さい‐きん【再勤】
さい‐きん【採金】
読み方:さいきん
鉱石から金を採ること。
さい‐きん【最近】
読み方:さいきん
1 現在より少し前のある時。また、少し前から現在までの間。副詞的にも用いる。「つい—の出来事」「—まで知らなかった」「—は連絡がない」「—感動した本」
[用法] 最近・近ごろ・このごろ——「最近(近ごろ・このごろ)の世相はめまぐるしく変わる」のように、現在を含む近い過去の意では相通じて用いられる。◇「最近(近ごろ・このごろ)は行かない」のように否定の形ではともに使えるが、この場合「最近」が時間的な幅が最も長く、「近ごろ」がそれに次ぐ。「このごろ」は短い期間をいい、「ここのところ」の意が強い。◇「最近就職したばかりだ」のように、現在に近い過去のある特定の時点をさす意では「このごろ」は普通使わない。「近ごろ」は使えるが、なじみが悪く、例は少ない。
さい‐きん【細×瑾】
さい‐きん【細菌】
読み方:さいきん
原核細胞を持つ単細胞の微生物。原形質に明瞭な核をもたない生物の一群。主に分裂によって繁殖する。地球上の至る所に存在する。食品加工や有機物の分解に利用されるが、病原体となるものも多い。光合成細菌、藍藻類(シアノバクテリア)、窒素固定菌、放線菌など。バクテリア。
さい‐きん【細謹】
さい‐きん【細金/×截金】
采芹
読み方:サイキン(saikin)
学校に入ること。
崔鈞
サイキン | ||
字は元平。博陵の人。大尉崔烈の子、崔州平の兄《諸葛亮伝・同集解》。「崔均」とも作る《諸葛亮伝》。 父崔烈は北方の州で名声があり、太守・九卿を歴任していた。しかし霊帝の時代、五百万銭を投じて司徒の官職に就いたため名声を失ってしまった。崔烈はしばらくして虎賁中郎将の子崔鈞に訊ねた。崔烈「吾が三公になったことについて、みんなはどう言ってるのかな」、崔鈞「大人(ちちうえ)は優れた名声をお持ちで、九卿・太守を歴任され、三公になるべきでないと言う者はおりませんでした。ところが今その位に昇られますと天下は失望いたしております」、崔烈「どうしてかね?」、崔鈞「言挙げする者は銭臭さを嫌っているようです」《後漢書崔駰伝》。 崔烈が怒って杖を振り上げて崔鈞を殴ったので、崔鈞はあわてふためいて走り去った。崔烈が「命懸けの役職に就いていながら、父に打たれると逃げるのか!それで親孝行と言えるのか!」と罵倒すると、崔鈞は「舜は父に仕えていたとき杖で打たれて逃げましたが、親不孝とは言えないでしょう」と答えた。崔烈は恥ずかしくなって止めた《後漢書崔駰伝》。 崔鈞は若いころから英雄・豪傑と交わって名声を挙げたが、議郎になると忠実・率直さによって称賛された。のちに西河太守になった《後漢書崔駰伝・同集解》。崔鈞には雅心があり、漢末の王公が正装を脱いで幅巾を着けたのを真似て、いつも絹の頭巾を被っていた《武帝紀》。献帝が即位すると袁紹とともに山東で義兵を起こした。そのため董卓は崔烈を収監した。董卓が誅殺されると崔烈は城門校尉となったが、李傕が長安に入ったとき乱戦の中で殺害された。崔鈞はいつも父のために復讐することを念頭に置いていたが、まもなく病気で卒去した《後漢書崔駰伝・同集解》。 【参照】袁紹 / 崔州平 / 崔烈 / 舜 / 董卓 / 李傕 / 劉協(献帝) / 劉宏(霊帝) / 山東 / 西河郡 / 長安県 / 博陵郡 / 九卿 / 議郎 / 虎賁中郎将 / 三公 / 司徒 / 城門校尉 / 大尉 / 太守 / 大人 / 売官 / 幅巾 |
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