カプア降伏直後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:55 UTC 版)
降伏宣言の翌日、ローマ軍野営地前のユピテル門が開けられた。プルケルとフラックスの2人のプロコンスルとネロが率いるローマ軍はここを通って入城した。カプア城内の全ての武器は集められ、全ての城門には衛兵が配置された。その後、カルタゴ守備軍とカプア元老院議員がローマ軍司令官の前に立たされた。元老院議員たちは鎖で繋がれ、また所有する全ての金銀を財務官(クァエストル)に差し出すよう命令されていた。結果、2,700ポンドの金と31,200ポンドの銀が押収された。27人の元老院議員はカレス(en、現在のカルヴィ・リゾルタ)へ、28人はテアヌム・シディシヌム(現在のテアーノ)へ捕虜として送られた。 カプア元老院議員の処分に関しては、プルケルとフラックスの間で分かれた。プルケルは助命に傾き、フラックスは死刑との意見であった。両者の意見が一致しなかったため、その処置だけでなく捕虜の尋問も元老院に委ねられた。フラックスは、この処置がラテン系の同盟都市との関係に悪影響を及ぼすのを恐れ、騎兵2,000と共にテアヌムに向かった。 テヌアムに到着すると、フラックスはそこの責任者に拘留されているカプア捕虜を彼の前に連れてくるよう命じた。そして連行された捕虜を杖で打ち、斧で首を刎ねた。その後直ちにもう1つの捕虜拘留地であるカレスに向かった。すでにローマ元老院から指示が届いていたが、フラックスはそれを読まずに捕虜全員を処刑した。処刑終了後、ローマからの指令書を読んだが、カレスを離れようとしたとき、1人のカプア人が自分を殺せと叫んだ。フラックスはこれを狂人と思ったが、指令書を呼んだ後であったため殺すことが出来なかった。この男はフラックスの眼前で自分の胸を突き刺して自殺した。 元老院議員70人と貴族300人以上が処刑された。他のカプア人はラテン系のローマ同盟都市に送られ幽閉されたが、様々な理由で死亡した。最終的には、相当数の人々が奴隷身分に落とされて売却された。カプア自体は破壊されず、農業都市として再建され、農民、解放奴隷、商人、職人などが新たな住民となった。その領土と公共建造物はローマ人のものとなった。市には独自の公的機関、元老院、裁判所等は設置されず、ローマから毎年知事が送られた。
※この「カプア降伏直後」の解説は、「カプア包囲戦」の解説の一部です。
「カプア降伏直後」を含む「カプア包囲戦」の記事については、「カプア包囲戦」の概要を参照ください。
- カプア降伏直後のページへのリンク