カダアン王家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 13:52 UTC 版)
カダアンは他のオゴデイ王家とは違いトルイ家に接近することで地位を保つことに成功したが、その息子達は逆に他のオゴデイ王家と協力する道を選んでいった。 カダアンの息子の一人、キプチャクはオゴデイ系カシン家のカイドゥとチャガタイ家のバラクの同盟関係構築を仲介し、後のカイドゥ・ウルス成立に大きな役割を果たした。また、別の息子のイェスン・トゥアはイドゥ・ウルスに身を寄せていたが、カイシャン(後の武宗クルク・カアン)の攻撃によりアルタイ山脈方面で大元ウルスに降伏している。 大元ウルスに降伏後、カダアン・ウルス当主の座は隴王コランサ(Qorangsa、火郎撒)に引き継がれ、領地は河西方面に置かれたものと見られる。
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