シュタットバーン化への過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 16:34 UTC 版)
「ビーレフェルト・シュタットバーン」の記事における「シュタットバーン化への過程」の解説
1960年代以降、ドイツ各地の路面電車ではモータリーゼーションの進行に伴う道路の混雑が問題となり、安定した運転が難しい状況に陥る路線が相次いだ。そこで、道路の上に敷かれていた併用軌道を専用軌道や地下のトンネルに移し、高規格の中量軌道輸送システムとするシュタットバーンと呼ばれる概念が生まれた。ライン・ルール大都市圏では特にその動きが盛んであり、その中に含まれるビーレフェルトでも1968年のビーレフェルト大学(ドイツ語版)設立がきっかけとなり路面電車のシュタットバーン化計画が本格的に始まった。 同年に建設が始まり、まず1971年に2号線のBeckhausstraße駅を含む全長250 mの地下化が実施されたが、以降は西ドイツの経済危機が影響し、地下化工事は1982年まで長期に渡って中断された。だがその間に車両や施設の更新は続き、1980年からプラットホームの高床化やバリアフリー化が実施された他、1981年から1987年にかけてシュタットバーンに対応したM8C形電車が導入され、従来の車両を全て置き換えた。また路線の拡張も続き、1978年には2号線の延長区間に当たるBaumheide - Milse間が開通したが、当初は2号線を含む他路線と接続しておらず、GT8形を改造したGT8Z形を使用したシャトル列車が運行していた。 そして地下化工事の再開や系統の見直し、信号回路や安全装置の変更など様々な工程を経た1991年4月28日、ビーレフェルト中心部のRatharus - Nordpark間のトンネル開通をもって、ビーレフェルト市電はビーレフェルト・シュタットバーンとして再出発を果たした。
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