ディオンの最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/27 06:56 UTC 版)
「シュラクサイのディオン」の記事における「ディオンの最期」の解説
この時ディオンは、プルタルコスによれば、王政と民主政を混ぜ、重要事項は貴族が指導する体制を樹立しようとしていた。しかし、ディオンの理想とはうらはらにヘラクレイデスの暗殺は人々にディオンへの恐怖と不信感を植え付け、この機運を見て取った傭兵の指揮官カリッポス(コルネリウス・ネポスによればカリクラテス)はディオンから支配権を奪取しようと目論んだ。彼はディオンに自分がディオンの反対者の首領のふりをして不穏分子を集めていぶり出すことを献策した。ディオンはこれを信じ、カリッポスの真の狙いに気付いた妻と姉が忠告してもこれは自分の考えであると答えて聞かなかった。その一方でカリッポスはディオンの息子ヒッパリノスが自殺した(ネポスによればヒッパリノスはディオニュシオス2世に彼と同じようなだらしない人間になるように年端も行かぬうちから娼婦をあてがわれて酒びたりの生活をし、これを矯正しようとしてディオンが節制生活を強いたところ耐え切れずに自殺したという)のを受け、ディオンはアポロクラテスを後継者にしようとしているというデマを流した。そして一部の傭兵を買収によってて手なずけた上でついにディオン暗殺を決行した(紀元前354年)。ディオンの暗殺の後彼の妻と姉は投獄され、短期間ではあるがカリッポスが僭主として君臨した。カリッポスの死後ディオニュシオス2世が復帰し、ディオンの壮挙は水泡に帰した。シュラクサイの僭主から解放はディオンの死からおよそ10年後のコリントス人ティモレオンの到来を待たなければならない。
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