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きんけい‐ざん【金鶏山】

読み方:きんけいざん

[一]岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある塚。藤原秀衡無量光院西側築いたもので、平泉守護のため金鶏埋めたことからの名とされる平成23年2011)「平泉仏国土浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群−」の一つとして世界遺産文化遺産)に登録された。→平泉

[二]群馬県南西部の山。標高856メートル妙義山一部奇岩に富む。

金鶏山の画像
岩手県の金鶏山

金鶏山

名称: 金鶏山
ふりがな きんけいざん
種別 史跡
種別2:
都道府県 岩手県
市区町村 西磐井郡平泉町
管理団体 平泉町岩手県
指定年月日 2005.02.22(平成17.02.22)
指定基準 史2,史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 金鶏山は、平安時代末期栄えた奥州藤原氏拠点平泉にある独立した小高い山である。平泉には藤原氏三代、清衡・基衡・秀衡が造営した中尊寺毛越寺無量光院及び政庁平泉館」と推定される柳之御所遺跡などの施設点在しており、金鶏山はその中央西側に位置する標高は98.6m、山裾との比高約60mで、なだらかで整った円錐形山容をみせる。東裾には、広く造成された平坦面に12世紀前半翼廊備えた礎石建物確認されている花立廃寺跡があり、南裾には毛越寺の子千手院がある。
金鶏山は江戸時代から金の埋められているとの伝承がある。昭和5年(1930)に、それを掘り出そうとして頂上付近濫掘された際に、経塚に伴う銅製経筒陶器の壺・甕などが掘り出された。その際記録出土品写真残されており、東京国立博物館千手院には、銅製経筒1点陶器の壺・甕・鉢計8点平瓦1点刀子鉄鏃残片多数などが保管されている。記録によれば経筒納めた穴には玉石木炭敷き詰められていたという。陶器には渥美産の壺と片口鉢が各1点常滑産の三筋1点、甕5点がある。確認される銅製経筒と経容器推定される陶器の壺から見て経塚は数基は営まれていたと考えられる陶器はいずれ12世紀代の藤原氏の時代のもので、多く12世紀半ばから末葉の、三代秀衡期のものが多いが、渥美産の袈裟襷文壺は形態文様押印特徴などから前半代にさかのぼる優品であり、二代基衡期あるいは初代清衡期の末頃に比定される。これらは時期遺物内容から見て藤原氏と密接に関係した経塚推定される
 一方、金鶏山は平泉中にあって目立つ山容であり、特別の意味合い有していたと考えられる。基衡が造営した毛越寺境内の東辺は、金鶏山の山頂から真南位置し同時に幅30mの南北道路西端に当たる。この道路に直交する東西道路毛越寺の南辺に面し近年の発掘調査により東に延びて平泉基幹道路となることが確認されている。これにより、金鶏山は毛越寺寺域及び基幹道路設定する際の基準点となったことが知られる。さらに、秀衡が造営した無量光院は、宇治平等院鳳凰堂模した阿弥陀堂であるが、東面する本堂とその正面にある中島中軸線を西に延長すると金山の山頂達する。中島から本堂を望むとその背景に金鶏山が横たわり春秋彼岸頃にはその頂にまさに夕日没し西方極楽浄土想念する日想観試みる場でもあったと考えられる
このように、金鶏山は平泉中にあって、藤原氏と密接に関係した考えられる経塚営まれるとともに毛越寺基幹道路など平泉都市計画上の基準点として利用され、かつ無量光院一体的宗教世界構成するなど、平泉において特別な歴史的意義有している。また、平泉のどこからでも望めるその山容景観上も重要な位置占めている。よって、史跡指定し保護図ろうとするものである
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