ティールーム論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 15:25 UTC 版)
「ハンプトン国立史跡」の記事における「ティールーム論争」の解説
1949年にハンプトンが初めて一般公開されたとき、この邸宅のキッチンは小さなレストランに転換された。ティールームと呼ばれ、その後の50年間はある営業許可取得者が経営し、ハンプトン・インペリアル・クラブ(カニ)を使ったランチを提供していた(ブルークラブ (ワタリガニ) の塊肉を焼いて、スパイスで味付けしたもの)。他にもチェサピーク湾の海産物を使った料理があり、グラスのシェリー酒を出していた。地元新聞のコラムニストはティールームのことを、「上品さを提供する...壁ほどにも大きい暖炉や、厚さが2フィート (0.61 m) 近い敷居がある方立(ほうだて)の窓がある。そこからの眺めはうねりのある芝生である...」と書いていた。 1999年1月1日、国立公園局がこのティールームを閉鎖したとき、その役員は、この本館でキッチンを動かすことで火事を起こす可能性があり、邸内の歴史的な物に昆虫やネズミによる被害を出させる可能性があるので、閉鎖したと言っていた。これはその前年に採用された国立公園局による総合管理計画にうたわれていたことだった。そこは「食事を楽しむために快適な場所である一方で、...将来の世代のためにハンプトンの建物、対象物や景色を保存する必要性に比べれば、明らかに重要ではない」と言っていた。メリーランド州保存協会の役員は、レストランの閉鎖で「失望した」と言い、ティールームはこの史跡に観光客を惹きつけるために貢献していたと言っていた。ハンプトンの様々な計画のために資金を集めているハンプトン婦人委員会の元議長も、この判断を批判した。2006年以降、この婦人団体は改めてティールームを再開させる運動を開始し、それは多くの観光客を惹きつけ、この史跡に地元の事業を帰って来させるものであると言っている。2006年10月、国立公園局の広報担当者は、「この邸宅はいかなる食事も提供する場所とはならない」と言ったと伝えられているが、それ以来それ以上のコメントは出していない。
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