サイイド朝
サイイド朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/26 14:09 UTC 版)
「デリー・スルターン朝」の記事における「サイイド朝」の解説
1414年、ティムールの代官でもあったヒズル・ハーンはデリーを制圧し、デリー・スルターン朝の4番目の王朝であるサイイド朝を開いた。 だが、サイイド朝はトゥグルク朝の領土をそのまま継承しただけなので、首都デリーとその周辺しか支配していなかった。加えてジャウンプル・スルターン朝やマールワー・スルターン朝、メーワール王国に囲まれて、王権は不安定だった。 ムハンマド・シャーの治世、数人の貴族らが政権を握り、マールワーにデリーを制圧するように要請することもあった。また、パンジャーブ一帯に力を持ったアフガン系ローディー族が台頭した。
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