シャルンホルスト
シャルンホルスト
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シャルンホルスト(ドイツ語: Scharnhorst)
- 1 シャルンホルストとは
- 2 シャルンホルストの概要
シャルンホルスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:01 UTC 版)
ドイツの大手海運会社である北ドイツ・ロイド汽船(en:Norddeutscher Lloyd、以下NDL)の貨客船として、ブレーメンのデシマグ社(DeSchiMAG en:Deutsche Schiff- und Maschinenbau)にて建造された。1930年初頭、NDL社は大西洋航路に大型客船2隻(ブレーメン、オイローパ)を投入し好評を得てたが、太平洋航路では他社との競争が激化し、特に日本郵船は1万トン級貨客船(照国丸、靖国丸、浅間丸)を就役させていた。NDL社はブレーメン号で得た経験をもとに、熱帯海域を通過して長距離航海を行う大型客船3隻(1万8000トン以上、平均速力21ノット、客船数300、大型貨物庫装備)の建造計画をまとめる。これが本級3隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ、ポツダム)である。1933年(昭和7年)、NDL社はデシマーク・ウェーザー造船所に客船2隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ)、ハンブルクのブローム&フォス造船所に1隻(ポツダム)の建造契約を結んだ。シャルンホルストの名称は、プロイセン王国軍人ゲルハルト・ヨハン・ダーヴィト・フォン・シャルンホルストに因んで名付けられた。 技術的には電気溶接の大幅な採用と、当時最新のAEG製発電機2基を搭載したターボ・エレクトリック駆動(電気推進)、およびワグナー式高温高圧ボイラーの採用が特徴である。電気推進式は、シャルンホルストがドイツ客船として最初の採用となった。船底は二重底構造。2隻(シャルンホルスト、グナイゼナウ)はマイヤー(Maier船型)だが、ポツダムは発注時別会社だったためバルバス・バウ(球状船首)を採用、艦型に若干の差異がある。バルバス・バウは前述の客船ブレーメン(1928年進水、1929年竣工)で採用されていたが、シャルンホルストはあえてマイヤー型を採用した。機関もシャルンホルストはターボエレクトリック駆動だが、グナイゼナウは蒸気タービンである。1934年(昭和9年)12月14日に進水。ナチス・ドイツ政権下で誕生した最初の大型客船であったため、進水式にはナチス政権要人が列席した。 1935年(昭和10年)4月30日に竣工。処女航海は各国の注目を集め、日本でも大きく報道された。極東航路は17,000海里(31,484km)。主な寄港地はハンブルク、ブレーメン、アントワープ、ロッテルダム、サウザンプトン、地中海沿岸大都市、スエズ運河、コロンボ、マラッカ海峡沿岸港、シンガポール、マニラ、香港、上海、横浜、神戸。また同年竣工の姉妹船2隻(グナイゼナウ、ポツダム)も、順次ブレーメン-横浜間の極東定期航路に就航した。シャルンホルストは度々日本に来航した。 一方日本郵船はシャルンホルスト級3隻に対抗する必要に迫られた。欧州航路投入予定の新田丸級貨客船3隻(新田丸、八幡丸、春日丸)を日本海軍の援助で建造したが、この3隻は有事の際に空母に改造することを前提としている。また新田丸級の要目と性能は、シャルンホルストに酷似していた。のちに新田丸級3隻は大鷹型航空母艦に改造され、春日丸が空母大鷹、八幡丸が空母雲鷹、新田丸が空母冲鷹となった。同様の経緯で橿原丸級貨客船2隻(橿原丸、出雲丸)は隼鷹型航空母艦2隻(隼鷹、飛鷹)に改造され、いずれも1942年(昭和17年)中に就役した。あるぜんちな丸級貨客船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)のうち「ぶらじる丸」は米潜水艦に撃沈され(1942年8月5日)、あるぜんちな丸のみ空母海鷹となった。 1939年(昭和14年)8月16日、シャルンホルストは神戸港を出港、8月28日にマニラに寄港した後シンガポールへ向かっていた時にドイツからの暗号無電を受け、再びマニラ帰投。9月1日に神戸港へ戻る。本船は第二次世界大戦勃発によりドイツへ帰れなくなり、そのまま神戸港で係留された。浅間丸事件のように、イギリス海軍に拿捕される危険があった為という。乗組員・乗客は当時まだ国交があったソ連のシベリア鉄道を経由してドイツに帰国した。その後、シャルンホルストは約3年間も神戸港に繋留・放置された。
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シャルンホルスト
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ビスマルクII世に随伴して日本武尊と交戦するが一斉射で撃沈される。
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シャルンホルスト
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「ナポレオン -獅子の時代-」の記事における「シャルンホルスト」の解説
プロイセンの軍人。プロイセン軍の現状に失望しており、「老人クラブに堕落している」「未だに七年戦争の勝利に酔っている」と揶揄しており、新生プロシア軍の再建を目指している。プロイセン軍の改革のためには徹底的な敗北が必要だと確信しており、大敗した自軍を見限り投降した。
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