ディーゼル化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 15:47 UTC 版)
先に建造された檜山丸型同様、主機械には従来の蒸気タービンに比べ操縦性が高く、車両甲板から機関室への開口部も少なくできて、機関室の水密性確保の容易なディーゼルエンジンが採用された。エンジン形式は檜山丸型と同一であったが、その使用実績から定格出力2,800制動馬力では余裕があり、また客船として振動軽減も考慮され、定格回転数毎分250回転を230回転に落とし、定格出力も2,600制動馬力に抑えた仕様のディーゼルエンジン2台が搭載された。しかし、低速ディーゼルエンジンは背が高く、これを車両甲板で天井高さが制限される車載客船の機械室に搭載したため、檜山丸型同様、ピストン抜き作業は、車両甲板に設けたボルト締めの水密ハッチの蓋を開けて行う必要があり、車両積載時にはできなかった。 また、360制動馬力の4サイクルトランクピストン三菱神戸JB-5で駆動される三相交流60Hz 445V 300kVAの主発電機3台が、発電機室に設置された。青函連絡船では、船内電力は 1939年(昭和14年)建造の第三青函丸以来、三相交流60Hz 225Vが採用されてきたが、本船からは電圧がより効率的な445Vに上げられた。さらに国際航海に従事する旅客船に義務づけられた非常用設備規程を準用し、国鉄初の自動起動・自動停止する50kVAのディーゼルエンジン駆動非常用発電機が1台、煙突下の端艇甲板室右舷側に設置された。また、この甲板室左舷側には、非常用発電機駆動ディーゼルエンジンの始動セルモーターや非常用操舵機、水密辷戸駆動用等の鉛蓄電池を収納した電池室が設けられた。 主機械、主発電機、ボイラーの各排気筒も檜山丸型にならい、船体強度上有利な船体中心線上に、幅2.8mの機関室囲壁を設けて通し、煙突も太いもの1本となった。 主機械だけではなく発電機も含め、その防振や遮音対策が客船としては十分だったとは言えず、従来の青函連絡船の低振動・低騒音の蒸気タービン船に慣れた乗客には不評を買った。特に2等席(現在のグリーン席に相当)が排気筒の通る機関室囲壁周囲に配置されていたことから、2等客から「3等よりうるさい」などと苦情が出たそうである。
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ディーゼル化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/03 16:43 UTC 版)
ガソリンエンジンからディーゼルエンジンへの換装が行われた。この背景には戦車の燃料がディーゼル化されたことにより、戦列車両を全てディーゼルで統一しようという方針があった。本車も1935年(昭和10年)6月からディーゼルエンジン化が自動車工業株式会社(石川島自動車製作所)で行われた。同社は1934年(昭和9年)7月ごろから海外の各メーカーのディーゼルエンジンを調査していた。また実績として九二式重装甲車用のガソリンエンジンの開発にも成功していた。こうした技術的蓄積のほか、八九式中戦車用のディーゼルエンジンも参考に入れ、1936年(昭和11年)4月に空冷直列6気筒ディーゼルエンジンの開発に成功した。重量と性能はほぼ同一である。故障が少なく信頼性が高かった。1937年(昭和12年)10月に最終的な型式が決定された。ガソリンエンジン搭載型は甲型、ディーゼルエンジン搭載型は乙型と区別される。
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