史実では2隻存在した戦艦で、ビスマルクII世級と共に量産されている。1番艦は日本武尊によって撃沈され、残りは地中海艦隊の航空艦隊に配備された。 バイエルン級超弩級戦艦「ザクセンII世型」及び「ヴュルテンベルクIII世型」 重巡洋艦「マッケンゼンIV世」 いずれも前世では建造中止になった艦。シンドバット作戦で撃沈された。
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ドイツ(航空機)
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ヨルムンガンド 独ユンカース社製の1万6000kmの航続距離を持つ大陸往還型ターボプロップ6発超重爆撃機。初登場は帝都爆撃決死隊。緊急時用としてロケットブースター4機を垂直尾翼に付け、戦闘離脱時など急加速することも可能。インド戦線でも一部運用されたものの、後継である「アース」にその地位を奪われた。史実の計画機Ta 400をモデルにしている。OVAでは噴式型「ヨルムンガンドD」も登場した。 ハインケルHe162 コミック5巻『空中戦艦富士出撃』にて、「ハインケルの新型」としか呼称されていない単座単発の軽戦闘ジェット。 Ta152と共に、ニュールンベルク原子爆弾製造工場破壊に成功した富士の迎撃に現れた。機体形状・塗り分けは、ロンドン郊外のイギリス空軍博物館 (RAF Hendon) に保存されているHe 162 A-2そのものである。 前世においては、第二次世界大戦末期、追いつめられたドイツが短時間で簡易量産できる防空戦闘機として「フォルクスイェーガー(“Volksjäger”、「国民戦闘機」の意)」の名で計画されたのだが、後世において領土拡張の末に世界最大の版図を持つ超帝国となってしまったナチス独逸空軍内で、どのような位置づけで開発されたのかは不明。 スツーカII OVAで登場する、Ju 87(スツーカ)の2代目。主脚の収納に特徴がある。 スツーカ型噴式艦上攻撃機 Ju 87をジェットエンジンに換装して艦上機に改めたもの。アイスランド沖海戦において参加したものの、旭日艦隊の砲撃により消し炭になった。 その他、『旭日の艦隊』にも登場したホルス16、Go686 マグニ、Me262、シードラッヘン、Ju107 ユンカースなどが登場している。
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ドイツ(西ドイツ)
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「ロータリーエンジン」の記事における「ドイツ(西ドイツ)」の解説
ドイツはロータリー発祥の地ではあるが、市販に漕ぎ着けた車種は極僅かである。 NSUヴァンケルスパイダー(世界初のロータリーエンジン搭載量産車、1ローターエンジンをリヤに搭載) Ro80 (世界初のロータリーエンジン搭載4ドアセダン、2ローターのFF車) メルセデス・ベンツメルセデス・ベンツ・C111(初代に3ローター、二代目に4ローターのエンジンをそれぞれミッドシップ搭載したプロトタイプ) アウディe-tron(AVL社製1ローターエンジン搭載のハイブリッド・コンセプトカー)
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ドイツ (旧西ドイツ)
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「F-4 (戦闘機)」の記事における「ドイツ (旧西ドイツ)」の解説
1968年にRF-104Gの後継戦術偵察機として、RF-4CをF-4E規格に合わせたRF-4Eを88機発注した。RF-4Eは1971年に大西洋を横断し西ドイツに到着後、第51偵察航空団(ドイツ語版)と第52偵察航空団(ドイツ語版)の2個航空団において、RF-104Gを更新した。 また、同時期にF-104Gの後継機としてトーネードIDSを導入し、防空及び攻撃任務を担わせようと計画した。だが、F-104Gの退役開始時期に間に合わないとして、1970年に防空戦闘機の導入を決定する。当時、アメリカ国内にて輸出用戦闘機として単座化・簡素化したF-4Eが計画されていたが、最終的にはF-5Eが選定される。しかし、この単座化・簡素化F-4E案は西ドイツ空軍が求めていた要求に合致し、1971年に西ドイツ向けF-4Eが提案された。案では単座化のほか、AIM-7の運用能力が外されていたが、設計変更に伴う価格上昇も見込まれた。西ドイツ空軍は方針を変更し、複座型のまま、AIM-7の運用能力削除のみを施したF-4Fが採用された。 1976年4月より引き渡しが開始され、175機が製造された。この内の12機はアメリカでパイロット訓練用に用いられたことから、非公式にTF-4Fと呼ばれている。訓練部隊の第20戦闘飛行隊(英語版)は、当初はカリフォルニア州ヴィクターヴィルのジョージ空軍基地(英語版)、1993年からF-4Fのパイロット養成が終了する2004年まではニューメキシコ州オテロ郡のホロマン空軍基地(英語版)を拠点としていた。F-4Fは西ドイツ国内では第71戦闘航空団(ドイツ語版)、第74戦闘航空団(ドイツ語版)、第35戦闘爆撃航空団(ドイツ語版)、第36戦闘爆撃航空団(ドイツ語版)の4個航空団に配備された。最終的に西ドイツが保有したF-4はRF-4E、F-4E、F-4F合わせて273機にも達した。 冷戦終結と東ドイツとの統一に伴う軍縮で1993年にRF-4Eが全機退役し、代わりに保有数は減少するが稼働率の向上を見込みトーネードIDS/ECRを導入した。この時退役したRF-4Eは後にトルコとギリシャに引き渡されている。そしてF-4Fも2013年7月末をもって全機退役した。ドイツでF-4に付けられたニックネームには、黒い排煙を吐き出しながら飛ぶために「空飛ぶディーゼル(Luftdiesel)」「石油ストーブ(Öloffen)」や、当時の戦闘機としては大柄な機体から「鉄の豚(Eisenschwein)」があった。 F-4F F-4Eを西ドイツ空軍(当時)の要求に合わせ改修。F-104Gの後継機(戦術攻撃機)として導入した為、主翼は可動式前縁スラット付き、スタビレーターは固定式前縁スラットが無い在来型の組み合わせとなり、スパローの運用能力の割愛といった改修が加えられている。 F-4F ICE F-4Fに、西ドイツ空軍(当時)の要求に合わせた「ICE(Improved Combat Efficiency,戦闘効率改善)」と称する改修プランを施した能力向上型。 レーダーを従来のAN/APQ-120からF/A-18で使用されていたAN/APG-65に変更し、AIM-120の運用能力を付与した。また、慣性航法装置はハネウェルH-243レーザーINSに、レーダー警戒受信機はAN/ALR68(V)2に更新され、その他にも、MIL-STD-1553Bデータバス、新型エア・データ・コンピュータの装備、IFFの更新などの改修が行われた。1983年より研究が開始され1992年より配備が開始された。 配備部隊 配備部隊部隊章基地配備年前任機退役年後継機その他第51偵察航空団“インメルマン”Aufklärungsgeschwader 51 „Immelmann“ ブレムガルテン(Bremgarten)航空基地(ドイツ語版) 1971年 RF-104G 1993年 1993年3月17日付で解隊。1994年1月1日付でシュレースヴィヒ航空基地にてトーネード RECCEを装備して再編成。2013年10月1日付で第51戦術航空団"インメルマン"(Taktisches Luftwaffengeschwader 51 „Immelmann“)として再編成。 第52偵察航空団Aufklärungsgeschwader 52 レック(Leck)航空基地(ドイツ語版) 1993年3月31日付で解隊。第51・第52偵察航空団が装備していたRF-4Eは、ギリシャ空軍とトルコ空軍に売却された。 第71戦闘航空団“リヒトホーフェン”Jagdgeschwader 71 „Richthofen“ ヴィットムントハーフェン航空基地 1973年 F-104G 2013年 ユーロファイター タイフーン 2013年9月30日付で、第31戦術航空団(ドイツ語版)“ベルケ(ドイツ語版)”隷下の戦術航空群“リヒトホーフェン”(Taktische Luftwaffengruppe „Richthofen“)として再編される2016年6月1日付で第71戦術航空団“リヒトホーフェン”(Taktisches Luftwaffengeschwader 71 „Richthofen“)に再編される。 第74戦闘航空団“メルダース”Jagdgeschwader 74 „Mölders“ ノイブルク(Neuburg)航空基地(ドイツ語版) 1974年 2008年 2005年に、コンドル軍団参加者から全ての名誉を剥奪する法律に基づいて航空団から「メルダース」の名前は抹消された。2013年10月1日付で第74戦術航空団(Taktisches Luftwaffengeschwader 74)として再編成。 第35戦闘爆撃航空団Jagdbombergeschwader 35→第73戦闘航空団“シュタインホフ” Jagdgeschwader 73 „Steinhoff“ プファードスフェルト(Pferdsfeld)航空基地(ドイツ語版)→ラーゲ航空基地 1975年 G.91R/3 2002年 1993年から、旧東ドイツ空軍第3戦闘航空団(ドイツ語版)より継承したMiG-29を同航空団の第1飛行隊に配備。このため第73戦闘航空団は、2002年にF-4Fを手放すまで、MiG-29とF-4Fを平行装備する混成部隊であった2013年9月30日付で、第73戦術航空団“シュタインホフ”(Taktisches Luftwaffengeschwader 73 „Steinhoff“)に再編成。 第36戦闘爆撃航空団Jagdbombergeschwader 36→第72戦闘航空団“ヴェストファーレン” Jagdgeschwader 72 „Westfalen“ ホプシュテン(Hopsten)航空基地(ドイツ語版) 1975年 F-104G 2002年 2002年1月31日付で解隊。
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ドイツ(西ドイツ)
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「キャプテン翼の登場人物」の記事における「ドイツ(西ドイツ)」の解説
カール・ハインツ・シュナイダー 声 - 堀川亮(TV版)、難波圭一(劇場版・OVA版)、櫻井孝宏(アプリ版) / - / 下崎紘史 / 福山潤(ZERO・RONC) 「皇帝」と称される、ドイツを代表するエースストライカー。詳細は「カール・ハインツ・シュナイダー」を参照。 ヘルマン・カルツ 声 - 大塚芳忠 / - / 近藤隆 / 三宅健太(ZERO・RONC)所属:ハンブルガーSV(アニメ第3作はグリュンバルド) テクモ版:ハンブルガーSV (II) - マンチェスター (III) - ハンブルガーSV (V) ポジション:MF 誕生日:3月24日 血液型:O型 ボランチであるがハンブルグではシュナイダーが抜けたために司令塔も担っている。ドイツユース代表で後にフル代表にも選ばれる。異名は「仕事師」。若林、シュナイダーと共にハンブルガーユース時代から活躍。一見ポパイのような顔で常に楊枝をくわえている。ドイツ人なのにいぶし銀と呼ばれ、同世代の2人よりも年上に見えるため、アナウンサーらから「若年寄」とも言われている(発言も「おぬし、やるのぉ」など、オヤジ臭い)。マーク相手に密着して離れない「ハリネズミディフェンス」が得意。普段の試合は手を抜いているような素振りを見せるが、楊枝を吐き捨てた時は本気を出す。しかし本気を出すことは滅多に無く、ジュニアユース決勝の全日本戦まで、シュナイダーや若林でさえ楊枝を吐き捨てるところを見たことがなかった。さらに、本気を出したときは「ハリネズミドリブル」で沢田タケシを吹っ飛ばしている。 【ROAD TO 2002】では元同僚のシュナイダーの態度に激怒、彼の脚を蹴っ飛ばしてしまい一発退場。その後シュナイダーとは和解するが、3試合出場停止という重い処分が下されてしまう。 【25th ANNIVERSARY】ではDFで出場。 若林とはハンブルグの下部組織時代から苦楽を共にした竹馬の友であり、ジュニアユース時代も「若林がドイツ代表(帰化)になってくれればなあ」とこぼしており、誰よりも若林の実力を買っている。シュナイダーがバイエルンに移籍したため、トップチーム昇格後も若林との絆は一層深まっている。全日本との初対戦時も若林が「全日本の実力を見たいからシュートもフリーに打たせて構わない」という頼みことも、「若林の言う通りにしてやろう、先制されたら倍返しすれば良い」と真っ先に賛同している。 得意技はロビングシュート。ジュニアユース編の決勝戦で披露し、若林に不意を突かせたが、惜しくも若林が被っていた帽子でボールを叩き落とされてゴールを奪えなかった。テクモ版でも「V」で使用可能。 テクモ版では「II」より「ハリネズミドリブル」をドリブル技として使用、原作同様素早い動きとパワーで向かってきた相手を吹っ飛ばす。「II」では若林と同じハンブルガーSVに所属していたが、「III」では歴史あるイギリスのサッカーを学ぶため、マンチェスターに移籍し、ヨークシャー戦で松山と対決する。「V」では再びハンブルガーSVに戻り若林と共闘した。 バンダイ版「RISE OF NEW CHAMPIONS」では「ハリネズミシュート」「ハリネズミチャージ」などハリネズミの名前を冠する技を習得している。 タイガーボランは影のキャプテンと評しており、彼にアドバイスを送っているほか、日向の鍛え方を伝授している。 フランツ・シェスター 声 - 山口勝平、堀川亮(カセットブック)、勝杏里(PS2版)、水島大宙(アプリ版) / - / 荻原秀樹 / 榎木淳弥(ZERO・RONC)所属:ブレーメン(アニメ第3作はローランド) テクモ版:モンマルトル (III) - ブレーメン (V) ポジション:MF 誕生日:9月6日 血液型:B型 ドイツユース代表の司令塔。非常にハンサムな顔立ちをしたプレイヤー。華麗なテクニシャンタイプ。 【ジュニアユース編】では登場時は全日本(翼、岬、若林、若島津抜き)が手も足も出ないほどのプレイを見せた選手であった。しかし決勝の全日本戦では若林の提供したデータなどにより、翼や岬に常に中盤をおさえられていた。それでもスーパープレイを幾度と見せ、シュナイダーにボールを回した。人を見る目も確かで全日本との初対面時、翼がチームの中心人物(=キャプテン)であることを見抜いた。彼がボールを持つ度に女性ファンから黄色い声援が飛ぶのはお決まりとなっている。 【ROAD TO 2002】ではビクトリーノ、マーガスと共に対ハンブルガーSV戦で若林に勝負を挑んだが、牙城を崩すことはできなかった。 テクモ版「III」ではフランスに渡り、シャンペンサッカーと呼ばれるフランスの個人技を学び、パスカット技「スパイラルパスカット」を習得した。シャンゼリゼ戦では岬やナポレオンと激闘を繰り広げる。 バンダイ版「RISE OF NEW CHAMPIONS」では、ドイツ国内クラブジュニアユース決勝で彼が率いるブレーメンが、コルネリアス・ハイネ率いるドレスデンに敗れて優勝を逃し、ドイツ代表の中盤の座をもハイネに奪われてしまったために、当初はハイネを憎み嫌っていた。だが、ハイネのケガのリハビリに一生懸命に取り組む様子や、サッカーに対する情熱心が揺れ動き、やがてハイネの存在を認めるようになる。ハイネが中盤を任されている間はカルツとダブルボランチを組み、守備に努めている。 マンフレート・マーガス 声 - 堀川亮、菊池幸利(アプリ版) / - / 伊藤健太郎 / 江口拓也(ZERO・RONC)所属:ブレーメン(アニメ第3作はローランド) テクモ版:ブレーメン (V) ポジション:FW 誕生日:4月19日 血液型:B型 ドイツユース代表。シュナイダーとツートップを組む「ドイツの核弾頭」。異名の通り190cmの長身(トップチーム昇格後の身長)を活かしたヘディングが得意。若林の評によれば「長身ゆえ足元不安定」だそうで、足元の技術はそれほどでもないとされていた(ジュニアユース時)。 【ジュニアユース編】ではブレーメン対全日本戦でシェスターと共に全日本(翼、岬、若林、若島津抜き)を下している。決勝の全日本戦では果敢にシュートを狙うも若林に防がれる。シュナイダーがツートップの一翼を担っているため、影が薄くなりがちであるが、シュナイダーにボールを集める流れになった時は、競り合いなどで長身を活かしシュナイダーにボールを回した。シュナイダーの対全日本戦の2得点は全てマーガスの好アシストからである。 【ROAD TO 2002】ではシェスター、ビクトリーノと共に対ハンブルガーSV戦で若林に勝負を挑んだが、牙城を崩すことはできなかった。 テクモ版「III」「IV」ではヘディング技「ブラストヘッド」が追加される。「III」では若林曰く海外研修でブレーメンを外れ、その異名に恥じぬ様ヘディングを中心とした修行を積んだとされている。 デューター・ミューラー 声 - 古田信幸、広中雅志(カセットブック)、三宅健太(アプリ版) / - / 加瀬康之 / 増元拓也(ZERO・RONC)所属:シュトゥットガルト テクモ版:インテル (V) ポジション:GK 誕生日:8月10日 血液型:O型 ドイツユース代表にして「鋼鉄の巨人」の異名を持つ幻のGK。後にフル代表にも選出される。ワンハンドキャッチを得意とし、片手で大岩をも粉砕し、純粋な握力だけでサッカーボールを握りつぶして破裂させてしまうほどのパワーの持ち主。 ジュニアユース大会の1年前、ブンデスリーガ優勝チームのシュトゥットガルトとの親善試合でアマチュアチームに参加し、何十本ものシュートを全て止めた。シュトゥットガルトの監督からその場でプロにスカウトされたが、ギュンターによる修行が終わるまでプロ入りを許されていなかったためこれを断った。この日より「幻のキーパー」伝説が生まれた。ジュニアユース大会には準決勝より参加し、全日本戦では翼と日向の合体技である「ドライブタイガーツインシュート」すらもワンハンドキャッチまでしている。彼の加入により、西ドイツの「キーパーが弱い」という弱点は完璧に克服された。巨体でありながらも横の動きも素早かったり、相手選手に「どこにシュートを撃っても取られる」という感覚を植えつけたり、至近距離でのフリーキックを与えてしまった際は「ボールが見えにくくなる」と言った理由で壁を作らない(そしてそのままセーブしてしまう)など死角がないGKとして描かれており、唯一の弱点である股の下も試合中に完璧に克服した。なお利き足は右だが、利き手は左である。スローイングは一気に敵ゴール前までボールを運び、キック力は顔面にボールを受けた翼を気絶させる威力を持つ。能力の高さゆえ対戦相手を侮るなど見下す悪い癖があり、ジュニアユース決勝ではそのことから岬にゴールを許し、師匠から激しく叱責されていた。普段は不遜な態度をとっているが、ギュンターの前ではいつも土下座している。ジュニアユース大会後、かねてよりスカウトがあったシュトゥットガルトに入団。 【ワールドユース編】では、グループリーグでレヴィンにより両腕を破壊される。ドイツユースは準決勝まで進むものの、彼の負傷が原因でドイツユースはブラジルユースに5-0という大差で敗北している。 【ROAD TO 2002】では、ブンデスリーガにおいて若林と並ぶ名GKとして活躍を見せている。若林とはヨーロッパ、また世界No.1GKの座をかけて争う形となる。日本選抜vs世界選抜の読み切りでは「鋼鉄の巨人」ではなく「キングコング」という異名をつけられていた他、「ゴリラ」と表現される時もある。 フィールドプレーヤーとしても一流のスキルを持つ。滅多に使わないが、オーバーラップも仕掛けることもある。その為、味方でも知らなかった。 ブラジル戦ではナトレーザとサンターナのフルメタルファントムをワンハンドキャッチしようとして指間裂傷を負ってもノーグローブでプレイし続けるゲルマン魂を持つ。 テクモ版でも活躍し、技を持っていないものの基本能力が高く、翼らをかなりの勢いで追いつめる。「IV」の親善大会編決勝後はライバルとして翼にドイツに行くように勧めた。「V」ではインテルに所属、フェイエノールト戦でオランダトリオにゴールを許したことで自信を喪失し、ドイツ代表監督フランツのもとで猛特訓に励む。 バンダイ版「RISE OF NEW CHAMPIONS」でも活躍を見せ、カルロス・バーラのシュートを真正面から止めている。また、あるルートでNewHeroと出会うことがあるが、その時点ではまだドイツ代表であることを明かしていなかったため、改めて代表として登場した際は、NewHeroを始め元々ドイツでも存在を知らなかった若林や見上監督も彼から事情を知り驚く様子が見られる。 シュバイル・タイガーボラン 声 - 五十嵐巧巳(アプリ版) / - / - / -所属:ボルシア・ドルトムント ポジション:MF ドイツ代表。21歳でフル代表入りした通称「ドイツ“左の矢”」。左サイドを俊足で駆け上がりシュナイダーの2得点をアシストする。「フィールド左サイドは俺の庭」と豪語するも翼にあっさりとボールを取られる。作中では非常に少ない左利きの選手である。 Jr.ユースやワールドユースに選抜入りできなかったのは、反則が多い上にチームプレイに難があったことで、近いようで遠かった背番号23と自覚している。 カルツの助言により、日向同様の重いボールで鍛錬を積み、雷獣シュートも扱える。 ヘフナー 声 - 矢尾一樹 / - / - / -ポジション:GK 劇場版に登場したヨーロッパ選抜チームの正GK。ヨーロッパNo.1キーパーとの呼び声が高い。『危うし! 全日本Jr.』では若島津の三角蹴りを真似し、日向の決勝弾を防いだ。
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ドイツ(1977年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:54 UTC 版)
「納税者権利憲章」の記事における「ドイツ(1977年)」の解説
1919年12月23日に施行された帝国基本租税法は、第二次世界大戦後に改正要求が高まり、国民(納税者)と国家との関係の改善を求めて、1977年に租税基本法は改正された。
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ドイツ(1949年に廃止)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:16 UTC 版)
「世界の死刑制度の現状」の記事における「ドイツ(1949年に廃止)」の解説
1849年に開催されたフランクフルト国民議会で起草されたドイツ憲法案では、自由主義的色彩の濃いものであり死刑の適用をほとんど除外するように規定されていたが、実際に成立することは無かった。 ナチ党により率いたナチス・ドイツ政権のアドルフ・ヒトラー総統は、犯罪に対する行きすぎた厳罰化政策を推進した結果、およそ40,000人に死刑宣告が行われた。処刑の効率を上げるためにギロチンが使われたが、1942年からは落差のない高さで行う絞首刑も行われた。また軍人に対する銃殺執行隊も準備されていた。なお死刑が適用できる犯罪として殺人、国家反逆罪、反逆罪教唆のほか、スパイ活動、地下出版や外国のラジオを聞くこと、良心的兵役拒否者を隠匿する行為など、第三帝国が「不必要」と判断した者を死に追いやることが出来た。また罪を犯していなくても粛清によってユダヤ人を含め多数の国民を処刑した。 ドイツでは死刑執行人が世襲であった。第一次世界大戦敗戦後のヴァイマル共和政時代から第二次世界大戦敗戦後まで死刑執行人を務めたドイツ最後の死刑執行人であったヨハン・ライヒハート(1893年-1972年)は前述のナチスの大量処刑時代に死刑執行業務についていたため、公式記録の残る死刑執行人としては歴史上最大の3,165人の処刑に携わった記録を持っている。この中にはナチスの占領地における処刑の数字も含まれている。なお彼はナチス党員であったため、戦後戦犯として連合国に逮捕されたが処刑命令に忠実に当たっただけとして無罪になった。そのうえで1946年5月末にランズバーグ刑務所で156人のナチス戦犯を処刑するために彼は再雇用され、かつて処刑命令を出していた政治指導者達を処刑するという歴史の皮肉な役割を担った。 1945年から1946年にかけて行われたニュルンベルク裁判ではナチスの戦争犯罪人に死刑が適用されたが、旧西ドイツ最後の処刑は、1949年に強盗殺人犯に対するギロチン刑が行われた。その後旧西ドイツは戦争中に多数の国民を処刑した反省から他国でいう憲法にあたるドイツ基本法制定時に死刑が廃止された。ただし1963年に発生した、タクシー運転手連続殺人事件をきっかけに西ドイツで死刑の再開が議論されたが、再開されることはなかった。なおライヒハートは死刑再開法案を支持する政治活動に招待され、その場で処刑を最も早く残酷でない方法で行うにはギロチンが良いと主張したという。 一方の旧東ドイツも1987年には死刑を廃止した。
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ドイツ(作法)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:30 UTC 版)
基本的にコーヒー文化圏ではあるが、北ドイツを中心に紅茶も一般化しておりよく飲まれている。ドイツとオランダにまたがるフリースラント地方の紅茶が有名で、オランダ東インド会社が西暦17世紀初頭にもたらした紅茶が端緒であった。ドイツ茶業同盟(Deutscher Teeverband e.V.) の調査によると、オストフリースラント(東フリースラント)では2016年の紅茶消費量が一人当たり300リットルであったが、これはドイツ全土の平均値の十一倍に相当する。ドイツでの飲まれ方は、ホットのミルクティーが主流で、ビールのようにグラスに注がれて出されることがある。カフェインの取り過ぎを忌避する健康志向から、ハーブティーも普及している。トルコ移民が多い関係からトルコ紅茶も市販されている。レストラン、また宿泊施設の朝食ビュッフェではティーバッグが用意され、家庭では茶葉で楽しまれることも少なくない。
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ドイツ(Deutschland)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 22:49 UTC 版)
「チケット・トゥ・ライド」の記事における「ドイツ(Deutschland)」の解説
2012年にドイツのみで限定発売。メルクリン版と同じくドイツを舞台にしていて、マップも同じだが、内容物のイラストやルールが一部異なっている。
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ドイツ(陸上兵器)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:48 UTC 版)
「新・旭日の艦隊」の記事における「ドイツ(陸上兵器)」の解説
パンターII 初期から登場するパンターの新型。性能ではティーゲル戦車よりは劣るものの、正面装甲は遠距離からの105mm砲弾に耐える防御力を有している。 ザルク(棺桶) 終盤で登場する駆逐戦車。SS「墓標(グラーフ)」機甲軍団に配備され、ウクライナ戦線に投入された。 駆逐戦車となっているが、従来のドイツ軍駆逐戦車と異なり、旋回可能な砲塔を有している。マイセン製の高級磁器タイルを複合装甲としている為、成形炸薬弾は効かない。ただ、用途を教えずにタイルを窯業業者に発注したため、兵器らしからぬ色彩と化したタイルが納入される羽目になった。 これらのタイルは本来車体表面には現れない物であるが、墓標軍団の司令官であるリーフマンはこのタイルを気に入り、自らの軍団のザルクの装甲表面にタイルを張り付けていた。 ドンナー 終盤で登場した陸上戦艦。原作では戦艦から転用した38cm砲と副砲まで装備している。移動は底面に無数に埋められた劣化ウランを使った重金属ベアリングとジャッキで芋虫のように這って移動をするが、擬装用に車輪がつけられている。渓谷地帯に設けられた秘密格納庫から出撃して、進出してくる新ドイツ軍を苦しめたが、日米連合戦車部隊の奇策と爆撃により全車両破壊された。 コミック版では防御兵器『A』のコードが付いて中盤から登場した。原作に比べて登場回数が増えている。外観は芋虫(モスラ)の上部に潜水艦のセイルを取り付けたような形状で、芋虫で言うところの「節」を一つずつ動かして前進している。また、初出撃時は先頭を行く非武装重装甲の『突破型』・8インチ(20cm)砲8門を主武装とする『攻撃型』・電子機器を搭載した『指揮型』の三種で1セットとする編成となっており、後期はビスマルク用の38cm砲を2門搭載する改良型となっている。初戦は出撃15両中、艦砲射撃で4両撃破、爆撃で2両擱座し、9両がロンメル軍と交戦した。通った場所を悉く引き潰し、撃破されれば撤去するのにかなりの手間がかかるなど、「迷惑」という言葉を体現した兵器。ドンナー水陸両用型 コミック版で登場する派生型だが完全に防水されておらず、潜航時には乗員は潜水服を着用しなければならない。ジブラルタル海峡を渡った事からすると、かなりの深度まで潜れるようである。 グングニール 原作終盤で投入された170mm砲を装備した巨大な対戦車マンモス自走砲。巨大すぎるため動きも遅く、砲も回転できない。コミック版では登場していない。 プードル コミック版で登場する試作思考制御型軽戦車。ゲシュペンストで培われた技術を応用しており、稼働させる物が小型の戦車であり、活動するのも地上という平面である為、システムの簡易化、低コスト化が可能となった。また、インターフェイスには誰でも操縦できるように概念伝達が採用されており、これによって現地調達兵や子供、老人なども本車を操縦できるようになっている。 重量12t、搭乗者は操縦手と砲手の2名。武装は12.7mmチェインガンと4連装ミサイルランチャーを各1門ずつ。全体的に丸っこい形状をしており、砲塔は無く、武装は車体の両脇に装備している。通常の戦車のようなのぞき窓は存在せず、外界の情報は操縦席、砲手席それぞれに装備されたカメラから得ている。 ユーゴスラビアとルーマニアの前線で実戦評価試験が行われていたが、マルケノシュバルツ市(架空)の補給基地に配備されていた車両が、ドイツ軍に捕らえられていた寿美の脱出手段として強奪され、ラング率いるドイツ軍の懸命の追跡にも関わらず、最終的に日本武尊に捕獲される事となる。 ガルガンチュア コミック版に登場する「ギガント計画」によって開発された試作装甲強化歩兵。元々は前世2012年からの世代間転生者であるヘルベルトがパワードスーツの開発を目的として研究していた物だが、後世世界の技術的限界によって全長9.5m、総重量15tという巨体になってしまった。 動力はバッテリーであり、充電車が随伴していない状態では活動時間が30分に限られる。量産化の際にはガスタービン駆動に改められる予定だった。固定武装は搭載していないが、腕部による打撃力は極めて高く、動きも俊敏である。しかし、細かい作業は不得意。
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ドイツ(航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:48 UTC 版)
ヒンデンブルク 米内陸部の軍需拠点爆撃用として開発された、大陸間往還超重爆撃機。前大戦中に『富士』が行った「天極作戦」の意趣返しである「独海空軍共同による五大湖工業地帯爆撃」とは違い、堅固に守られた米聖域へ真正面から侵入しての爆撃行は不可能であったと思われる。ヒンデンブルク射撃専用型 米軍側通称「針鼠」。ヒンデンブルクを改良し、機銃を増備した編隊直衛用対空掃射機。主翼部に左右それぞれ射角が一定角で交錯するよう設置された計20挺の7.7ミリ機銃以外に、20基もの機銃や機関砲を搭載しており、護衛戦闘機を伴えない爆撃隊を米軍迎撃機から守る役目を担っていた。しかし、縦深的に設けられた米大陸東岸防空網や重装甲迎撃機の活躍により、多大な被害を及ぼしはしたが、爆撃隊と共に目立った成果を上げる事はなかった。 ラーム 胴体と操縦席を分離したレシプロ&ジェット戦闘爆撃機。原型機は前世独試作偵察機『ブローム・ウント・フォス BV 141』、左右非対称が特徴。20mm機関砲、30mm機関砲各2門を搭載し爆弾搭載量900kg。アカバ湾で新日本武尊を襲い、大石はじめ潜水艦橋見張員を機銃掃射で負傷させた。 ドライエッグ 胴体エンジンの他に両翼端にエンジンを一基ずつ装備し操縦席が機尾に置かれているという『T字形状』をした特異なレシプロ戦闘爆撃機。 こちらもラーム同様ブローム・ウント・フォス社製の奇想機。新日本武尊の秘匿対空兵装により全機撃破された。 フリッグ 終盤で登場した誘導爆弾『グナー』を運用するジェット爆撃機。 ホルス22 ホルス16は時速2000km以上の速度だがそれに乗れるのは特殊な薬物を使い内臓などを強化したサイボーグだけという重大な欠点があるため速度を落とした(それでも時速1000kmを越える)17,18,19型を作った。22型は(一応)偵察機だった16型とは違い、35mm機関砲を装備した迎撃専用機である。 ブランデンブルク コミック版オリジナルの超大型爆撃機。ヴィーガント将軍のロンメル軍参加に対する報復のため、モスクワに核攻撃を行おうとするも機内で反乱が起き、ロンメル軍に投降した。 トリスタンとイゾルデ 戦略兵器『B』。コミック版でヒトラーが最終兵器として投入した、永久軌道を回る核攻撃用有人衛星。成層圏までは超巨大飛行船で運ばれ、そこからロケットブースターで大気圏を脱出する。「思考制御装置」により1人での操作が可能であり、電磁フィールドによる防御機構、船体の下には一基当り200kTの破壊力を持つ核弾頭を72個搭載、物理的直接攻撃以外の一切の攻撃を受け付けない自律兵器であり、技術跳躍が著しい後世世界最凶最悪の兵器。その内一個を米海軍北大西洋艦隊(戦艦4隻・空母6隻主力)に使用して壊滅に追い込み、ニューヨーク攻撃を計ったが間一髪のところでネオ日本武尊の砲撃を受けて大破、そのまま地球の引力圏に捉えられて爆砕した。
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ドイツ(旧ナチスドイツも含む)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 22:29 UTC 版)
「セクショナリズム」の記事における「ドイツ(旧ナチスドイツも含む)」の解説
旧OKH(陸軍総司令部)と旧OKW(国防軍最高司令部) - 本来は後者組織の下に前者組織が置かれるべきだったが、OKW首脳部への信頼を持てなくなったヒトラーが見せしめ人事として前者の権限を大幅強化し、双方を同格組織とした。 旧SS(親衛隊)と旧ゲシュタポ - 職域・職権の重複・競合よりも、各組織を率いる閣僚間の権力闘争が大きな要因だった。
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ドイツ(東ドイツ鉄道)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 05:26 UTC 版)
「KISS (鉄道車両)」の記事における「ドイツ(東ドイツ鉄道)」の解説
ベルリンやブランデンブルク州で地域輸送を行う東ドイツ鉄道(ODEG, Ostdeutsche Eisenbahn GmbH)は、2009年12月にベルリン・パンコウ区にあるシュタッドラーの工場で製造されたKISSの導入を決定し、2018年8月現在4両編成16本が在籍している。 自転車を使う利用客を考慮し車内には自転車用のスペースが設置されており、前面は安全基準・EN15227に基づいた設計となっている。 2012年に最初の編成が完成したがドイツ連邦当局からの承認が遅れ、営業運転開始日は2013年1月8日となった。 内装(2階席)
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ドイツ(ヴェストファーレンバーン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 05:26 UTC 版)
「KISS (鉄道車両)」の記事における「ドイツ(ヴェストファーレンバーン)」の解説
ドイツ北部で旅客列車の運用を行うヴェストファーレンバーン(WFB, Westfalenbahn)では、2018年8月現在6両編成13本のKISSが営業運転に用いられている。2013年2月に同じくシュタッドラーの鉄道車両であるFLIRTと共に発注が行われ、営業運転開始は2015年12月である。 一部の2階席は優等座席になっているほか、車内には自転車収容スペースも設置されている。
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ドイツ(艦船)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:00 UTC 版)
ビスマルクII世級戦艦 ビスマルクの2代目。カナリア諸島沖で日本武尊を迎撃したが、戦闘不能にされた。姉妹艦はティルピッツII世、ロートリンゲン、コトブスである。全長248m、排水量41,700トン、38cm連装砲4基ほか副砲や対空砲などを装備している。 シャルンホルスト級戦艦 史実のドイツ海軍にも存在した戦艦。ビスマルクⅡ世と共に日本武尊を撃破するために出撃したが、猛攻の末撃破された。外観はドイツ海軍の艦船の法則に習いビスマルクⅡ世とそっくりである。同型艦はアウグスブルク、レーゲンスブルク、リンツ、ポツダム。 スレイブニル 潜水空母。4タイプが存在。 チューリンゲン 原作に登場する3胴式原子力空母。両舷の2胴をアングルドデッキ式全通飛行甲板とし、その間に艦橋を置くという形状をしている。 原子炉爆弾水中航行船「ホズ」 北欧神話の盲目神「ヘズ」の名を冠した巨艦。基準排水量9,500トンの艦内に『海の眼』から米国の核開発資料提供を受けて造られた無制御原子炉「ゾンネ(ドイツ語で「太陽」の意)」を装備した特攻潜水艦である。動力はワルター機関、原子炉は自爆攻撃用に搭載されている。ニューヨークを熱核反応による放射線で破壊する目的で開発され、原子炉稼働後は小型潜行艇で脱出する手筈になっていたが、逃げ切れるかどうかはまったく考慮されていない。潜行可能深度は30m程度と低く、しかも出撃時には放射能漏れを起こしており、応急処置として鉛板を貼ったためバランスが悪い、という有様であった。「送り狼作戦」を実施した旭日艦隊ア号潜により拿捕された。 ザクゼン 後半から登場した5万トン級の航空母艦。 重巡洋艦アドミラル・ヒッパー 要塞軍港ブレストに配備されていた、英国侵攻軍後方支援艦隊旗艦。史実の同名艦より小さく、基準排水量1万2500トン、20.3サンチ連装砲2門を主砲とした艦であったが、奇計「霊返し」のブレスト殴り込みに現れた半潜状態の日本武尊の一斉射にあって撃沈される。 重巡洋艦ウンゲドゥルト アドミラル・ヒッパーの同型艦。 ムスベルスヘイム アイスランド沖海戦で登場した空中魚雷「アリガートァ」専用潜水空母。日本武尊の艦砲射撃で撃沈される。 U2011潜 英国沿岸封鎖用の短距離型潜水艦の1隻。スコット号との砲撃戦で戦没した。 U3000型 U2000型共に旧式に属する独潜、南米沿岸などで通商破壊作戦に主に従事している。『理性の術策』の際に米第6艦隊を襲った航洋型Uボート。通常の長魚雷発射管だけでなく、護衛艦迎撃用有線指令式短魚雷ポッドを装備する。新装備のジェット推進型音響誘導魚雷「ナーゲル(爪)」は雷速60ノットを誇り、日本帝国海軍の仙狩改編隊に駆逐されるまで、米艦船相手に猛威を振るった。 グラーフ・ツェッペリン 旭日艦隊追撃のためジブラルタルから出撃しようとしたが、前もって敷設されていた海底魚雷によって護衛艦艇もろとも撃沈される。『紺碧』ではヨルムンガンドの米本土爆撃作戦の護衛作戦に参加したこともあった。 シャルンホルスト ビスマルクII世に随伴して日本武尊と交戦するが一斉射で撃沈される。 上陸用戦艇 トド作戦に投入された上陸用舟艇。武装されており戦闘力を有する。 ガルスター Z級駆逐艦であり史実のZ23型に属する。 リーデル Z23型駆逐艦の一隻にあたる。
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ドイツ(航空機)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:00 UTC 版)
ホルス16 第3帝国が誇る、秘匿決戦兵器である高速円盤機で、後世でこれに追いつける機体はなかった。その高速を活かした強行偵察・奇襲や重爆撃機への迎撃戦闘が得意。 Ba372 シブ 機首がロケットランチャー化されているロケット+ジェット戦闘機。前世のBa349「ナッター」と似ているが、ワルターロケット推進ではなく使い捨てでもない(桜花と同じ。この両機は発艦方法もよく似ている)。母艦はスレイブニルQ型。米B32部隊による独逸空襲阻止のため、アイスランドや北米大陸近海での強襲作戦を主に行っていた。4機が「白鳳」を北極点上空で襲撃したが、全機返り討ちにあった。 原作では単発機だったがコミック版・OVA版では双発機だった。 Do387 チュール 原作で登場する超長距離対空ミサイルを搭載した噴式3発単座駆逐機。大きさは爆撃機並み。本来は重爆護衛機だが、期待されたほどの戦果は挙げられなかった。なお、ホルス16と同様、パイロットは改造手術を施されている。 シードラッヘン OVAで登場する艦上噴式戦闘機。サーブ 35 ドラケンに類似する形状を持つ。読み方は紺碧の艦隊のDVDにおける解説文より。 Me462 Me262の艦載機型。OVA版では雷撃機だった。 Go686 マグニ スレイブニルR型・S型に搭載される奇襲爆撃機。無線誘導噴進爆弾でホワイトハウスを空爆したが、目的のトルーマン暗殺に失敗。S型帰投時に母艦もろとも撃沈される。 Ar271 フェンリル99 原作で登場する噴式艦上雷撃機。長距離魚雷を装備し、敵の対空攻撃の届かないところから雷撃をする。性能は高いがヒトラーの判断で専ら輸送船団攻撃に使われた。 Ta183 ベー195 後退翼でジェット推進の緊急戦闘機。最大速度960km/h、実用上昇限度1万4000m、航続距離990km。装甲戦闘機であり、乗員席はチタン合金で戦車並みの防御力を持っている。30mm機関砲4門が武器。前世計画機フォッケウルフTa-183の後世改良版。 Ju107 ユンカース 原作で登場する噴式急降下爆撃機。Ju 87(スツーカ)とP-38を混ぜた様な形状をしている。機首には37mm砲も装備しており、高い対地攻撃能力を持つ。A-4a 37mm砲を2門に増やし対戦車攻撃能力を強化した型。後世ハンス・ウルリッヒ・ルーデルのヒットラーへの直訴により、ソビエト軍反攻の「ピョートル大帝」作戦時に投入された対戦車攻撃機(前世Ju87G-1,2型に相当)の後継と言える機体。 アングルボザ 最初は緊急加速用ロケット8発付の全翼式双発レシプロ爆撃機だった。しかしアイスランド沖海戦の際には大型噴式爆撃機に変更されていた。 なおOVA版では高度2万mまで到達できる全翼機 であり、日本武尊撃沈作戦「ラグナロク」の要として日本武尊を撃沈しようとするが、爆弾倉を開いた所を日本武尊のレーダーに捕捉されてしまい、対空噴進弾で撃墜される。 Ju98 ラウフェイ 原作に登場する6発超重爆「ヨルムンガンド」の前身に当たる重爆撃機。A~C型のその重装甲と爆弾積載量を持ってヨーロッパ大陸での後世ドイツ陸軍の電撃戦を支えた。本来は4発レシプロ機だが、第2次英本土航空決戦での英空軍の反撃に対する反省から、C型をジェット化した試作機がF型として採用された。その後、実戦部隊からは速力よりも航続距離を求められたため、主推進器のターボプロップ4発に補助推進用ジェット2発を搭載したK型が配備される事となった。航続距離は耐弾性能と防御力を強化したため8,000km程度。 ミョルニール コミック版でアングルボザに代わってアイスランド沖海戦に登場した大型爆撃機。 Do317 アース 終盤で投入された高い防御力・搭載量を持つ特務超重爆撃機、米戦略空軍B36を上回る後世第二次大戦最強機。信長をはじめとする航空基幹戦隊に大打撃を与えた。原作では典型的な後退翼に「片翼3+1」という特異なエンジン配置の8発超々重爆撃機だが、コミック版では現世イギリス空軍の爆撃機バルカンを6発化したような外観である。なお掃射機型はコミック版で掃射用機関砲がガトリング砲になっていたり、OVA版では機体上方からロケット弾を大量発射して日本艦隊を攻撃したりとメディアごとに兵装が異なる。アースA型 初期のレシプロ式ワルター推進型。B32と同じエンジン配置をしている。 ブレーダーマウス コミック版オリジナルのステルス爆撃機。1号機はアイスランド沖海戦の際に偵察を行った後、ダカール沖での戦闘で尊氏を葬り、さらに日本武尊を危機に陥れるが磯貝の犠牲により撃墜される。のちに製造された2号機は日本側に鹵獲された。
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ドイツ(その他)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:00 UTC 版)
ゲルマン砲 ヒトラーが開発させた28cm列車砲。200 - 250kmの射程を持つ。前世28cm列車砲K5 (28 cm Kanone 5 (E))、ドーラ、グスタフを遙かに凌ぐ化け物砲である。英国攻略用に大量生産され仏アルトワ丘陵に配備された列車砲群で南部を砲撃、英国に大打撃を与えたが、日本海軍の奇計により破壊された。『新・旭日の艦隊』において艦載砲化もされている。 新ゲルマン砲 ヒトラーが開発させた自走式列車砲。時速100km/hと推測され、ワルシャワ南南西約300kmのクラフラに在る岩塩鉱山に造られた秘密基地に秘匿されている。クラフラ〜チェコスロバキア、オーストリアを抜け、リヒテンシュタイン〜スイス、ジュラ山脈を越えフランスを横断し、ナントからレンヌに至る総延長2000キロの鉄路が電化補強され、独『ヨーロッパ要塞化計画』に基づく「敵陣地攻略長距離砲」として運用されると見られていた。 ヒトラー砲 80cmの口径を持つ大型列車砲。史実の80cm列車砲「ドーラ」を元にしている。これとは別に後世「ドーラ」が対ソ攻略戦で活躍した。
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ドイツ
出典:『Wiktionary』 (2021/06/20 11:06 UTC 版)
固有名詞
ドイツ【独逸】
関連語
翻訳
- アイスランド語: Þýskaland (is) 中性
- アイルランド語: an Ghearmáin (ga) 女性
- アフリカーンス語: Duitsland (af)
- アラビア語: ألمانيا (ar) (Almánya) 女性
- アルメニア語: Գերմանիա (hy) (Germania)
- イタリア語: Germania (it) 女性
- イディッシュ語: Daytshland (yi)
- インターリングア: Germania (ia)
- インドネシア語: Jerman (id)
- ウェールズ語: yr Almaen (cy) 女性
- ウクライナ語: Німе́ччина (uk) (Niméččyna) 女性
- 英語: Germany (en)
- エストニア語: Saksamaa (et)
- エスペラント: Germanio (eo), Germanujo (eo)
- オランダ語: Duitsland (nl) 中性
- カタルーニャ語: Alemanya (ca)
- ギリシア語: Γερμανία (el) (Germanía) 女性
- クメール語: ឤលឺម៉ង់ (km) (āllīmang)
- クルド語: Elmanya (ku)
- コーンウォール語: Almayn (kw)
- コサ語: iJamani (xh) (noun 5)
- スウェーデン語: Tyskland (sv)
- スコットランド・ゲール語: a' Ghearmailt (gd) 女性
- スペイン語: Alemania (es) 女性
- スロヴァキア語: Nemecko (sk) 中性
- スロヴェニア語: Nemčija (sl) 女性
- スワヒリ語: Ujerumani (sw) (noun 6)
- セルビア語: Немачка (sr) 女性
- タイ語: เยอรมนี (th), เยอรมัน (th) (Yoermen)
- チェコ語: Německo (cs) 中性
- 中高ドイツ語: Tiutschlant 中性
- 中国語: 德国 (zh) (Déguó), 德意志 (zh) (Déyìzhì)
- 朝鮮語(韓国): 독일 (ko) <獨逸> (togil)
- 朝鮮語(北朝鮮): 도이췰란드 (ko) (to.i.chwil.lan.dŭ)
- ディベヒ語: ޖަރުމަނުވިލާތް (dv)
- デンマーク語: Tyskland (da)
- ドイツ語: Deutschland (de) 中性
- トルコ語: Almanya (tr)
- 西フリジア語: Dútslân (fy) 中性
- ノルウェー語: Tyskland (no), Føderale Republikken Tyskland (no)
- パラオ語: Dois
- ハワイ語: Kelemānia
- ハンガリー語: Németország (hu)
- フィンランド語: Saksa (fi)
- フランス語: Allemagne (fr) 女性
- ブルトン語: Alamagn (br)
- ベトナム語: nước Đức (vi)
- ヘブライ語: גרמניה (he) (Germania) 女性
- ベラルーシ語: Герма́нія (be) (Hjermánija) 女性
- ペルシア語: آلمان (fa) (Alman)
- ポーランド語: Niemcy (pl) 女性 複数
- ボスニア語: Njemačka (bs) 女性
- ポルトガル語: Alemanha (pt) 女性
- マレー語: Jerman (ms)
- マン島語: y Ghiarmaan (gv)
- ラテン語: Germania (la) 女性
- ラトヴィア語: Vācija (lv) 女性
- リトアニア語: Vokietija (lt) 女性
- ルーマニア語: Germania (ro) 女性
- ルクセンブルク語: Däitschland (lb) 中性
- ルシン語: Нїме́цько 中性 (Njimécʹko)
- ロシア語: Герма́ния (ru) (Germánija) 女性
- アイスランド語: þýskur (is) 男性, þýsk (is) 女性, þýskt (is) 中性, þýskir (is) 男性 複数, þýskar (is) 女性 複数, þýsk (is) 中性 複数
- イタリア語: tedesco (it) 男性, tedesca (it) 女性
- インターリングア: german (ia)
- インドネシア語: Jerman (id)
- ウクライナ語: німе́цький (uk) (nimécʹkyj)
- 英語: German (en)
- エスペラント: Germana (eo)
- オランダ語: Duits (nl), Duitse (nl)
- カタルーニャ語: alemany (ca) 男性, alemanya (ca) 女性
- ギリシア語: γερμανικός (el) 男性, γερμανική 女性, γερμανικό 中性
- グアラニ語: Alemaniagua (gn)
- クルド語: elmanî (ku)
- スウェーデン語: tysk (sv)
- スペイン語: alemán (es) 男性, alemana (es) 女性
- スロヴェニア語: nemški (sl) 男性, nemška (sl) 女性, nemško (sl) 中性
- セルビア語: немачки (sr), њемачки (sr) 男性 単数/男性 複数; немачка (sr), њемачка (sr) 女性 単数 & 中性 複数; немачке (sr), њемачке (sr) 女性 複数; немачко (sr), њемачко (sr) 中性 単数
- チェコ語: německý (cs) 男性, německá (cs) 女性, německé (cs) 中性
- デンマーク語: tysk (da)
- ドイツ語: deutsch (de), deutsche (de) 女性, deutscher (de) 男性, deutsches (de) 中性, deutschen (de)
- トルコ語: alman (tr)
- 西フリジア語: Dútsk (fy)
- ノルウェー語: germansk (no)
- ハンガリー語: német (hu)
- フィンランド語: saksalainen (fi)
- フランス語: allemand (fr) 男性, allemande (fr) 女性
- ブルトン語: alaman (br), relating to the language
- ベラルーシ語: няме́цкі (be) (njamjécki)
- ペルシア語: آلمانی (fa) (almani)
- ポーランド語: niemiecki (pl) 男性, niemiecka (pl) 女性, niemieckie (pl) 中性
- ボスニア語: njemački (bs) 男性 単数/複数, njemačka (bs) 女性 単数 & 中性 複数, njemačke (bs) 女性 複数, njemačko (bs) 中性 単数
- ポルトガル語: alemão (pt) 男性, alemã (pt) (f)
- マオリ語: tiamana (mi)
- マレー語: Jerman (ms)
- ルーマニア語: german (ro) 男性, germană (ro) 女性, germani (ro) 男性 複数, germane (ro) 女性 複数
- ルシン語: нїме́цькый (njimécʹkŷj)
- ロシア語: неме́цкий (ru) (neméckij), герма́нский (ru) (germánskij)
- ロマ語: nyamcicko 男性, nyamcicki 女性
「ドイツ」の例文・使い方・用例・文例
- 学生はフランス語とドイツ語の両方かまたはいずれか一方を学ぶことになっている
- 彼は生まれはドイツ人です
- その町はフランスとドイツの国境にある
- フランスはドイツに接している
- フランス語とドイツ語のどちらか,あるいは両方分かりますか
- ドイツ語をやり直す
- 彼女はドイツ語を自由に操る
- ドイツというとビールを思い浮かべる人が多い
- 東西ドイツはもう存在しない
- ドイツ文学
- ドイツ国民
- ドイツは1939年ポーランドに侵入した
- コンスタンス湖はドイツ,スイス,オーストリアの国境に接している
- 私は将来ドイツ語を学びたい
- Haltはドイツ語で「止まる」という意味だ
- ぼくは,1年間,断続的だけどドイツ語を勉強している
- ドイツ語が上達する
- 君のドイツ語に磨きをかけなさい
- 私のドイツ語は少しだめになっている
- 彼は強いドイツ語なまりでジャケットを見せてくれと言った
「ドイツ」に関係したコラム
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DAX証拠金取引は、DAX指数に連動して値動きする銘柄です。そのため、DAX指数の値動きや構成銘柄の特徴を知ることでDAX証拠金取引の値動きを予測できます。DAX証拠金取引は、ドイツのフランクフルト証...
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CFDで取り扱う株価指数には、日経平均株価(日経225)やNYダウ平均、S&P500、ナスダック100といった株価指数の値動きを反映する銘柄があります。CFDで取り扱う株価指数は、その国の財政状況や経...
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CFDで欧州の株式取引をするには、欧州株を取り扱っているCFD業者と取引を行います。欧州株を扱っているのは、ひまわり証券、CMC Markets Japan、GCIフィナンシャル、IGマーケッツ証券の...
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CFDではさまざまな銘柄を取り扱っています。そして、取引ツールには多くの銘柄が登録されており、その一部は日本語で銘柄を表示していない場合があります。ここでは、銘柄のシンボルの日本語の意味を一覧で紹介し...
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株365の銘柄を構成しているのは、日本、イギリス、ドイツ、中国の各国の主要株式です。そのため、各国の発表する経済指標には敏感に反応して値動きをします。例えば、その国にとってよい経済指標が発表されれば株...
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CFDの株価指数には、日経平均株価(日経225)指数やS&P500種株価指数、イギリス100種株価指数などがあります。これらの株価指数の値動きと為替レートの値動きは連動している場合が多いようです。CF...
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