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サイイド朝とは? わかりやすく解説

サイイド朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 14:07 UTC 版)

サイイド朝(サイイドちょう、ペルシア語: سلسله سید‎、Sayyid dynasty)とは、北インドの一部を4代37年にわたって支配した、デリー・スルターン朝の4番目のトルコ系イスラーム王朝(1414年 - 1451年)。首都はデリー。名称は、建国者のヒズル・ハーンが「サイイド」、すなわちムハンマドの子孫であると称したことに由来する[1]


  1. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.150-151
  2. ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.149
  3. ^ a b c d ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.151
  4. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.152
  5. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.152


「サイイド朝」の続きの解説一覧

サイイド朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/26 14:09 UTC 版)

デリー・スルターン朝」の記事における「サイイド朝」の解説

1414年ティムール代官でもあったヒズル・ハーンデリー制圧しデリー・スルターン朝4番目の王朝であるサイイド朝を開いた。 だが、サイイド朝はトゥグルク朝領土そのまま継承しただけなので、首都デリーその周辺しか支配していなかった。加えてジャウンプル・スルターン朝マールワー・スルターン朝メーワール王国囲まれて、王権不安定だったムハンマド・シャー治世数人貴族らが政権握りマールワーデリー制圧するように要請することもあった。また、パンジャーブ一帯に力を持ったアフガン系ローディー族台頭した

※この「サイイド朝」の解説は、「デリー・スルターン朝」の解説の一部です。
「サイイド朝」を含む「デリー・スルターン朝」の記事については、「デリー・スルターン朝」の概要を参照ください。

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