アーセナル・スタジアム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 16:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アーセナル・スタジアム Arsenal Stadium Highbury | |
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施設情報 | |
所在地 | ロンドン・ハイベリー |
開場 | 1913年9月6日 |
修繕 | 1932-36, 1992-93 |
閉場 | 2006年5月7日 |
取り壊し | 2006年 |
所有者 | Arsenal Holdings plc |
運用者 | Arsenal |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 100×67 m |
建設費 | 125,000ポンド |
設計者 | Archibald Leitch(1913年建設時) C.W. Ferrier, W. Binnie(1930年改修時) |
使用チーム、大会 | |
アーセナルFC(1913-2006) | |
収容人員 | |
38,500人 |
アーセナル・スタジアム(Arsenal Stadium)は、1913年から2006年まで使用されたイングランドのサッカークラブアーセナルFCのホームスタジアムである。一般的にはアーセナル・スタジアムと言う名称よりも、スタジアムが立っている地区の名称「ハイベリー」(Highbury)で言及される事が多い。
概要
アーセナル・スタジアムのキャパシティは38,500人であり、このキャパシティの小ささがアーセナルのクラブ運営上大きな足かせとなってきていたため、20世紀末頃から新スタジアムに関する議論が続けられていた。
このスタジアムでは、プロボクシング世界ヘビー級選手権試合(王者:カシアス・クレイ【 アメリカ合衆国】対挑戦者:ヘンリー・クーパー【 イギリス】戦)が1966年5月21日に開催された(試合は6回1分33秒、クレイのTKO勝ち)[1]。
2006年にアーセナルの新スタジアムとなるエミレーツ・スタジアムが近隣に完成。2006-2007年シーズンからエミレーツ・スタジアムの使用を開始した。なお、UEFA主催試合の場合は公式スポンサー以外での広告露出が禁止されているため、新スタジアムがアーセナル・スタジアムとして呼ばれる事になった。
スタジアム跡地には、旧スタジアムの外観を活かす形でハイベリー・スクウェアというマンションが建設された。
ラストゲーム
2006年5月7日、アーセナルは1913年から使用し続けてきたアーセナル・スタジアムに別れを告げた。
ハイベリー最後の試合はリーグ戦の最終週ウィガン・アスレティックとの試合であった。この試合では4対2でアーセナルが勝利を収めている。またこの試合でティエリ・アンリがハットトリックとなるPKを決めた後にピッチへひざまずき、別れのキスを行う場面があった。
この日は、ノースロンドンダービーの対戦相手トッテナム・ホットスパーがウェストハム・ユナイテッドとのアウェーゲームに敗れたため、アーセナルは2006-2007シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得することが出来た。アーセナルにとっては、ハイベリーでの有終の美を飾った事になる。
入場者数
平均入場者数
- 2005-2006: 38,184 (プレミアリーグ)
- 2004-2005: 37,979 (プレミアリーグ)
- 2003-2004: 38,079 (プレミアリーグ)
- 2002-2003: 38,042 (プレミアリーグ)
- 2001-2002: 38,055 (プレミアリーグ)
- 2000-2001: 37,974 (プレミアリーグ)
最多入場者数
ギャラリー
脚註
- ^ 1966: Cooper loses to world champ Clay BBC ON THIS DAY
外部リンク
- Arsenal Stadium, Highbury at worldstadiums.com
アーセナル・スタジアム
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「ハイベリー」の記事における「アーセナル・スタジアム」の解説
1913年、ウリッジ・アーセナルFCは北側のハイベリーに本拠地を移転させ、その名前からウリッジとの名前を外した。理事長のヘンリー・ノリス(英語版)は、セント・ジョンズ・ホール(英: St John's Hall)のグラウンドの一部を、20年2万ポンドの契約で借り受けた。新しいアーセナル・スタジアムはこの場所に建設され、地域名と同じ『ハイベリー』との愛称を得た。セント・ジョンズ・ホールは、1825年に現在のオーバート・パーク(英: Aubert Park)に、大英博物館を彷彿とさせる、イオニア式風の建築で建てられた。"Highbury College (of Divinity)"(ハイベリー大学(神学部))とも呼ばれていたセント・ジョンズ・ホールは、1946年に全焼し、跡地は1区画のフラットに作り替えられた。 クラブは成功し、1925年までには土地の自由保有権代を支払えるまでになった。アーセナルの成功はハイベリーの名前を広く知らしめることになったが、近隣住宅には悪影響を及ぼした。2006年、クラブは本拠地を、ハイベリー地区ドレイトン・パークの西側にある、アシュバートン・グロウヴ(英: Ashburton Grove)のエミレーツ・スタジアムに移した。旧スタジアムは、高級複合住宅ハイベリー・スクエア(英語版)に作り替えられた。指定文化財だった2つのメイン・スタンドはアパートに変わり、元々の外観はほぼ全てが保存された。指定文化財でなかったノース・バンク(英: North Bank)とクロック・エンド(英: Clock End)は、新しいアパートを作るために取り壊された。ピッチは庭に変えられ、地下にはプライベート・ジムとスイミング・プールが作られた。今日でも、旧ハイベリー・スタジアム周辺の不動産は人気が高く、旧スタジアム内に建てられたアパートは、開始価格30万ポンドの値を付けている。
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