クネイトラの現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 16:41 UTC 版)
クネイトラはまだ再建されていない。シリア政府は廃墟をその場に保存し、その破壊を記念する博物館を建てている。多くの建物の廃墟の前に看板が設置され、これら廃墟はイスラエル軍撤退時のままの状態に保たれている。街の以前の住民はクネイトラに戻らず、シリアはこの地域への居住を阻止している。旅行ガイド「Rough Guides」シリア版はクネイトラを次のように紹介している。「クネイトラ郊外の平らになった家々が見える瞬間は非常にドラマチックである。多くの無傷の屋根ががれきの上に載っており、建物が内破したような印象を与える」。 クネイトラはシリアを訪れる海外のVIPたちの訪問地となっている。ソビエト連邦の首相アレクセイ・コスイギンは1976年6月に、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は2001年5月に訪問した。街の住民は数家族とごくわずかで、ゴラン高原を警戒する国連部隊に対するサービスを提供して暮らしている。タイムズによれば、「注意深く保存された廃墟は、シリアの一世代の巡礼地となっている」。 クネイトラを観光客が訪れることも可能だが、許可が必要であり、軍の案内人が観光客の監督につく。標準的なツアーではクネイトラの病院跡、モスク跡、正教会跡などを回る。市の中心にある古いキャラバンサライの建物を使った「解放されたクネイトラ博物館」では、古代から中世の遺物を展示している。市の西端はイスラエル管理地域との間の無人地帯が始まる場所である。この境界は閉鎖されており、クネイトラからイスラエル側へ出ることはできない。
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