カナダ住民への手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 07:54 UTC 版)
カナダ住民への手紙(英: Letters to the inhabitants of Canada)は、1774年から1776年の間に3度、当時のアメリカ植民地の代表である大陸会議から、ケベック植民地の住民に宛てて書かれた手紙である。手紙の目的はケベックにいる大勢のフランス語を話す住民をアメリカ独立派の側に付けることだった。この目的は結局果たされず、ケベックのみならず他の北方イギリス領アメリカの植民地はイギリス側に残った。唯一ケベック地方から得られた援助は、総計1,000名足らずの2個連隊を徴兵できたことだった。
- ^ "French and Indian War." Dictionary of American History. 7 vols. Charles Scribner's Sons, 1976. Reproduced in History Resource Center. Farmington Hills, MI: Gale Group.
- ^ Wrong, p. 19
- ^ "Quebec Act of 1774." Gale Encyclopedia of U.S. Economic History. Gale Group, 1999. Reproduced in History Resource Center. Farmington Hills, MI: Gale Group.
- ^ Monette, Pierre (2007). Rendez-vous manqué avec la révolution américaine., Montréal: Québec Amérique, page 59.
- ^ a b Frothingham, pp. 375-376
- ^ Monette, page 60.
- ^ 仏語の直訳は「ケベック植民地、元カナダの住民に宛てた手紙、フィラデルフィアで開催されている北アメリカの総合議会より」
- ^ Monette, page 61.
- ^ Monette, page 73.
- ^ Monette, page 85.
- ^ Monette, page 99.
- ^ "Letter from Montreal. Parties in Canada", in American Archives series 4, volume 1, p. 1164
- ^ "Letters from Quebeck, giving an account of the treatment of Mr. Walker", in American Archives series 4, volume 3, p. 1185
- ^ Coffin, p. 483
- ^ Alden, pp. 195-196
- ^ Nelson, p. 59
- ^ Wrong, pp. 272–273
- ^ Monette, page 110.
- ^ Lanctot, pp. 46–47
- ^ 仏語の直訳は「ケベック植民地の抑圧された住民に宛てた手紙、フィラデルフィアで開催されている北アメリカの総合議会より」
- ^ a b Monette, page 162.
- ^ a b Rideau, p. 75
- ^ Lanctot, pp. 48–49
- ^ Rideau, p. 76
- ^ a b Monette, page 307.
- ^ a b c Kingsford (vol 6), pp. 44-45
- ^ Monette,page 309.
- ^ Alfred Leroy Burt, The Old Province of Quebec, (Toronto: The Ryerson Press, 1933), p. 145
- ^ Wrong, pp. 280–290
- 1 カナダ住民への手紙とは
- 2 カナダ住民への手紙の概要
- 3 第三の手紙
- 4 結果
- 5 外部リンク
カナダ住民への手紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 21:54 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における外交」の記事における「カナダ住民への手紙」の解説
詳細は「カナダ住民への手紙」を参照 1774年、イギリスの議会はケベック法と共に、アメリカの植民地人が「耐え難き諸法」と呼んだ法律を法制化した。ケベック法は幾つかの規定の中でもフランス系カナダ人がローマ・カトリックを信仰する権利を保証した。 カナダ住民への手紙とは、1774年に第一次大陸会議、1775年と1776年に第二次大陸会議によって書かれた3通の手紙であり、ケベック植民地住人と直接の交信を図るものだった。ケベックは元フランス領カナダに属しており、当時は代表を送る仕組みを持っていなかった。これらの手紙の目的は大勢のフランス語を話す人々をアメリカの独立推進派に付けることだった。その目的は結局達成されなかった。ケベックは他のイギリス領北方アメリカ植民地と共にイギリス側に留まった。これらの手紙で唯一得た重大な効果は1,000名に足りない2個連隊を徴兵できたことだった。
※この「カナダ住民への手紙」の解説は、「アメリカ独立戦争における外交」の解説の一部です。
「カナダ住民への手紙」を含む「アメリカ独立戦争における外交」の記事については、「アメリカ独立戦争における外交」の概要を参照ください。
- カナダ住民への手紙のページへのリンク