アンクレットの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 18:39 UTC 版)
古代エジプト、女性はどの社会階層でもアンクレットを毎日の装飾品として身に着けた。形とデザインに定型はなくさまざまな金属を素材に、金は富裕層、銀や鉄は一般の階層に広まっている。第4、第5、第6王朝の時代、ビーズを通したひもを数本重ねて金具で止めつけたアンクレットで飾ったとされ、サッカラにある第5王朝時代 (紀元前2494年頃から2345年頃) のティや第6王朝 (紀元前2345年頃から2181年頃) のメレルカのマスタバの壁画に踊り子が身に着けた姿が描かれた。 温帯ヨーロッパのブロンズのアンクレットはドナウ川、アルプス山脈の麓、ライン川沿いに大西洋岸までの各地、さらにローヌ川などにわたり、、青銅器時代の早い時期に見られる。紀元前1800年頃以降、アンクレットは特有の青銅器とともに出土、またその分布がクルガン型の墳墓が発見された広い地域にわたることから、草原の遊牧民の文化が共通点と考えられる。 インド東部、紀元前180年頃から紀元前68年頃のシュンガ朝の女性の装いにおいてアンクレットはベルト同様、必ず身につけ女性らしさを示す装身具である。文献によるとアンクレットは輪を鎖状につないだり、複雑に編んで作っている。筒状のアンクレットの端にならぶ輪は非常に細工の繊細な例、輪を強調した例があり、デザインごとに何か意味がこめられたと考えられる。その一例として社会的に身分が高くない女性が身につけるアンクレットの素朴さと対照的に、マカラ (神話)を飾るデーヴァ?の装飾性は高い。 1世紀のタミル文学の叙事詩に妻のカンナギが悪徳金細工職人に夫を殺された『チラパタカラム』(英語版) (アンクレットの物語) という物語がある。カンナギは夫が自分のアンクレットを売ろうとしたと言い、アンクレットの様子を繰り返し述べるのである。古代には男性の力の象徴であり、伝統的なクシャトリヤ(王族・武人階級)の人々だけが金製のものを着け、他のカーストは銀製しか許されなかった。 古代中国の武人の墳墓から翡翠のブレスレットとアンクレットが出土した[要出典]。
※この「アンクレットの歴史」の解説は、「アンクレット」の解説の一部です。
「アンクレットの歴史」を含む「アンクレット」の記事については、「アンクレット」の概要を参照ください。
- アンクレットの歴史のページへのリンク