ティルピッツ沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:28 UTC 版)
「ハインリヒ・エールラー」の記事における「ティルピッツ沈没」の解説
1944年11月12日に英空軍は戦艦ティルピッツに対し最後の攻撃を実施した。第617と第9爆撃飛行隊のアブロ ランカスター爆撃機がティルピッツの停泊しているトロムソの少し西の(Håkøya)へ向け送り出された。 その当時エールラーは、JG 5/第9飛行中隊と共にバーダフォス航空基地に駐在しており、作戦可能な12機のフォッケウルフ Fw 190 A-3戦闘機を保持していた。飛行中隊は、トロムソ地域への継続的な英爆撃機隊の圧力に備え10分待機の状態にあった。エールラーが部下達を引き連れ離陸すると敵爆撃機の目標に関する錯綜した情報を受信した。ある報告では目的地はアルタと、他の報告ではボードーと報じていた。敵機の目標がティルピッツだということが判明したときは時すでに遅くエールラーの編隊は該当地域から遥か遠くにおり、ティルピッツを撃沈する敵機を阻止する手立てを何も講じられなかった。 この迎撃の失敗の後でエールラーは、攻撃の重大性への無理解と自身の200機撃墜の功へ気を取られていたという理由で軍法会議にかけられた。最初は死刑を宣告されたが、後で一般的な刑期とは対照的なより名誉ある3年間の禁固刑に減刑された。これによりエールラーは飛行任務を続けることができたが、指揮権は取り上げられた。 後の調査でこの不手際の原因は貧弱な情報伝達—特に海軍と空軍間の—にあったと結論付けられた。搭乗員達は「ティルピッツ」が数週間前に(Håkøya)の新しい停泊地に移動したことを知らなかったが、どうやらエールラーはティルピッツ防衛の失策に対する都合の良いスケープゴートにされたらしい。 しかしながら、10月29日の時点で既にトロムソの「ティルピッツ」はランカスター38機による空襲を受けていること、またレオンス・ペイヤールの「COULEZ LE TIRPITZ」によれば、トロムソへの移動後に「ティルピッツ」艦長ロベルト・ヴェーバー大佐自身がエールラーに対し上空掩護の徹底を一度ならず要請していることを鑑みれば、空軍がトロムソへの「ティルピッツ」移動を知らなかったなどとは容易に信じ難い一面もある。 エールラーには柏葉剣付騎士鉄十字勲章が推薦されていたが、これは却下された。
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