カナダ初代首相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 08:25 UTC 版)
「ジョン・A・マクドナルド」の記事における「カナダ初代首相」の解説
カナダ初代首相としてのマクドナルドは、連合による国土の拡大と安定が主眼であった。マクドナルド政権下で、カナダはルパート・ランドと北西地域(North-Western Territory)をハドソン湾会社から30万ポンドで譲渡を受け、この地域をノースウェスト準州とした。また1870年にマニトバ法を制定し、マニトバ州を施行した。マクドナルドは大陸横断鉄道の敷設を約束し、1871年にブリティッシュ・コロンビアも連邦に加えた。1873年にはプリンスエドワードアイランド州も連邦に加盟する。この年マクドナルドは広大な北西地域の治安を守るため、王立カナダ騎馬警察(RCMP)を設立した(当時は北西騎馬警察:North West Mounted Policeと呼ばれていた)。 1873年には「パシフィック・スキャンダル」と呼ばれる、カナダ太平洋鉄道敷設に関する収賄の疑いをかけられ、首相を辞任した。自由党党首のアレグザンダー・マッケンジーが首相の座に就いた。マクドナルドは1878年に再び首相の座に就き、国内産業振興及び1885年に完成した大陸横断鉄道の建設に尽力する。 1891年にも再選するが、この頃より健康状態が悪化、1870年には胆石で2ヶ月入院したことに加え、極度のストレス及び疲労により1891年5月に脳卒中により言語能力を失い、6月6日に76歳で死去。遺体はオタワの国会議事堂の上院に安置され、数十万人が訪問する国葬が行われた。オンタリオ州のキングストン郊外のカタラキ墓地に埋葬された。 マクドナルドは19年間カナダの首相の地位にあり、現在史上2番目に長い任期の首相である。また6度の多数議会を得た首相は現在マクドナルドのみである。マクドナルドは、欧州列強の2国の植民地を起源に持ち、様々な文化・民族的背景の市民からなる、世界でも類を見ない地理的規模の国を作り上げた功績で、歴史上大きく賞賛されることになった。 マクドナルドは、現在カナダドルの10ドル紙幣に印刷され、また高速道路、橋、空港、学校などが彼にちなんで名付けられている。
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