コンテナリゼーション
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コンテナリゼーション(英:containerization)、コンテナ化とは、定規格の輸送コンテナに大小様々な貨物を積み込んで、コンテナごと一斉に運んでしまう輸送体系のこと[1]。日本国内ではコンテナ輸送と呼ばれることも多い。
- 1 コンテナリゼーションとは
- 2 コンテナリゼーションの概要
コンテナ化
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「マルコム・マクレーン」の記事における「コンテナ化」の解説
「沖仲仕」も参照 貨物を「箱」に入れて輸送するアイデアは古くからあり、19世紀後半にはイギリスとフランスの鉄道会社によって家具を木箱に詰め運搬している。第一次世界大戦後、トラックが民間にも普及したことで、シンシナティの運送会社はマクレーンが発明した方法とまったく同じアイデアを思いついており、アメリカで最初にコンテナを取り入れたのは、1920年、ニューヨーク・セントラル鉄道によるスチール製の物であった。1926年にはサザン鉄道と北部鉄道によって運行されたロンドンからパリへの豪華列車「ゴールデン・アロー号/フレッシュ・ドール号」において乗客の手荷物輸送に関し4つのコンテナが使用されている。これらのコンテナはロンドンまたはパリで列車に積載され港まで運ばれている。ドーバー港ではイギリスによるフラットカーによって運搬され、カレー港ではフランスの北部鉄道の貨車によって運搬が行われている。当時、小型のコンテナは船にも積載されているが、これは沖仲仕(港湾労働者)によるバラ積みとの混載方式であった。 マクレーンが1953年に初めて計画した海上輸送案は現代で言うRO-RO船(フェリー)方式であった。当時の法律では陸運と海運は完全に別扱いとなっており、船は移動速度が遅いため鉄道やトラックに比べ安い運賃設定が認められていた。マクレーンは渋滞回避だけでなくコストが安いことにも惹かれてており、この制度により同区間で競争相手よりも低い運賃設定が可能となるため、この年の末にターミナル構築に向けた用地買収に乗りだしている。1950年代の沿岸海運業界は不況であった1930年代の半分にまで落ち込み瀕死の状態であった。政府からの投資もほぼゼロに近い状態であり、かつて木材の集積港として栄えた姿は見る影も無く、ニューアーク港を管轄するニューヨーク港湾局(現:ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社)は港湾事業を活性化させようと必死であった。ニューヨークの対岸となるニューアーク港はマクレーンが理想とする広大な用地が広がっており、マクレーンのコンテナターミナル構想は港湾公社局長と部長の心を奪う結果となり、公人として初となる支持を表明した。港湾公社には歳入担保債を発行する権限を有していたため、港湾局が建設を行い貸し出すことが可能となるため、マクレーンが直接投資する必要が無い点もまた好都合であった。 こうしてターミナル建設が開始されるとマクレーンは海運企業の買収を目論んでいる。これは運輸法から陸運企業が海運企業を保有することを禁じており、法律違反となるためICCの認可が得られるはずも無く、海運企業の権利を得るため必要な手段であった。検討の結果、ニューヨークを含む16の港に寄港できる権利を持つ「パン=アトラック・カンパニー」を子会社に持つアラバマ州モービルに本社を構える「ウォーターマン海運」に目を付けており、4,200万ドル(約46億4千万円)での買収を開始している。ここでICCの規制を回避するため新会社「マクレーン・インストリーズ」を設立し、CEOとして就任。マクレーン・トラッキング・カンパニーの株式は信託に移管する形で辞職し、ウォーターマン海運の買収を開始しており、これはアメリカ初のレバレッジド・バイアウト(LBO)案件となった。海運企業の権利を得たことでコンテナリゼーションの本格的な幕開けとなった。最終的にマクレーン・トラッキング・カンパニー全株式を売却し、多額の売却益を得ているが、資金運用は一切せず、マクレーン・インストリーズに保有する全資産をつぎ込んでいる。後のメディアインタビューで「全資産を海運に注ぎ込まず一部は安全に運用したいと考えなかったのか?」と問われマルコムはキッパリとこう答えている。 『全然考えなかった。』『本気で取り組むには退路を断たなければならない』 当初計画された車両毎船舶に積み込む方式の「トレーラー船」と名付けられたRO-RO船方式は、船舶の潜在的貨物スペースが無駄になり非効率であった。また、これは「収容能力の破壊(broken stowage)」として認識された。しかし、この初期計画案に連邦政府が興味を示しており、RO-RO船7隻の建造資金として6,300万ドル(約69億6千万円)の政府融資保証を取り付けている。だが、次のアイデアとして現在の形となるシャーシ(トレーラー)毎では無く、単純にコンテナのみ船に搭載する「コンテナ船」または「ボックス船」と名付けられた方式を思い付いたことで、政府から取り付けた融資は使用されずに終わっている。車輪を無くすことで容積が3分の1減り、積み重ねることが可能となるためこの案を採用し、請け負っていたビール配送に関する運賃を試算した所、このコンテナ方式では従来の積み替え方式に比べ約94パーセントの節約に繋がることが判明し、マクレーンは銀行から2,200万ドルの融資が得られたことで、1956年1月、政府から払い下げられた2隻の戦時標準船である2隻のT2タンカーを購入している。
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