ショヒド‐ミナール【Shaheed Minar】
ショヒド・ミナール
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ショヒド・ミナール[1](ベンガル語: শহীদ মিনার、ラテン文字転写: Shohid Minar)は、バングラデシュの首都ダッカにある国定記念碑。1952年に起こったベンガル言語運動の犠牲者を追悼する目的で建設された。
- ^ 語源のアラビア語読みに引きずられてシャヒド・ミナール(アラビア語: شهيد مينار、英語: Shaheed Minar)と呼ばれることもあるが、ベンガル語読みではショヒド・ミナールとなる。
- ^ a b Al Helal, B (2003), Bhasha Andoloner Itihas, Agamee Prakashani, Dhaka, ISBN 984-401-523-5(ベンガル語)
- ^ The Azad (a daily newspaper) (Abul Kalam Shamsuddin, Dhaka), February 27 1952
- ^ The Azad (a daily newspaper) (Abul Kalam Shamsuddin, Dhaka), February 25 1952
- ^ Imam, Jahanara (1986). Ekattorer Dingulee (in Bengali). Dhaka: Shondhani Prokashani, p44. ISBN 984-480-000-5
- ^ Islam, Rafiqul (2000), Amar Ekushey O Shaheed Minar, Poroma, ISBN 984-8245-39-1(ベンガル語)
- ^ Shaheed Minar National Monument - Honoring the Bengali Language Movement Martyrs [1]
- ^ バングラ独立と池袋西口公園[2]
- 1 ショヒド・ミナールとは
- 2 ショヒド・ミナールの概要
- 3 レプリカ
ショヒド・ミナール(1963年~1971年)
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「ショヒド・ミナール」の記事における「ショヒド・ミナール(1963年~1971年)」の解説
バングラデシュの政党アワミ連盟が力を持つようになると、政府による報復を恐れること無く、新たな記念碑を建設することが可能となった。著名な建築家であるハミドゥル・ラハマンが、1957年に建築が開始されるショヒド・ミナールのデザインを作成した。ミナールの基礎となる石は、1956年2月21日に敷かれている。ハミドゥル・ラハマンのモデルは、ダッカ医科大学寄宿寮の庭にある広大な土地に、巨大な複合施設を建てるというものだった。この巨大なデザインには、記念碑中央の高座にたたずむ母と犠牲となったその息子を象徴した、半円形の柱が含まれていた。また、太陽に反射する目を象徴した黄色と深い青色のステンドグラスは、その柱の動く影を反射するようにデザインされた。ミナールの地下にも、言語運動の歴史を描いた1500平方フィートに及ぶフレスコ画が含まれていた。ベンガル語のアルファベットで装飾された柵は、前面に建設される予定であった。他に、赤と黒に彩られ、2つの相反する力を示している2つの足跡も、デザインのうちの一つだった上に、博物館や図書館を建設することもまた、ラハマンの計画には含まれていた。目のような形状をした泉が建設される予定もあった。 ラハマンは、特に記念碑が地域一帯の熱帯性の気候にも耐えられるように、記念碑をデザインした。建設工事は1957年11月に開始されており、この際の建築監督はハミドゥル・ラハマンとノヴェラ・アハメドであった。地下階・演壇・柵の付いた柱・足跡と壁の幾つかを含む工事のほとんどは、戒厳令が導入されて工事が中止させられた際に完了している。よって建築が竣工に至ったのは1963年のことであり、ラハマンのデザインの多くは完成されないままとなった。記念碑は1963年2月21日、言語運動の犠牲者アブール・バーカトとハシナ・ベーガムの母親により、落成式が行われた。しかし、1971年に起こったバングラデシュ独立戦争で、ミナールは激しく損傷してしまった。設置されていた柱も、この闘争の中で破壊されている。パキスタン軍はミナールを破壊し、その瓦礫の上に「モスク」と書かれた看板を立てた。
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