デスゾーン
デスゾーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 06:12 UTC 版)
「ゲルリンデ・カルテンブルンナー」の記事における「デスゾーン」の解説
標高8000mからは人間の行動力や判断力が著しく鈍り、死と隣り合わせであるので「デスゾーン」と呼ばれる。第4キャンプから山頂までは標高差600mに過ぎないが、2008年に11人の死者を出した遭難事件以来ここに到達したのはゲルリンデらのメンバーが最初である。8月22日、4人は第4キャンプを出発し、「ジャパニーズ・クロワール」に到達した。「ジャパニーズ・クロワール」には胸まで沈む新雪が積もっており、6時間かかっても180mしか進むことが出来なかった。ラルフは無線で一度第4キャンプに戻ることを勧めたが、一行は最終的に8300mの地点で2人用の小さなテントを張ることにした。氷を切り崩して平面を造りテントを固定するだけで1時間30分かかり、午後8時過ぎに4人はテントに入ることが出来た。午前1時頂上に向けて最後のアタックを始めようとしたが、指先の感覚が無く、足も氷の塊を引きずっているようで体の震えも止まらなかった。とてもアタックは無理と判断されテントに戻って暖を取り、夜明けを待って出発した。ゲルリンデのリュックの中は手袋、トイレットペーパー、サングラス、包帯といった最低限の物品とスポンサーのオーストリアの石油会社の旗と仏像を入れた銅製の小箱が入っていた。午前7時に出発して130mの雪の斜面を目指した。午後3時に斜面の麓に到達。斜面では胸まで埋もれる雪に進路を阻まれ10歩毎に隊列の先頭を交代した。ラルフはその様子を麓から双眼鏡で観察してアドバイスを送った。やがて斜面は傾斜60度の岩場となったが積雪は浅くなり、一行は斜面を抜けて頂上に繋がる尾根に出ることに成功した。午後4時30分には山頂ドームが見えてきた。ゲルリンデは午後6時18分に山頂に到達。15分遅れてマクストとバシリーが到着、30分後にダリウスも到着した。オーストリアのヴェルナー・ファイマン首相は「偉業に感銘を受けた」と讃えた。カザフスタン首相はマクストとバシリーへの賛辞をツイッターに書き込んだ。
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デス・ゾーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 16:55 UTC 版)
「高度が人に与える影響」の記事における「デス・ゾーン」の解説
登山家は、酸素の量が人間の生命を維持できなくなる点以上の高度をデス・ゾーンと呼んでいる。この点は、一般的には8,000mとされる。「デス・ゾーン」という用語は、スイスの医師エドゥアール・ヴィース・デュナンが1952年に著したThe Mountain Worldに由来する。 高地での登山家の死亡の多くは、直接的(生命維持機能の喪失)にも間接的(ストレス下での判断の誤り、体力の低下による事故)にも、デス・ゾーンが影響している。デス・ゾーンでは、人体は順応することができない。酸素の補給なしにデス・ゾーンに長期滞在することは、身体機能の低下、意識の喪失、そして最終的には死につながる。 南米ボリビアの高地病理学研究所の科学者は、どちらもエベレストの頂上に近いpO2レベルである、慢性高山病の低酸素症の患者と子宮内の胎児の観測から、デス・ゾーンの存在を疑問視する。
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