ディーとともに大陸で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 08:32 UTC 版)
「エドワード・ケリー」の記事における「ディーとともに大陸で」の解説
1583年、ディーは錬金術に興味を持つポーランド貴族オルブラヒト・ウァスキの知遇を得た。ディーはケリーおよび彼らの家族とともにウァスキについて大陸に渡った。ディーはプラハの神聖ローマ皇帝ルドルフ2世およびクラクフのポーランド王ステファンの保護を受けることを考えていた。ディーはこの二人の君主に自分を印象付けることに失敗したようである。ディーとケリーは中央ヨーロッパを巡る流浪の生活を送った。彼らは交霊を継続していたが、ケリーは透視よりも錬金術のほうに興味を持っていた。 1586年、ケリーとディーは富裕なボヘミアの伯爵ウィレム・ロージェンベルクの保護を受けた。彼らはトシュボニュの町に住み研究を続けた。1587年、ケリーは天使たちが彼らの持つもの全てを共有するよう命じたとディーに明かした。 ― 配偶者を含めてである。ディーはこの天使の命令に苦悩した挙句、妻の共有を実行しようとした。一方、ケリーは自分の見た天使たちは悪霊だと考え、託宣に従うことを拒否しようとした。この啓示は、実りない交霊を終えて、ロージェンベルクの援助を受けていた錬金術の研究に集中できるようにするためのケリーの方策であった、とかねてより推測されてきた。ケリーはこの援助によって裕福になっていたのである。結局これは、以前より交霊実験をやめたいと言っていたケリーの関わった最後の交信となり、すでに錬金術師として師以上の評価を得ていたケリーのディーとの関係は破局を迎えることとなった。 1588年以降ディーは二度とケリーに会うことはなく、翌年イングランドに帰国した。その後、ディーはバーソロミュー・ヒックマンという霊視者を雇って交霊実験を続けた。
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