オパールオーキツト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 03:04 UTC 版)
オパールオーキツトまたはオパールオーキット[注 1](Opal Orchid[1]、1950年10月23日 - 1972年10月)は、オーストラリアで生まれ、日本で走ったサラブレッド競走馬である。当初は地方競馬の大井競馬に所属し、1954年に天皇賞(秋)に勝って、外国産馬として38年ぶりの優勝を果たした。繁殖名はオパールオーキツド。
オパールオーキツト(繁殖名オパールオーキツド)の血統(ロックサンド系) | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父 MacArthur 1940 鹿毛 オーストラリア | 父の父 Marconigram1925 青鹿毛または黒鹿毛[注 14] イギリス | Abbots Trace | Tracery | |
Abbots Anne | ||||
Marcia Blanche | Lemberg | |||
Lindal | ||||
父の母 Modiste1925 鹿毛 イギリス | Franklin | Volta | ||
Cambric | ||||
Vogue | Tracery | |||
Charmeuse | ||||
母 Bronze Orchid 1940 栗毛 オーストラリア | Hall Mark 1930 栗毛 オーストラリア | Heroic | Valais | |
Chersonese | ||||
Herowinkie | Cyklon | |||
Deneb | ||||
母の母 Gladioli1926 青鹿毛または黒鹿毛[注 14] オーストラリア | Ethiopian | Dark Ronald | ||
Zobeide | ||||
Earsome | Positano | |||
Gladsome | ||||
母系(F-No.) | (FN:3-b) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Tracery4×4(父系)、St.Simon5×5(母系) | [§ 3] | ||
出典 |
|
注釈
- ^ 国営競馬・中央競馬では1968年まで、地方競馬では1990年まで、競走馬の馬名登録には拗音や発音の小文字表記が認められていなかったため、これらの記録上は「オパールオーキツト」表記になっている。しかし読み方は「オーキット」と撥音を含んでおり、現代や当時の文献でも当時の競走馬の馬名表記には複数の方法が用いられている。オパールオーキットが天皇賞を勝った時の新聞では、朝日新聞は「オーキット」、毎日新聞や日経新聞は「オーキツト」と表記している。いずれにしろ、どちらか一方が正しく、他方が誤りであるというよりは、同じ音に対する表記の仕方が複数あったということである。本記事では記事名には「オーキツト」表記を採用している。
- ^ さらにそのほとんどは、戦前に活躍した種牡馬であるシアンモア、トウルヌソル、チャペルブラムプトン、ダイオライト、プリメロ、クラックマンナンの6頭の子や孫に集中していた。
- ^ 当たり前のことではあるが、ふつう、アメリカでサラブレッドを購入するならドルで、イギリスで購入するならポンドで決済をする必要があり、どれだけ円を持っていても普通取引ができない(相手方が円での決済を受ければ別であるが。)。現代とは違い、当時はこうした外貨は完全に政府の統制下にあり(輸入外貨割当制)、いくら円を持っていても、自由に外貨と交換することは許されなかった。国全体として外貨自体が不足していたし、外貨は国策上重要な使途に優先的に充当されていたので、競走馬の購入には外貨は回ってこなかった。このため後述するように、外貨を持っている外国の団体が日本に持ち込み、円で取引してくれるのを待つより無かった。詳細は外貨準備参照。
- ^ しかしこの提案に応えてサラブレッドの無償譲渡に応じた者はなかった。
- ^ 例外は「五大競走」と言われる、3歳クラシック三冠で、これらは競走年齢に達する前からの出走登録が義務付けられていたので、出生後に輸入される外国産馬の出走は事実上不可能だった。
- ^ 競馬互助会は旧日本競馬会の外郭団体で、優駿を発行していた団体である。
- ^ 津軽義孝伯爵は旧津軽藩主の14代目当主で、その娘華子は常陸宮妃である。
- ^ このときの輸入馬の中には、ハイセイコーの祖母ダルモーガンも含まれている。(『活字競馬に挑んだ二人の男』p88-97)
- ^ 天皇賞そのものの公式記録としては天候は「曇」である。ただしここでは、朝日新聞、日経新聞、毎日新聞の記事にしたがって当日の天候は雨とした。
- ^ 競馬用語で「惑星」とは、中心的な存在ではないが、状況次第で上位に食い込む可能性があるものを指す。(ホッカイドウ競馬 競馬用語解説2014年5月31日閲覧。)
- ^ ミッドファームも南関東公営競馬がオーストラリアから輸入した競走馬で、地方で活躍後に国営に移籍し、天皇賞を勝ったものである
- ^ 日本レコードはその後に更新されたが、小倉競馬場の1000メートルのレコードとしてはその後も更新されなかった。小倉競馬場ではコース改修があり、2014年現在は改修後の1000メートルコースのレコードは56秒6となっている。
- ^ 『サラブレッド血統大系★★★★★』および『Family Tables of Racinghorses Vol.IV』、JBIS(JBIS ハギノロマネスク牝系情報など)より作成
- ^ a b 同馬は日本国内では「黒鹿毛」とされている[18]が、アメリカ・イギリスでは「青鹿毛(Brown)」と登録[19]されている。黒鹿毛と青鹿毛の区別は難しく、区別しない文化圏もある。
- ^ 『最新名馬の血統 種牡馬系統のすべて』および『Family Tables of Racinghorses Vol.IV』、『日本の種牡馬録1』より作成
- ^ 『最新名馬の血統 種牡馬系統のすべて』および『Family Tables of Racinghorses Vol.IV』、『日本の種牡馬録1』より作成
出典
- ^ 『Family Tables of Racinghorses Vol.IV』p344
- ^ a b c d e f 『日本競馬史』6巻p301-351
- ^ a b c d e f g h i j 『活字競馬に挑んだ二人の男』p88-97
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本競馬史』7巻p750-777
- ^ 『優駿のふるさと日高』p149-157
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『天皇賞競走史話』p76-79
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本の名馬・名勝負物語』p219-245
- ^ a b JBIS ゲーリー2014年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 日経新聞1954年11月22日付「公営上りオパール、優勝 天皇賞 小雨をついてファン2万」
- ^ a b c 毎日新聞1954年11月22日付「オパールオーキツトに栄冠 天皇賞 雨中に十頭が激戦」
- ^ a b c d e f 朝日新聞1954年11月22日付「天皇賞オパールオーキットに」
- ^ a b c d e f g 朝日新聞1954年11月20日付「天皇賞評判記 呼声高いチェリオ」
- ^ a b c 毎日新聞1954年11月20日付「ツルギ追うチェリオ」
- ^ a b JBIS ロイヤルウッド2014年5月31日閲覧。
- ^ a b 日経新聞1954年11月21日付「きょうの有力馬」
- ^ a b c JRAデータファイル 1954年天皇賞(秋)2014年5月31日閲覧。
- ^ JBIS ハギノロマネスク牝系情報2014年5月31日閲覧。
- ^ JBIS オパールオーキツド(AUS)5代血統表2015年4月30日閲覧。
- ^ EQUINELINE Opal Orchid(AUS)2015年4月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『最新名馬の血統 種牡馬系統のすべて』
- ^ a b c d e f g h i j 『名牝の系譜』p70
- ^ Otago Witness紙 1891年7月9日付 Leolantis
- 1 オパールオーキツトとは
- 2 オパールオーキツトの概要
- 3 繁殖時代後
- 4 関連項目
固有名詞の分類
サラブレッド | モンテプリンス ハードスパン オパールオーキツト サンライズプリンス テイタニヤ |
日本調教の競走馬 | セリーセクレタリー モンテプリンス オパールオーキツト サンライズプリンス テイタニヤ |
オーストラリア生産の競走馬 | テイクオーバーターゲット サイレントウィットネス オパールオーキツト ロードバリナ スターアッフェアー |
1950年生 (競走馬) | ネイティヴダンサー ボストニアン オパールオーキツト フクパーク ハクリヨウ |
- オパールオーキツトのページへのリンク